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キヨちゃん

 恵子さんは高校生の頃、当時流行していた「スカイプ」という音声通話アプリにハマッていたという。
 学校を終え帰宅すると2階の自室に直行しパソコンを立ち上げる。そこで友人数名と落ち合い、深夜まで話し込むことが日課となっていた。

 友人といっても遠方に住んでいる訳ではない。学校では常に行動を共にし、休日には揃って街に繰り出すような仲の良い同級生ばかりだった。

 そのため直接顔を合わせて話す内容とアプリを通じてのやり取りはさほど変わらなかったが、学校での出来事やクラスメイトの話題、好きなアイドルに至るまで、気の合う友人との話題には事欠かなかった。
 気付けば何時間も夢中になってしまい、母親に小言を言われることも一度や二度ではなかったという。

 その日も学校から帰宅するとすぐさまスカイプを繋げて先にログインしていた友達と合流する。
 しばらく談笑した後いつものように誰かが冗談を言い、恵子さんが手を叩きながら部屋で一人笑い声を上げた時だった。

ふいに、がちゃりと部屋のドアが開く音が聞こえた。

 ドアは勉強机に座っている恵子さんの背後、死角にある。つまり恵子さんからは振り向かないと確認できない。

「私てっきり『あっ、お母さんが晩御飯呼びに来た』って思ったんだけど」

 恵子さんの予想は大きく外れていた。
 振り向いた先、薄く開いたドアの隙間からは母親ではなく、全く見覚えのない老婆がこちらを覗いていたという。

 老婆は頭だけを無理やり扉に差し込むような変な体勢で、部屋の中を物色するように、眼球を上下左右にせわしなく動かしている。
 その目が、振り向いたままの姿勢で固まっている恵子さんで止まる。

「――キヨちゃん、ごはんよ」

 明らかに自分に投げかけられている言葉だということは理解出来た。けれど肝心な言葉の意味が分からない。

 自分は「キヨちゃん」ではないし、そもそもこのお婆さんは誰だ。
 お母さん。お母さんを呼ばなきゃ。

 助けを求めるため声を絞り出そうとした瞬間もう一度老婆の口が動く。

「おかあさん?」

 顔を突き出したまま、恵子さんの反応をうかがうように見つめている。

「その時一階から階段を上がる音が聞こえて。それと同時にお婆さんがヒュッて。引っ込んだのよ。で入れ替わるみたいに、ドアの隙間から今度はお母さんがニュって顔突き出して。
『恵子、ごはんよ。降りておいで』って」

 恵子さんは安心のあまりそのまま母親にしがみつき、わっと声を上げて泣いたそうだ。

 その後自分が見たものを必死に説明をしたそうだが真剣には取り合ってもらえなかった。 

 老婆と、老婆の言う「キヨちゃん」について、恵子さんはなんとなく家系に手掛かりがあるのではないか、と感じたそうで、祖父母宅にあった家系図を引っ張り出してみたという。   
 しかし家系図をさかのぼってみてもそれらしき人物は見当たらなかった。

 親族ではなく祖父母の友人関係をそれとなく聞いてみてはいかがですか?と提案してみたのだが、恵子さんは少し悩んだあとにこんなことを話してくれた。

「私ねぇ、分かっちゃった。あのお婆さん、なんていうのかな。『ヒトに似せた全く別の何か』だよ。人間だけど人間じゃないみたいな感じ、分かるかな」

 狐とか狸が人に化ける、みたいなイメージでしょうか?と問うと、

「ちょっと違う。もっとこう……ロボット?みたいな。本当は『キヨちゃん』なんていなくて、意味のある言葉っていうより、ただの記号としてそれを発してる、みたいな。そんな感じだったんだよね。あとは……プラズマ?とか?たまたま出てきたのが私の部屋だっただけで、本当は――」


 そこまで聞いた時唐突に通話が切れた。プラズマの影響かと思ったがすぐに繋がった。
 それ以降特に変わったこともないよ、と言う恵子さんに丁寧に礼を伝えてから電話を切った。



 通話を終え、メモ帳を眺めながら恵子さんの体験を頭の中で反芻してみる。
 
 なるほど。起こった事象にいくら意味や意図を求めたとしても、結局はこちら側の都合でしかない。つまりどこにも出口のない袋小路のような怪異が世の中の大半なのかもしれないな、と妙に納得してしまった。





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