『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』におけるロンギヌス構造理論について
⚠この投稿は『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』のネタバレを含みます。ご注意ください。
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★この文章は某オープンチャットのノートに投稿したものを管理者の方に許可をいただき、note.com に転載という形で公開させていただいております。
転載にあたり、若干のアレンジを加えてありますが、ほぼ原文のままです。
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https://note.com/9_on/n/n9708e7efb581
(↑こちらの note の続きです)
前回の投稿では物語のラストシーンについて、いくつかの可能性を示すことができたものの、それでも未解決部分も残したままだったのですが、あれから更に劇場に何度も通い、全体的なストーリーを俯瞰的に捉えつつ、繰り返し鑑賞した結果、自分なりの最終的な結論を出せたような気がするので、ここで改めて【完全改訂版】として公開しようと思います。
(7月24日 オープンチャット内で公開)
まずは前回のノートと同様、今回の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(以下、シンエヴァ)という映像コンテンツについて、以下の前提を再確認しておきます。
★前提①★
(TVシリーズを含む)物語の全ての内容を理解することは、ほぼ不可能である。
★前提②★
劇中に、いくつもの解釈やパターンを考えられる要素(台詞や舞台装置を含む)が【無数に散りばめ】られている。
★前提③★
ラストシーンに関して、監督陣や運営から公式のアナウンスが(現時点では)無いため、ただひとつの正解は無い。
☆つまり、現時点では映画を最後まで観た人がそれぞれ自由に、無限に、ストーリーを解釈でき、意見を共有したりして楽しめる娯楽作品、それが『シンエヴァ』であると思っています。
そして初めに断っておきたいのですが、今回、自分が発表する内容は、いわゆる解読および解説を目的とした【考察】と呼べるような代物ではなく、あくまでも私個人による【勝手な解釈】です。作品としての『シンエヴァ』を更に楽しむための【新たな視点のひとつ】として受け止めていただき、その上で皆さんそれぞれのネオンジェネシスを迎える事ができれば良いのではないか…と思っています。
加えて現在、一般的に公開されているシンエヴァ考察の全てに目を通しているわけではないので、既に別のどなたかが論じられている内容であった場合には、ご容赦ください。
さて。まず結論から書いてしまうと、
≪ラストシーンはロンギヌスの槍で出来ている≫のではないか。ということです。
順を追って解説していきます。
■■A■■■
これまでも先人達による、たくさんの考察がなされている『シンエヴァ』のラストシーンですが、おおまかに以下の2パターンに分けられるようです。
①シンジとマリは駅の(アニメーションの世界から)外の世界(リアルな世界)に駆け出していった。
②シンジとマリは電車(クモハ42)に乗って(アスカ達の待つ)第3村に帰った。
自分も最初は①だと思っていました。普通に映画を最後まで観れば、この流れでハッピーエンディング。多くの人がそうだと思います。
しかし、5月ごろにTwitter上で 優狗@LAS 氏のツイート
https://twitter.com/hukkqcuieoij7vr/status/1395150996272123911
を初めて読んだ時に「あぁ、こういう解釈もあるのか、こういうラストだったらいいよなー」と思っていました。
氏のツイートによると『マリとシンジは電車に乗り、第3村に帰った』のだそうです。
でもおかしいですよね?シンジとマリは駅の外へ駆け出していったはずだから…。
自分が5月に書いたノートでは「駅から出てきた2人は、良く顔が見えないから」別の人である可能性がある…として、やや無理のある解釈のまま、結論を濁していました。
この点についても今回、いちおうの結論が出ましたので解説を続けます。結論といっても、あくまで個人的にですが。
■■B■■■
また、今回のラストシーンについて熟考を重ねる、もうひとつの重要なヒントとなったのが、JA氏※の
「駅のホームで電車(クモハ42)が見えないカットがある」という発言でした。
(※ JA氏 某オープンチャットの副管理人)
確かにラストシーンの駅のホームでは、自分もいくつかの違和感を感じていました。
①恋人となった2人(シンジとマリ)の待ち合わせシーン…のように見えるけど、どことなくぎこちないセリフのやりとり
②DSSチョーカーってそんなに簡単に取れるの?
