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女性性を蘇らせたい

私は生物学的に女だけれど、男性性にかなり偏っていると思う。
人に頼るのは苦手だし、受け身ばかりでは落ち着かない。白黒はっきりさせたい。
ほわ〜としているよりピシッとしていると人から見られることが多い。

でもそれはきっと、生まれつきそうだったわけではない。
私にだってちゃんと女性性は備わっていて、それを抑え込んでしまっていただけなんだ。だから、蘇らせたい。


幼稚園児の頃の写真を見ると、自分はちゃんとスカートを履いている。
それが嫌だった記憶もない。

だんだんと鉄棒やうんていや縄跳びや、体を動かす遊びが好きになってスカートを履かなくなっていったような気はしている。
小学生になってからはスポーツをやり始めたのもあって、入学式と卒業式くらいしかスカートを履いた覚えがない。
当時好きだった色も水色で、フリフリのピンクなんかはなぜか好きになれなかった。

中学校の制服のスカートがちょっと嫌だった覚えはある。これはただスカートに慣れていなかったからかもしれないし、制服のスカートの下にはいつも体操着のハーフパンツを履いていたから“スカートを履いている”という意識が薄かったからかもしれない。
(スカートを短くするタイプではなかったのでハーフパンツが見えることもなく、注意されることもなかった)

クラスメイトが色恋沙汰でゴタゴタしているのを他人事で見ていた。
そのときはやっとつらかったスポーツを辞めて、それまでできなかった友達と放課後に遊ぶことや漫画やゲームを楽しみたかったから。

あるときクラスメイトの男子からしつこくメールが来るようになって、口説かれているのかもしれない、と思ったらすごくショックだった。
初めて生理が来たときよりも何倍もショックだった。
単にしつこくされて怖かったのもあるけれど、他人の色恋沙汰を見ていて「あんな面倒なことに巻き込まれたくない」と思っていたのに、巻き込まれてしまった。
「好意を寄せられて嬉しい」ではなく、「この人は私から奪おうとしている」と感じて、その恐怖でいっぱいだった。


いま振り返ってみると、小学生時代に私の中の男性性が大きくなってしまったように思う。

当時は父親と顔を合わせることがほとんどなかった。
父は家で仕事をしていたが、私の生活サイクルが学校→帰宅してすぐスポーツの練習場へ→21時半ごろ帰宅だったので、21時には就寝する父とは朝学校に行くときの挨拶程度の接触しかなかった。決して仲が悪かったわけではない。

無意識的に、外から得られない男性性を補うために自分の中の男性性を強化していたんじゃないだろうか。

スポーツという競争の世界にいたからというよりも、私の中の「誰にも頼れない、自分でなんとかしないといけない」という意識の方が男性性を強める要因だったと感じる。
スポーツをやっていても競争にはこだわっていなかったし、どちらかというと期待に応えなきゃという動機だった。

誰にも頼れない・自分でなんとかするしかないという思い込みに対して、理由はいくらでも後付けできる。周囲からの言葉や、理解してもらえなかった自分の気持ち、たくさんある。
とにかくその頃はそういう思い込みによって自分を守るしかない状況だった。

それがあったおかげなのか、学校では優等生で三者面談も毎回10分で終わったし社会生活で大きく困ることはなかった。反抗期もなかった。


「好意を寄せられると、相手が私から何かを奪おうとしているように感じる」というのは何ともつらい状況だった。
好意を寄せてくる相手が敵に見える。好意を寄せられることは喜ばしいことのはずなのに、それを喜べない自分はおかしいのか。欠陥人間なのか。
友達としては付き合えても、男女の関係を求められると恐怖に変わってしまう。

それは、私の中のなけなしの女性性を差し出したらそれが完全になくなってしまって自分が壊れ、もう戻らないという恐怖だったかもしれない。
差し出せるだけのものがないのに求められて、期待に応えられないという恐怖でもあったかもしれない。

とにかく自分を守るのに精一杯で、相手を受け入れる余地なんてどこにもなかった。
相手を受け入れることは侵入されることと同じで、侵入されてしまったら簡単に壊れてしまうのが私の中身だった。
何も感じないように蓋をして、貝のごとく硬い殻で何重にも覆って、なんとかやり過ごしていた。


「女性性」というキーワードを耳にすることが増えたのは風の時代の影響かもしれない。
でもそれだけだったら、他人事として気にも留めていなかったと思う。そういうキーワードもあるのね、くらいで。それくらい自分には縁がないものだと思っていたから。

自分の女性性について考えることになったきっかけは、自分が金星に縁が深いと知ったこと。それこそ一番縁がないと思っていた星だし、縁があると知ったところで実感は全くない。

実感が湧かないというのは、それだけ金星的な力を封印して生きてきたからだろう。逆にいえば、これまで封印してきた力を蘇らせることができれば全く違う世界に行けるかもしれない。

この星に縁があるからというのは単なるきっかけに過ぎなくて、これまでとは違う生き方や価値観を取り入れていくというタイミングが来たんだろう。

とはいえ、その封印を解くにはどうすればいいのかわからない。
たぶん、それは自分にしかわからない。
無意識に抑えてしまっていた感覚、感性を少しずつ掘り起こそう。傷付いたり下がったり疲れたりしたら休みながら。
まだ社会は男性性の強い価値観が優位だから、焦ってしまうことがよくある。焦ったら落ち着く、の繰り返し。


「何かを発信したり表現しないとそれは存在しないことと同じ」。
これも結構な呪いの言葉のように感じている。
言葉にしなくても、表現しなくても、あなたが感じていることはちゃんと存在している。なくなりもしない。
だから感じることに集中するだけで十分、あなたは役割を果たしている。安心して、感じることに集中してほしい。

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