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#私の読書ヒストリー

先日、帝国ホテルのアフタヌーンティーに行ったのだけど、苺フェア中で何もかもがピンクになるように作られていて、可愛くておいしいとか最高だな〜などと思いながら、友人たちと喋っていたことを呟いたら、うっかりバズった。

実は4人で行っていて、絵が描ける2人と描けない2人という組み合わせ(ちなみに左利きと右利きも同じように2対2になる)なのだけど、まあそれはこの文面からは読み取れないからいいとして、ただの内輪の「こんなことあったよ〜」に対して、自分のことを話したがる人がこんなにいるんだと心底ビックリした。
リプライは「それ私に言ってるの?」という気持ちになるし、引用リプライにも「これは私に通知いってることを知っているのだろうか…それとも自分のフォロワーへ出典元明記した上で持論を述べたいタイプなのだろうか…」などと思ったりして。これがきっと日常なアルファツイッタラーって大変なんだな……と万バズはしていないくせに思ったり。
基本壁打ちスタンスでTwitterは運用しているので、やりとりをすること前提でいる人って意外と多いんだな…という気持ちになりました。

この話題の前段階として、私はずっと絵(イラストや漫画)が描けるようになりたいと言い続けているのだけれど、幾度も挑戦しつつも挫折し、その理由として絵を描くという出力がないのかもしれない…というところから始まった話題でした。

ちなみにイラッとしたリプライ、引用RTの主はそっとブロックした。さよなら……きっともう二度と会わない人たちよ……。
そして、そんな私にかけられたのか、かけられてないのかよくわからない言葉の中のいくつかに若干ムカついたので、時間が経っているのにもかかわらずリプライも繋げたというわけです…(大変に大人気ない)
ということで、自分の気持ちとしても残しておこう〜と思って、noteを書き始めたのでした。ここまでが前書き。

(1)一般化して呟いていないのに、なぜか「人それぞれだと思いますよ」と言われる
→知ってますが…?
たまたま絵が描ける2人と描けない2人が、読み方も同じように2対2になったの面白いね〜という話をしたよというツイートですが……。
まだ私が「絵が描ける《人》は」と言っていたら、そのご意見はわかる。私は「絵が描ける《友人》は」と言っているんだけど。
人が小説読めてるかどうか心配するよりも、自分の読解力を心配したほうがいい。国語の、特に現代文のテスト、点数低かったタイプですか?

(2)脳内で絵/映像が浮かばず読むってどういうこと?と聞かれた
→私が浮かばないタイプとして呟いたせいか、「もしかして絵/映像が浮かぶのは少数派…?」と思った方もいたようですが、浮かぶ派が圧倒的多数ですね……。
私+友人の4人では半々だったので、もっと拮抗するかと思っていました。あまりにも圧倒的すぎてびっくりした。
件のツイートしてからも何冊か小説読んではいましたが、やっぱり読んでる間、特に絵や映像は浮かばず。見ていた感じだと、絵/映像が浮かぶ人たちの中には「本を読むのに時間がかかる」とおっしゃっている方も多かったので、私が1冊(文庫本200ページ程度)を1〜2時間で読めるのは逆に脳内変換をしないからかなとも思ったり。

読んでいる間の脳内って言語化して説明するのはとても難しいのだけれど、本当にひとり朗読会なんですよね。読んでいる声は地声とも違う、知らない誰か。
そして先へ先へと前のめりに読んでいくかんじ。映像へ変換する前に、物語の続きが気になってしまう気持ちでいるというのもあるかも。
1、2時間程度で読めることの代償(?)としては、逆に一気に読まないと落ち着かないので、「今日はここまで」ができない。エンドマークまで一気にいきたい。栞は宝の持ち腐れになる。
読んだ後にも脳内に文字(文章)が残る感覚があるので、酷使すると頭の中で文字がグルグル回っているような気がする。仕事でも大量の文字列を見て読んでいるので、調子が悪いと頭痛が起きたりして読めなくなる。
音楽聞きながら、テレビ見ながらは、集中力が散ってしまうのであまりやらない。

ちなみに読み終わった後に内容を思い返すときは文章というかこんなかんじ。これは数年ぶりに読みたい!欲に溢れた時なのだけど、イメージで思い返してないっぽいですね……。

あと文字(文章)に執着しているのかなと自分で思うのは、文章として見えたときの面がすごく気になる。漢字を閉じたり開いたりの加減とか、読み返すたびにこれよりこっちの書き方のほうが通りがいい…みたいに思って、一生直し続けてしまう。

この読み方が当たり前だったので、小説を読んでいることを楽しめてるかどうかを赤の他人にジャッチされる日が来るなんて思わなかった。
面白く、楽しく拝読しておりますよ……。

(3)読書環境が悪かったんじゃないか?
→なんでこのnote書こうと思ったかって、これが一番腹立たしく思ったから。自慢じゃないけど、読書環境においてはかなり恵まれていたと自負もしていたので。
みんな隙自語してるんだし、私がつらつら書いていってもいいだろうということで。リプライに繋げたものより、もうちょっと詳しくざっくりと語ってみる。

