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『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』ラストシーンについて久遠が思ったこと

⚠この投稿は『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』のネタバレを含みます。ご注意ください。

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★この文章は某オープンチャットのノートに投稿したものを管理者の方に許可をいただき、note.com に転載という形で公開させていただいております。
転載にあたり、若干のアレンジを加えてありますが、ほぼ原文のままです。
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ザーーッとスマホのメモ帳に書き殴ったものを元に構成しています。
読みにくい箇所がありましたら申し訳ありません。

まず最初に断っておきたいのですが、自分は今回のシンエヴァというコンテンツに関して以下のように考えています。
あくまで個人による見解と感想です。
(5月22日現在)

★前提①★
物語の全ての内容を理解することは(ほぼ)不可能である。

★前提②★
劇中にいくつもの解釈やパターンを考えられる要素(台詞や舞台装置を含む)が無数に散りばめられている。

★前提③★
ラストシーンに関して監督陣や運営から公式のアナウンスが無いため(現在は)ただひとつの正解というものは無い。

要するに(現時点では)シンエヴァは観た人それぞれが自由に、無限に、ストーリーを解釈でき、意見を共有したりして楽しめる娯楽作品であると思っています。
つまり、観た人それぞれの心の中に物語の終着地点があり、そのすべてがおよそ正解であるとも言えましょう。

上記の点を踏まえて「ラストシーンについて」です。

自分はこれまで何度も劇場で鑑賞していますが、自分はてっきり
【マリとシンジが現実世界で結ばれて、駅の外の世界に飛び出していくハッピーエンド】
だと思っていました。

しかし、先日の 優狗@LAS 氏のツイート
https://twitter.com/hukkqcuieoij7vr/status/1395150996272123911
によると

『マリとシンジは電車に乗り、第3村に帰った』

のだそうです。

そんなバカな…だって2人は手を繋いで駅の外へ出ていったじゃないか。
でも待てよ…。

◆マリとシンジが改札を出るカットは無い

◆駅の出口から出てきたマリとシンジは、良く顔が見えない

☆駅から出てきた2人は本当にマリとシンジだったのか?

いやいや、もちろん普通に考えたら「マリとシンジ」なんですよ。だって顔がよく見えないとは言え、服装も似てるし。

でもこれってあくまで観た人の脳内補完によるものですよね。

たとえばカメラワークにしても《2人の顔のアップから空撮へズームアウト》という風にもできたはずです。でもほとんど顔も見えないような高さから空撮が始まっている。つまり「この2人は絶対にマリとシンジですよ」という確証カットが無いのです。

先述の 優狗@LAS 氏は、駅から出ていった2人は庵野監督と奥様であると書かれています。
この点については深く掘り下げません。今回、自分が申し上げたいのは別の部分なので。

☆そういえばNHKの番組では、庵野監督が駅の改札を出るシーンがあったような…(奥様は居なかったけど)

そして、駅から走り出た2人がフレームアウトした後、駅のホームから電車(クモハ42)が発車。

◆あの電車には誰かが乗っていた?

◆クモハ42の車両は誰に見えていた?他の人には見えなかった?

ここも先ほどと同様に「クモハに誰と誰が乗りましたよ」という確証カットがありません。

なので『マリとシンジが乗った可能性』もあると言えます。

そして先日からJA氏※が指摘していた「カットによって、あるはずのクモハが見えない」というのも何らかの意図があるように感じられます。
(※ JA氏 某オープンチャットの副管理人)

・駅のホームのベンチに座るシンジくん
・(カヲル達のいる)1番線にクモハ42到着
・背後からマリが「だーれだ?」
・いくつかの台詞の後でDSSチョーカーをはずす
・「行こう」
・跨線橋の階段を駆け上がるマリとシンジ
・空撮映像

あらためて 優狗@LAS 氏の書かれた
『マリとシンジは電車に乗り(アスカに会うために)第3村に帰った』
という解釈を肯定して、このシーンを振り返ると、ある点に気付きます。

☆これまで恋人(カップル)のやりとりだと思って決めつけて聴いていた台詞だけど、ただ待ち合わせをしていただけなのかも…。

☆恋人同士かも知れないけど、そういう関係では無いのかも知れない。
☆1番線の電車がもうすぐ発車するから、急いで跨線橋の階段を登った?

