見出し画像

【不思議体験記08】金縛りの原因と種類

はじめましての方へ

ご覧くださっている皆様。はじめまして。

幼少期から少し霊感があったようで、色々な不思議体験を経験してきました。大人になり、ワンネス体験をしてから、この世の真理を悟り、怖いものが無くなりました。

その内容を幼少期からの記憶をたどり、少しずつnoteで記録をしていきたいと思います。

長いストーリーのものもありますが、どうぞお付き合いのほどよろしくお願いします。

【不思議体験記08】金縛りの原因と種類

身体的な反応で金縛りになるとき

実は20代半ばから後半にかけて頻繁に金縛りにあっていた時期がありました。頻繁と言っても半年に一回とか、2回程度ですが、それまでの人生ではあっても5年~10年に1・2回程度だったので、明らかに回数が多かったです。

その当時は睡眠が不規則で、色々と人生の転機となる出来事が続いており、心身共に色々と変化が伴っていた時期でしたので、睡眠の質にも影響が出ていたと思われます。

こういった時に頻発した金縛りでは、”青い火の玉に苦しめられたお話”で書いたように、目を覚ました後に火の玉を見るという事はありませんでした。

気合いで金縛りを解いた後は、いつもの部屋の景色をただ見るだけか、また2度寝をするかのどちらかです。

霊の影響で金縛りになるとき

今まで霊の影響で金縛りになったとはっきり自覚できて、覚えているのは3~4回です。

今まで経験した金縛の回数は恐らく10回強程度です。

ですので7回くらいは睡眠周期の影響でそうなったといえるものであり、残り3回はそうではないものになります。

霊の影響で金縛りになるときは、身体の麻痺が解け目が開いた状態、つまり意識もはっきりし、身体も動いている状態で、普通では見えないものが見えました。

もしくは、寝ているのにわたしの魂を霊に無理矢理起こされたために、魂が身体から抜け、身体は寝ている状態で魂が起きている、という状態の時もありました。

これは、30代前半で起きた別の金縛りの例です。

金縛りの解き方

今でこそ、自分の守護をしてくれている存在とのつながりを理解するようになりましたが、そうなる前までは気合を入れたり、念仏を唱えることで自力で金縛りを解消していました。

念仏とは、私の場合カタコトな般若心経ですが、だいたい覚えている部分を2回くらい繰り返すとフッと身体が軽くなって解消されていました。

先日久しぶりに金縛りにあったとき、守ってくれている存在に助けを求めました。

そうすると、念仏を唱えるよりも遙かに早く、一瞬で金縛りが解けましたので、1番のおすすめは普段から自身を守ってくれている存在を意識して、身近な存在とした上で、金縛りの時には助けてもらうようお願いすることです。

意識しなければ神様は存在しようがない

ニワトリと卵の話を変えて、神が先か人が先か?とう話ではありませんが、人間社会の前提としてはまず、人の意思があるところに神様が発生するというのが正解かなと思っています。

神様がいたとしても人間の意識が存在しなければ私達に認識されないのですから、私達の存在無しでは神の存在もあり得ないという地球限定の狭い範囲での少し哲学的な結論です。

そういった意味で、まず私達が神様の存在を意識しなければ、彼らの存在は肯定すらされませんので、まずは意識をすることから始めてみては如何でしょうか?

見えない世界は信じないというのはもう、現代の最先端科学で証明されていることすら否定してしまう事になりますので、私達の視覚では認識できないものが宇宙の90%以上の質量を占めているという事を頭の片隅において、ではその見えない世界を視覚以外の感覚で捉えるためにはどうすれば良いのか?

という方向で考えていく方が正解に近づくような気がします。

波長を合わせる

証明できない世界を断言するには少し抵抗があります。しかし証明できない世界が宇宙の大半を占めている以上、それを否定することもできません。

いわゆる霊感が強い人というのは、普段から見えないものがよく見えていて、それが普通の状態になっている人達も多々いらっしゃいます。

”【不思議体験記07】震える彼女が見た黒い人影“でも書いたように、私が見えないものを友人が見えていたり、恐らく逆のパターンもあるのでしょう。

過去のこういった経験を振り返ってみるに、恐らく見えないものが見える時というのは、その人の持つ意識や波長に合ったもの限定で見えているのではないか、というように考えるようになりました。

もしくは、その人の宿命といいますか、生まれもった特性のようなものも影響しているのかもしれません。

見える世界と見えない世界のギャップ

10代後半から20代後半までは、私自身の意識がとても低い場所にありました。

子供のころの純粋な心を忘れてしまっていたと言いますか、今思い返しても本当に愚かな身の振り方をしていたものだとつくづく思います。

自己中心的で、偽善的な正義感を振りかざし、人を愛するという事が全くできなかった時期です。

少なからず社会の影響を受けてそうなっていったところが大きいとも感じていますし、しかしそういった時間もその後の成長のために必要ではあったのかもしれません。

そしてその十数年間は、それまであったポジティブな不思議体験ともさっぱり縁がなくなり、前述したような悪夢のような金縛りに頻繁に苦しめられた時期でもありました。

変わるのは今からでも遅くない

その後、色々な苦い経験を経て、人生を大きく変える出来事が立て続けに起こったことで、私の人生は好転していきました。

好転したというのは内面性の問題であり、環境だけ見れば端からは、恐らく幸せそうに見えていた20代は私にとって実は魂の低迷期であり、苦労をしているように見えた30代に入ってからが私の魂の成長期で、より高い次元へと進んで行くことができるようになったようです。

その後、観音様や龍神といった、それまで気にもしていなかった、見たこともない存在達とのつながりを作っていくことになります。

私はその段階が30代で訪れました。

ですので、変化を開始するのは何歳でも可能だと思っています。

前述したように、こちらが意識をしなければ、神様は存在すら肯定されないのですから。

何歳でも大丈夫です。

まず、意識をすることから始めましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?