困ったなあ(別に困ってない)

昨日、うろ覚えでワッと描いた絵がけっこういい感じになって、それ自体は良いことなんだけど。そうなると、せっかくだしもうちょっとちゃんとするか?という欲がわいてきた。

しかし、うろ覚えで描いたものなので細部のディティールはめちゃくちゃで、直し始めるとキリがなさそうだし、おそらく形を整えていく過程でいま宿ってる良さも失われる。これは私が完成に向けた手順を踏むことをことごとくサボってきたせいで、清書・仕上げのスキルツリーが貧弱というのがまず大きい。が、それだけではなく、うろ覚えゆえに、曖昧なイメージの中から心地よい形を引っ張りだす、あるいは線の心地よさに頼って欠けたイメージを補完しているようなところがあり、正しい形に整えていく過程で、そういった心地よさは削って落とすことになる。ような気がする。

結局、うろ覚えのままゴリゴリして、色しばいて、飽きたので終了、という運びとなった。いつもの流れだ。で。せっかくなので、人に見てもらおうと思うのだが、そうすると今度はうろ覚えであることをどう示すかが問題となる。いや別に問題ではない。キャプションなりツイートなりに「うろ覚えで描いた○○です」と書けばいいだけだ。むしろ書かなくてもいい。示す必要もない。だって誰もそんなこと気にしないから。私以外は。でも、よりによって、他ならぬ自分が気になるのだから無視できない。

「うろ覚えです。」

どうだろう、この一言にどこか言い訳がましいカスの気配を感じるのは私だけだろうか。うろ覚えだから、そんなにきちんと描いたわけじゃないから。だからどうか。どうか至らぬ点にはお目こぼしくだせえと、素早くもみ手をこする、腑抜けの姿が浮かばないだろうか。しかもそいつは、へりくだる態度のその裏で、細かい点にさえ目をつむれば良いものだろうという、卑しい自信も持ち合わせている。うおおおお、許せねえ!!ぜってえ許せねえよな!!???なあ????なんで休日に絵を描いて、結構いい感じに描けたってだけの話なのに、なんっっでそんな許しがたいカスに身を落とさないといけないんだ!?おかしいだろ!!

……という逡巡をへて、iPadのストレージにまた一枚の絵が眠ることになりました。いつかどこかでヤッと投げます。Twitterとかで投げやりに上がってる絵はそういう葛藤と忘却を経て世に放たれてることに思いを馳せてもらえるとノイズになっていいかもしれませんね。もちろん毎回こうじゃなくて、ええやろ~~~って気持ちで投げてるときもあるし、まったく何も考えてないときもある。

とにかく投稿する=人の目に晒すといったん終わりになるのでよい。サンキュー社会。ハッピーインターネット。完成させないで、もっと良くして、と囁く宇多田のゴーストを祓いたまえ。つながるネットが俺の力だ!!

以上。

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