はじめまして 自己紹介

まずは本記事を閲覧いただきありがとうございます。
都内でひっそりQAエンジニアをしている、無能と申します。

名前からしてそうですが、無能です。
何をしても足を引っ張って迷惑をかけまくり、根はネガティブなので、そのままの通り無能です。

ずっと興味はあったnoteですが、いざ実際に書くとなるとなかなか緊張しますねw
まず初めの投稿は、無能QAエンジニアができるまでのいきさつを語れればと思います。

なかなかこの年次だと波乱万丈な人生を送ってきていると自負しているので、最後までぜひお読みいただけますと幸いです。


まずは簡単に自己紹介

無能は1998年12月12日生まれ、2024年で26歳になります。
東京都葛飾区出身です。
渥美清主演の「男はつらいよ」の舞台、柴又でずっと育ってきました。
この話をして共感してもらえるのは、なかなか年齢層高い方ですが💦

趣味はおいしいもの食べたり、ひとり旅行したり、最近はひとりで深夜にドライブしたりしています。
夜に走るレインボーブリッジと東京ゲートブリッジは圧巻の景色で夜風が気持ちいですよ✨

現在は都内の某IT企業のSIer企業の中の品質事業部にて働いています。
毎日色んな知識やあたふたとしていると1日が終わってますね💦

無能の学生時代

無能はそもそも高卒です。大学なんて友達とキャンパス見に行ったくらいです。
今の会社は周り見ると大卒の子が多いので肩身が狭いですw

高校の頃は日本で有数な鉄道が学べる高校に通っており、高校卒業したら鉄道会社で働きたいと思っていました。
まあ無能なので、学力も下の中くらいでした。
鉄道会社を2社受けましたが、数社2次選考くらいまで残りましたが、ここでも無能っぷりを発揮し、不採用。
結果として、空港のグランドハンドリングスタッフ(地上支援作業員)の会社に就職が決まりました。

高校から卒業して右も左もわからないまま、あっというまの社会人のスタートでした。

無能の1社目と挫折

先述した通り、グランドハンドリングスタッフ(地上作業支援員)として働き始めました。
主な仕事はトラックやちっさいカートにコンテナを乗せたドーリーと呼ばれるものを運転して
出発便の場合は、飛行機の横まで運搬し、飛行機に乗せる
到着便の場合は、到着した飛行機からコンテナや荷物を降ろして、飛行機のターンテーブル裏まで運転して運ぶ
感じの仕事をしていました。
3勤交代制なので、早番だと始発電車、遅番だと10時~12時業務スタート、泊まりのときは15時から24時半まで作業して、翌朝5時から11時半まで勤務と、なかなかハードでした。
空港の中を走るための免許がいるらしく、その資格はなんとかとれたのですが、大変なのが現場でした💦
OJTで先輩について一緒に学んでいくのですが、基本動作だったり手順だったりを必死に覚える毎日。
仕事が終わっても、家に帰ってからも復習していました。
特にOJTについた先輩とは合わず、非常に強い口調で注意されたり、高圧的な態度をとられることもしばしば…

そのうち仕事に行くたびに緊張してしまい、出社前に吐き気がとまらなくなり、えづいてしまうようになってしまい、おなかを壊して業務開始1時間前には職場についてトイレにこもるのを3か月くらい続いていました。

まあ無能なので、仕事に一生懸命についていかなくちゃ、人よりできないからもっと追いつかなくちゃ、という気持ちでありとあらゆる症状を抑え込んでいましたが、当然ですが人間なのですぐ脆さはでてしまいます。

かかりつけ医からもらっている胃痛薬が半年近く効かないため、心療内科を紹介されました。

心療内科に行く頃には仕事行く前のメンタルはボロボロで、先述した症状に毎日泣いて泣いて泣きまくって、仕事のことが脳裏から離れず、不眠症になってしまっていました。
そんなときに心療内科の診断結果は

適応障害です。と。

高校卒業してすぐのときは自分は絶対メンタル的な病気にはならん!という謎の自信を持っていましたが、自分の一生懸命がこんなにも我慢して、つらくて、どうしようもなく辛くて、というギャップにも非常に当時は悩みました。

その後は会社に隠しながら睡眠薬を飲みながら運転の業務をしていましたが、ある日決意をもって上司に現状を話したときに「すぐ休職しなさい!」と言われ、1ヶ月休養しました。

母方の祖母が伊豆大島出身ということもあり、都会の喧騒や雑踏を忘れ、自然豊かな島で過ごしたり、コロナ禍前まで趣味になったカフェ巡りにも出会ったりと、ターニングポイント的なこともありました。

復職後は部署異動になり、今度は貨物の運搬になりました。
前の部署では運転ばっちりとの触れ込みだったので、それが後々響くのですが、かなりプレッシャーに感じました。

新しい部署でもやることを覚えられず、苦しい毎日。
だんだん部署移動前と同じ症状で悩まされるようになり、ある日上司に大きい声で「ふざけんなよ!」と叫ばれたときに気持ちがプツンと切れてしまいました。