◆ホームを移動して、電車に乗った(かも知れない)マリとシンジ

◆駅から外の世界に出た(謎の)2人

この2組が跨線橋の上で分岐したのか、1番線ホームで分岐したのか、そもそも分岐してないのか、それは分かりません。しかし、この部分は映像として説明されていないのですから考察や解釈は我々の自由です。

しかし、いったん
『マリとシンジは電車に乗り(アスカに会うために)第3村に帰った』
という解釈を肯定してみると、
『いくつかの劇中の台詞が別の意味を持って《生きてくる》』ような気がしてならないのです。

マリはシンジに対して「迎えに行く」という表現を使っていました。(何度か使っていた?要確認)

彼女の本当の目的が、シンジと結ばれて恋人としてハッピーエンドなのであれば「会いにいく」で良かったはずです。

でもあえて「迎えに行く」と言ったのは、その先に目的地があるから?

また、アスカを救済するシーンでシンジは「ケンスケによろしく」と伝えています。

これも同様に、もし「ケンスケとお幸せに」という台詞だったとしたらこれはもう完全に100%アウト、お別れの挨拶です。

もちろんシンジのキャラクター的に「ケンスケによろしく」という方が自然で無難に聞こえるかも知れません。しかし、この台詞が極めて抽象的な言葉(どういう意味にも解釈できる)だということは間違いありません。そして、もしかしたら何か特別な意味が込められていたのかも知れません。
「ケンスケによろしく。(俺は後から行くよ)」とか。

それに『マリとシンジ、そんなに簡単にくっつくのか?』という点も自分の中で大きな疑問のひとつでした。

見た目はどうあれ、両親と近いくらいの年齢の「アジャパー」とか言うようなガッテンデイお姉さんですよ。まあお互いに好きなら付き合うか…。

しかし、この2人が恋人ではなくて(でも仲良し)、駅で待ち合わせてこれから第3村に向かうのだとすれば、駅のホームでの会話も自然に受けとめられるような、そんな気がします。

抽象的な表現が無数にちりばめられ、大した説明も無いからこそ、語られていないエピソードを我々は自由に想像することができる。今はそれでいいんだと思います。

◇第3村の位置と電車の向かった方向
◇1番線に居たカヲル、レイ、アスカに関して
◇なぜDSSチョーカーあるの?簡単に取れるの?

などなど、いまだ不明な点もたくさんありますが、それは別の方の考察にお任せします。

☆今回のものを含めて、この考察が正しい。これこそが正解だ。というものは"無い"と思っています。

☆ただ、今までと違った視点から眺めることによって新たに視えてくるストーリーがあり、それを存分に楽しむことができるのがシンエヴァの凄いところでは無いでしょうか。

☆説明不足(しかも超重要な奴)な箇所が無数に散りばめられていて、それがこの物語を"難解にすると同時に自由"にしてくれています。

★結論①★
この考察が正解では無いかも知れない。でも、この視点から考えられるハッピーエンドが俺は好きです。なぜなら第3村にはミドリやサクラ、リツコも戻っているはずなので。

★結論②★
「分岐なんかするわけねえだろ!駅からでてきたのは間違いなくマリとシンジだ!」と思っていましたが…そういえばシンエヴァだけエンディングが2曲あるんですよね。

★結論③★
さよならはまた会うためのおまじない

きっと他にも、たくさん新しい発見があると思うので、また劇場で確認することになりそうです。

無駄に長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

それではオープンチャットの方でも、今後ともよろしくお願いします。

2021年5月22日 久遠

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★この文章は某オープンチャットのノートに投稿したものを管理者の方に許可をいただき、note.com に転載という形で公開させていただいております。
転載にあたり、若干のアレンジを加えてありますが、ほぼ原文のままです。
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