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おっきいおばあちゃん

自分が思いのほか「孤独に弱い」ことを最近自覚し、強制的にうるさい環境を作るために毎晩フワちゃんのラジオを初回から順に聞いている。
さっき聞いていたラジオが「6月13日」に放送された回だと気づいた瞬間、頭に浮かんだ人がいた。

父方の曾祖母、通称「おっきいおばあちゃん」。
私の記憶上、曾祖母のことをひいおばあちゃんと呼んだ記憶はない。
それは、ほかの曾祖母と呼び名が被るからではなく、誰のことも「ひいおばあちゃん」と呼ばない家に生まれ育ったからだと思う。
今回の話には出てこないが、母方の曾祖母は通称「ちっちゃいおばあちゃん」。なんで大小揃ってんだ。

6月13日という日付でおっきいおばあちゃんを思い出したのは、6月13日が誕生日だからではないし、おっきいおばあちゃんがBTSのファンだからというわけではない(BTSのデビュー日が6月13日)。

6月13日は命日なのだ、おっきいおばあちゃんの。

なぜ「おっきいおばあちゃん」と呼んでいたかというと、シンプルに身体が大きな人だったから。だと思う。祖母も母も「おっきいおばあちゃん」と呼んでいたから私も呼んでいただけで、真意は知らないけどたぶんそう。でももしかしたら、心の器が大きいという意味で「おっきい」と呼んでいた可能性もあり得る。20年以上前の記憶だけど、すんごく優しかったから。

私が祖母と内緒でおっきいおばあちゃんの家を訪れ、門から縁側に回って(セキュリティがばがば)うたた寝していたおっきいおばあちゃんに「わぁ!!!!」と突撃訪問した。おっきいおばあちゃんはとんでもなく驚いて聞いたこともない声を出していたけど、大爆笑して私が突然来たことをとても喜んでくれた。なお「歳も歳だから心臓に負担をかけるようなことしないの」と、その後母からちゃんとお叱りいただいた(そりゃそうだ)。

おっきいおばあちゃんには定位置があった。
「昭和 回転する座椅子」で検索すると一発で出てくるこれ↓に座っていた。毎回、訪ねるたびにいつも。

正式名称はラタンチェアということを今知った。

前述のとおり、ハウルの動く城に出てくる荒れ地の魔女並みに身体が大きいので(顔は全然荒れ地の魔女じゃない、むしろあれ、なんだっけ主人公の、あれ、ソフィーおばあちゃんVer.に似てる!)、耐荷重が心配だった。のに全然壊れないでおっきいおばあちゃんが寿命を全うするまで現役だった。100人乗っても大丈夫かもしれない(最近CM見ないけど元気ですかイナバの物置さん)。

当時すでに90歳ぐらいだったし、身体も大きいので一緒にお出かけしたことはない。ただお話をしていた。一方的に私が話していた、に近いかもしれない。the古民家だったから、我が家にも祖母の家にもない縁側があって、そこでお話をするのが楽しかったということだけは覚えている。おっきいおばあちゃんの家に行く日はほぼ晴れていた。逆におっきいおばあちゃんが亡くなった20年ほど前の6月13日は雨が降っていた。「空も悲しんでいるんだよ」と母に言われて、それからは大人になるまで、雨が降るとどこかで誰かの大切な人が旅立ったのかなと感じていた。大人になるとそんなこと考える余裕や余白がなくなっていることに気づき、それもまたなんだか、悲しい。

私にとって身内の死は、おっきいおばあちゃんが初めてだった。
あんなに大きなおばあちゃんがこんなに小さくなるのかと、骨と灰を見たときに思った。お骨は祖母と一緒に拾った。
大好きな人が死んでしまうと悲しい、ということを、そのとき初めて実感して、泣いた。

あの縁側にはいつしか行く機会がなくなり、リフォームしたため縁側もないらしい。寂しいけど経年劣化には勝てない。

おっきいおばあちゃん、大正生まれにもかかわらず「さき」ちゃんというお名前で、当時だとハイカラな名前だったんじゃないかなと思う。
名前でいうと、おっきいおばあちゃんは最後まで私の名前を間違えて覚えていた。仕方ない、私の名前も平成にしてはハイカラだったから。

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