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『部品メーカー残酷物語』第三話 ©99right

第三話「……無い」

 折角「寮」の話になったので、華やかなバブル景気が過ぎ去った後の198X年に日本自動車業界でも最上位にいる○○自動車を筆頭にする○○グループの中の一社である当社の女子寮がどんな状況だったかと言うことを思い出しながら少し書いてみたい。

 この会社に入社すること。とりあえず最初は寮に入ること。それらはすべて自分自身で決めた。誰かから無理強いされたわけではないが、人事部からはそれなりの勧誘があったことも確かだ。「入社当初は給与も少ないから地方出身者ならとりあえず寮に入るとお金も貯まる」と、入社試験合格の連絡と同時に人事部からはそのように案内を受けた。もちろんその時点でこの会社のイメージはパンフレットに載っていた近代的で立派な技術棟だった。だから「寮」という言葉の響きにも私は新築鉄筋コンクリートの建屋のキラキラした一部屋を可愛いルームメイトと二人でシェアして住むのだろうと勝手に思い込んでいたのだ。

 大学時代の4年間、私は親元を離れ大学の近くに1DKのアパートを借りていた。正直かなり狭かったが、それでもベッドも押し入れも、トイレやシャワーにキッチンだってすべて自分のプライベイト空間だった。だからこそ1DKからタコ部屋への落差はあまりにも酷いと感じた。

 私はこの日を忘れない。
 寮生活についての注意事項を長々と偉そうに説明した大魔王が去った後、十二人用タコ部屋の二段ベッドの下、大魔王が決めたその一畳半ほどのスペースに私は重い荷物をドサりと置いて大きなため息をついた。使用感の残る敷布団を広げ、辛うじてここだけ真っ新なシーツを敷いてその上に寝ころぶと、手を伸ばせば届きそうな二段ベッドの底がギシリと鈍い軋み音をたてた。上の住人が寝返りを打ったらしい。ついでにオナラの音まで聞こえて来たので悲しくて涙が零れそうになった。

 私はこの時誓った。一年でここから抜け出してやると。それまでは覚悟を決め何が起きても驚かず、何をされても怯みはしない。
 あくまでも自分が選んだ会社であり寮であるし、グループ最下位といっても○○自動車のグループ会社であることに変わりはない。入社初日の私にこの会社の良いところが未だ見えていないのは仕方がない。絶対にこの会社にも希望はあるはずだ。

 入浴の時間になったことを確認してから、私はタオルと着替えを持って恐る恐る廊下の突き当りにある風呂場に向かった。時間も早かったので浴室は独り占めだった。湯舟に浸かって良い心地になり、今日一日のことを振り返って一人呟いた。
「まだ初日じゃないか! クヨクヨしてんじゃない!」
 そう口にしたら元気が出て来た。

 ホカホカに火照った身体の上にグレイのジャージを纏ってタコ部屋に戻った私は、自販機でお茶でも買おうと思って財布を仕舞ってあるはずの鞄のポケットのチャックを開けて手を入れた。

 「……無い……財布が無い」

 (続く)

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