③駅の外に駆け出していったのは、本当にシンジとマリ?
などなど。
③に関しては5月のノートでも書きましたが、ラストシーンのカメラワークとして「2人の顔のアップからズームアウトして空撮に繋げる」ということも可能なはずです。でも実際は(劇場のスクリーンで観ても)顔が判別できないくらいの高さから空撮映像が始まっている。
まあでも服装やカバンは似ているし、さっきの2人なんだろうな…。ということになっています。
よくよく考えてみたら、『シンエヴァ』本編冒頭ではトウジやケンスケが、シンジやレイ(&観客)に対して第3村やクレーディトについて親切すぎるほど丁寧に説明してくれていたというのに、ラストシーンの丸投げ感たるや、なにこれ?
観た人が≪おそらく…こうなんだろうな≫というストーリーで脳内補完させることで≪マリとシンジがアニメの世界を抜け出して現実の世界に駆け出していった≫ように見せることで所謂ハッピーエンドとして表現されています。
でも…待てよ。
ここで庵野総監督の言葉を思い出します。
■■C■■■
「エヴァの画面は、物語上必要なもの、絵として美しいもの、僕の人生に関わりあるもの、そしてスタッフの好みがちりばめられている」
(庵野秀明氏 4月11日の舞台挨拶より)
「物語上必要なもの」が画面に描かれているというのなら、【見えない】ということも【物語上で必要】だったからなのではないか。
つまり【シンエヴァのラストとして必要だったから、最後のシーンを曖昧に描いた】という風にも捉えられるのではないか。
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★前提③★
ラストシーンに関して、監督陣や運営から公式のアナウンスが(現時点では)無いため、ただひとつの正解は無い。
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何度でも言いますが、現時点ではストーリーをほぼ無限に解釈できます。我々は自由だ。
そして25年にも及ぶ『エヴァンゲリオンシリーズ』全ての歴史における締めくくりのラストカット(空撮映像)は、このように描かれていました。
❶ 駅を出た2人は、画面に向かって右方向に走り去っていき、
❷ 同時刻に駅を発車した電車は左方向に走り出していくのです。
つまり、ここで物語は左右に分かれて、まるでロンギヌスの槍のように2つに分岐した構造で完結している。とも言えます。
「え?だからシンジとマリは外に出たじゃん。電車は関係ある?」という方のために、解説を続けます。
■■D■■■
先に書いたJA氏の「電車が見えないカットがある」という指摘について。
「だーれだ」
「胸の大きい、いい女」
「ご名答。相変わらずいい匂い、大人の香りってやつ?」
「君こそ、あいかわらず可愛いよ」
「いっぱしの口を利くようになっちって」
~DSSチョーカーをはずす~
「さぁ、行こう、シンジ君」
「うん。行こう」
駅のホームでの、シンジとマリの会話ですが、この時に
【1番線に停車しているはずのクモハ42が見えたり見えなかったりする】のです。
2人を捉えたアングル(カメラの角度)として、見えてもおかしくない角度なのに、すぐ目の前に停車している電車が見えないカットがある。
これもラストシーンとして必要だから…
【あえて、ギリギリの角度のアングルにして電車を見せていないのか?だとしたら何の目的で?】
さらに謎が深まってしまいましたが…、それと同時に答えは全て見えていたのです。
■■E■■■
◆駅から外に駆け出していった2人は誰?
◆駅から発車したクモハ42に乗っているのは誰?
前回のノートで結論を濁していた点ですが、
「外の世界に駆け出していった2人」を、
そして「クモハ42に乗った人物は誰か」を
≪我々はすでに観ていた。≫
■■F■■■
問題の駅のホームのシーンですが、実は2つの世界(そっくりさん!)が同時に描かれていて、その2つの世界がテレビのチャンネルを変えるように≪切り替わりながら進行≫しているのでは無いでしょうか?