2度目の休職を経て、最後はひっそりと退職しました。
高校卒業してから8か月目です。

書いててもうおなか一杯感ありますが、まだありますw

無能の2社目と挫折

1社目は空港で通勤に1時間半近くかかったので、夜勤がなく、近所でやりたい仕事を探したいと思い、区内では有名な鉛筆工場に入社しました。(テレビ取材経験めちゃあります)

小学校の時に社会科学で会社を訪れたこともあり、モノづくりは手先は不器用ながら好きだったこと、ずっと文房具が好きだったこともあり、自分にマッチするのでは?と思い入社しました。

各工程を経験ののち、木工部に配属になりました。
鉛筆ができるまではざっくりとこんなイメージです。
木工:木から鉛筆の型を造り出す、芯を入れて型をはめて鉛筆の原型をつくる、不要なところはカットする
塗り:色鉛筆などをイメージするとわかりやすいですが、鉛筆に色を何度も何度も重ね塗りをして色を付けていく
加工:色鉛筆をイメージするとわかりやすいですが、削った状態で出品するために色分けや削ったり細かい加工を施していく
梱包:通常の鉛筆は1ダース12本なので、数えて箱や袋に梱包していく作業

この中だと塗りが一番楽しかったですね、有機溶剤使うので臭いがきつい人はだめですが…
梱包のところは家族経営の専務の奥さんにいびられまくって居心地悪くて最悪w

で、肝心の木工部の一番長の人は、自称「5分で機嫌が変わる人」とのことで、
自分が作業をして確認してもらう度にニコニコしたり、急に怒り出したり、最後までついていけなかったです…
よくある職人気質タイプの人ですね。自分には全く合いませんでした。
また前職と同様、怒られる怖さから、朝の吐き気、胃痛、えづきがとまらなくなり、
またまた休職ののち、退職。
これが2018年1月~5月までのできごと

ちょっと無能、体調崩しすぎじゃね?

精神的に弱いこと、辛いことにはすぐ体に体調が悪化してしまうこと、
なかなか今まで頑張ることにしか目を向けてこれなくて、少し休む時間が欲しいと思い、
1年間は無職していました。
厳密に言えば、就労移行支援事業所というところに通っていました。
興味ある人は調べてみていただけると!

半年くらい経つと体調が安定してきたため、就活をはじめていくうちに現在の会社の間接部門の採用があり、入社するに至りました。
過去あった適応障害の診断や、何度か休職していることも理解いただいたうえでの採用でしたが、
最初は時短勤務からのスタートでした。

無能3社目 いろいろ経験積む

2019年4月から現業に入社しました。
当時は接部門での採用と先述しましたが、やってることは総務兼人事兼労務兼情シスみたいな役割でした。
具体的には
総務
・名刺作成
・入退館者リスト確認
・備品整理、購入

人事
・採用関連資料の印刷
・人事ブログの小ネタ探し

労務
・ハロワーク提出資料の代理
・個人宛に会社からの書類を郵便局に出しに行く
・通勤費申請の経路確認、ダブルチェック、支払額確認

情シス
・不要なPCをばらす
・会社で新規で購入したPCの受け入れ

多岐に渡る部門のお手伝いをしてきました。

今まで経験してきた会社とは異なり、上司の方も親身になって話を聞いてくれる、
定期的に1on1とかで困っていることや仕事のフィードバックをもらえること、
そういう仕組み、体制があるのがさすがIT企業…みたいなイメージを持っていました。

働いていく中でOfficeもまともに使ったことない自分に手取り足取り使い方を教えていただいた上司には今でも頭があがらないですw
現場職でしか生きてこなかった自分にとって、サラリーマンとしての基礎はだいぶ上司に教わりました。

そんな中で、避けられない話題としてコロナ禍がありました。
勤給事態制限下では、自分の課は出社日数も減ってしまい、かなり困ってしまった反面、
人事の新卒採用と協力して、対面で色々やっていたものを動画などを作成してお手伝いすることになり
新卒採用の研修内容を動画形式に直したり、先輩社員コメントを動画にして編集したりと人事部と密に仕事を行うことにより、業務で感謝される機会が非常に増えたような気がしています。い
今思うとピンチはチャンス?なのかな?

2021年には会社の引っ越しが決まり、自分が主担当となり、5人くらいのメンバーとともに
移転にあたっていらない資料の電子化をお任せいただき、リーダー的ポジションで業務フローを考えたり、各メンバーに指示出したりをしました。
これまたリーダーも初の経験なので、メンバーが業務がうまくいかなかったり、人が足りなかったり、間に合うか怪しかったりと、リーダーとしての基本が若干身についたような気がしています。
とにかく困ったらすぐ上にエスカレーションあげること、本人に寄り添って困ってることをヒアリングしてあげること、苦手を得意に何か活かせないか一緒に模索すること、上司と相談して業務適正についてメンバー全員に話したのは今でもいい経験だと思っています。

そんなこんなで2022年になり、品質事業が人が足りないということで、無能に異動の話が舞い込んできました。
うちの会社はマネージドサービスも行っているので、どちらかの部署異動が濃厚とのことでしたが、SIerで開発に少しでも身近かつ、テストの魅力を現在の上司の方に非常に熱意をもって説明いただき、品質事業へ異動を決めました。

ここまでが、無能の過ごした20223年までのお話です。
2022年と2023年については次の投稿で語れればと思います。

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