福音館から出ている「こどものとも」を定期購読していた母親に読み聞かせられながら育ちました。「こどものとも」「かがくのとも」定期購読していた人って周りにあまりいないのだけど、母親が保育士だからかも。
よく読んでもらっていた絵本は「ばばばあちゃん」シリーズや「14ひきの〜」シリーズなど。何冊かは実家にまだある。
そこからケストナーやリンドグレーンを読むようになり、「長くつ下のピッピ」の本名を誦じれるように母親に仕込まれていたりした(笑)今でも言える。
「ピッピロッタ・タベルシナジナ・カーテンアケタ・ヤマノハッカ・エフライムノムスメ・ナガクツシタ」って。念のため、合ってるかな…と思って調べてみたら、どうやら私は岩波書店の大塚勇三・訳を読んでいたらしい。
自分で本を選ぶようになっても、海外児童文学に読むものは偏っていて、ロアルド・ダールやダイアナ・ウィン・ジョーンズ、エミリー・ロッダなど。本気で魔女になりたいと思っていた幼少期でしたね……
日本の児童文学だと青い鳥文庫ばかり読んでいた記憶がある。「かぎばあさん」シリーズとか「ちいさいモモちゃん」シリーズとか。
年頃がバレそうですが、ハリー・ポッターやバーティミアス、ダレン・シャン(は途中で挫折…)も読んでいました。

すこし大人になって、小学生高学年からは父親の影響で大沢在昌と出逢い(初めて読んだのは「らんぼう」)、ハードボイルド小説や警察小説を読み漁っていました。引っ越しするにあたって父親の本を処分するということで、欲しい本は取っておきなと言われて「アルバイト探偵」などを選んだのがきっかけ。大沢在昌、佐々木譲、今野敏はこの時期に大変お世話になっておりましたね。
十津川警部シリーズや浅見光彦シリーズも、陰陽師シリーズ、銀英伝(は叔母に薦められた)に触れたのもこのときくらい。
これがだいたい中高生。私の運命の推しである及川純との出逢いも(柴田よしき作品との出逢いも)このへん。
ちなみに生まれて初めて行ったサイン会はJKの時、佐々木譲先生でした。制服姿だったせいか周囲から明らかにとても浮いていたし、緊張しすぎて父親を連れて行ったら父親のほうがファンだと思われたのも懐かしい想い出です。

大学生になるあたりで、長野まゆみ作品と出逢ったり、ずっぷりどっぷりとBL小説を読み始めたり……。そういう学部学科に入ったからというのもありますが、大学で出逢った友人たちは本(小説、漫画、文献など)をよく読む人だったので、影響を受けた部分は多大にある。

そして今に至る。
ざっくりというには長くなりましたが、こんな感じです。海外児童文学を教えた母親とハードボイルド小説を教えた父親を持つ娘はBL小説好きになりました。
漫画についても言及しようかと思ったけど、小説だけで巻物になったので割愛する。

今回のを機に、自分の中で記憶がない時代の読書環境や読書歴について母親に聞いてみたけれど、同じように育てられたはずの妹はまったく本を読まない(小説と漫画も)タイプに育ったので本当に人それぞれだなあと思います。

これは母親に聞いた時の思い出話。毎週末、図書館には行っていたし、ありがたい存在ですね……。

(4)読書ヒストリーとは関係ない読書周りの環境
→いわゆる中流家庭で育ってきたと思う。
小さい頃から本は好きで、それを知った父方の祖母に言われた「タイトルと作者をまとめたノートを作りなさい」を守っていたので、下手くそな字で記録を取ったノートが今でも残っている(父方祖母のことは好きではなかったけれど、これだけはありがたく思っている)
記録つけてるうちに何度か引っ越しもして途中なくしたりもしていたので(根っからのズボラなもんで…)きっと歯抜けもあるけれど、1冊分まるっと読んだ本のタイトルと作者名が書いてあるボロボロのノート。今は読書メーターとかあるから記録もしやすいし、便利ですよね。ズボラに優しい。

母方の祖父はアマチュア作家だった。地方の童話公募とかに応募して入選したりしなかったり、新世研の絵本翻訳コンクールで最優秀とって訳した絵本が出たりしてた人(絶版してるけど)
祖父が生きてるうちに書いていたものをまとめた同人誌とか作ってあげたかったな…と後悔している。いくつかはアンソロジー的に収録されていたはずだけれど、取っておいてあるのかな……(いろいろあるため、このことを聞けないのでわからない)
どちらかというと、書くことの面白さを教えてくれた。

中高生の時は図書カードをお小遣いとは別にもらっていた。これのおかげで値段を見ずに本を買うようになった。
何を買うかは不問だったとリプライで繋げたツイートでは言ったけれど、一応漫画はダメとは言われていて。でも普通にジャンプコミックスとかの漫画を買っていたのに何も言われなかった、が正確なところ。でもなんだかんだで毎月お小遣いからも本代出していたので、帳尻は合っていたと思う。
今でも父親は私を呼び出す餌に「本を買ってあげるよ」を使うし、母親も大沢在昌先生とかが新刊を出すという新聞広告見つけるたびに教えてくれる。

終わりに

どうやらこの手の話題はみんな好きなようだし、どうせなら #私の読書ヒストリー とかタグ付けて呟けばいいのにって思ったので、今回のタイトルにしました。
どんな読書環境で、どんな本を読んできて、どんな風に読むのか、今はどんなジャンルが好きなのかってなかなか他人と話すこともないので。私も興味ある。
ということで、この件に言及するのはこれで終わり🐰

おすすめ作品(小説でも漫画でもジャンル問わず)があったらいつでも教えていただきたいので、気軽に投げてください📮

https://odaibako.net/u/coconotsu9k

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