〔A〕電車の見えない世界のシンジとマリ、この2人は駅の外の世界に駆け出していった。
〔B〕電車の見える世界のシンジとマリ、この2人はホームを移動し、1番線のクモハ42に乗って第3村に帰った。
このAとBの世界が、ひとつのシーケンスの中で螺旋のように絡み合いながら同時進行しているのですが、(エヴァ特有の)曖昧なセリフ回しと絶妙なカメラワークによって、観客を完璧に錯覚(ミスリード)させることに成功しています。
《画面に映っているのは計4人だが、カットの切り替えを行うことにより、あたかも2人のやりとりに見えるように描かれている》
2組のラストシーンが、まるでロンギヌスの槍のように螺旋状に絡み合いながら進み、最終的に分割して終わるという構造になっています。
なぜシンエヴァだけが、エンディングテーマが2曲に別れているのか?というのも、もしかしたら関係しているのかも知れません。
≪ラストシーンはロンギヌスの槍で出来ている≫
これが私の考えた【シンエヴァ・ロンギヌス構造理論】です。
■■G■■■
さーてー、さてさてぇ…。
勘のいい方なら、もう気づいてしまったかも知れませんが。
これ、いつから分岐してたのよ…💦
個人的にはトウジの診療所の病室ではないかと思っています。
つまり映画のオープニングタイトル後、シンジが目覚めるシーンです。
これまでに見た他の映画やドラマでも、似たようなシーンがありましたよね?
我々は完全に騙されていたのです。
意識を失った主人公の病床から見える視界として≪寝て、醒めて、を繰り返すツギハギのようなカメラワーク≫です。
映画が始まってすぐの、あの段階から既にシンエヴァの世界(チャンネル)の切り替えがパチパチと行われていたのでは無いでしょうか?
※冒頭の病室のシーンについてはJA氏もノート(オープンチャット内にて公開)で指摘されていましたが、JA氏の提唱する【ガイウス構造】では物語は4つの世界で構成されていると主張されています。
■■H■■■
劇場で『シンエヴァ』を繰り返し観ることによって気付いた違和感がいくつもありました。
・ケンケンがシンジを拾ってきた?←なにそれ?
・アヤナミ、バッテリー切れみたいに倒れたけど、まだ生きてたんだ?
・シンジ「アヤナミが消えた帰り道、土の匂いがしたんだ」←それ順番おかしくないか?
・ゲンドウ「もういいのか?レイ」←なにそれ?
・シンジ「やめてよ、父さん…あっ。」←何に気付いたの?
などなど…
もしかしたら、このあたりの残された疑問点についても【ロンギヌス構造理論】から、何か答えが見えてくるのかも知れません。
■■アイ■■■
終わりに。
今回の『シンエヴァ』を含む『エヴァンゲリオンシリーズ』全体には、まだまだ多くの謎が残されたままです。
恥ずかしながら、私自身は宗教や聖書の知識もなく、死海文書などについても全くのちんぷんかんぷんです。
そんな私個人による今回の【ロンギヌス構造理論】が、残っている全ての謎について解決を促すものでは決してありません。
ただ、今後も『エヴァンゲリオン』というコンテンツを繰り返し鑑賞する際に「もしかしたら、ここは分かれていて、あそこと繋がってるのかな?」という風に新たな発見があるとしたら、それはとても面白いことだと思います。
残念ながら(一部の劇場を除き)終映となってしまった『シンエヴァ』ですが、本当に素晴らしい映画でした。
自分を含め、エヴァファンの皆様は、これからもAmazonプライムビデオや、今後発売されるであろうパッケージ版を観て、何度も繰り返し楽しむことになるでしょう。
そしてこの作品を観返す度に、2021年3月8日からの136日間に我々が体験した感動と熱狂を、また思い出すことができるなんて、すごく素敵なことだと思いませんか?
最後に、庵野秀明総監督を含む『エヴァシリーズ』全てのキャスト・スタッフの皆様はもちろん、そして『シンエヴァ』に対して様々な視点を提供してくださったTwitterのLAS勢の皆様、JA氏を含むオープンチャットの皆様、本当にありがとうございました。
ありがとう、すべてのエヴァンゲリオン。
な…長い!!!!
というわけで、また何か、気づいたことがあったら書きます。
2021年7月24日 久遠
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★この文章は某オープンチャットのノートに投稿したものを管理者の方に許可をいただき、note.com に転載という形で公開させていただいております。
転載にあたり、若干のアレンジを加えてありますが、ほぼ原文のままです。
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