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【90年代小説】 シトラスの暗号 #11

※この作品は1990年代を舞台にしています。作品中に登場する名称、商品、価格、流行、世相、クラス編成、カリキュラム、野球部の戦績などは当時のものです。ご了承ください。
※文中 †ナンバーをふったアイテムは文末に参考画像を付けました。



1話から

 接続中を示すプップッという音がしばらく続いた後、呼び出し音に切り替わった。
 1回……2回……3回……4回。
「はい、織田です」
「あ! 先生? 水木です! 6組の水木清香!」
「ああ、清香ちゃんね。お電話ありがとう」
 ガクッ。いきなり力が抜けた。
「『ちゃん』付けはやめてください!」
「え、清香、でいいの?」
「良くありません!」
 信じらんない。神経切れてるわこいつ。
「怒るなって。冗談だよ」
 冗談ですむかっつーの。
「ちょうど良かった。今テストの採点してたんだ。おめでとう、100点です」
 パチパチパチ。電話の向こうで手を叩く音が聞こえた。
「はあ、それはどうも」
 別にうれしくなかった。問題は簡単だったから、授業を聞いていればできて当たり前だもの。ただし、きちんと聞いていれば、の話。
「中間の平均点低かったから、ちょっと易しくしたんだけどね。それでも100点はたいして居ないなあ。君のクラスは3人だったかな。女子は君ひとり」
 前回トップだった滝沢くんは当然として、あとひとりは誰だろう。五十嵐くん? 畠山くんかな。30人も居ると、とっさに思い出せない。
「で、どこ狙う? 親御さんがいいなら私学でもいいけど、国立も受けてみたら? 工学部よりは理学部だよね。君は数学が得意だから、数学科も面白いかも」
 またひとりでしゃべってる。
 それにしても、どうしてみんな大学大学って言うのかしら。わたしは行きたくないって言ってるのに。ディズニーランドだったら毎日通ってもいいんだけど。
「違うんです、先生。わたし困ってるの。メチャメチャ困ってるの。聞いてくれる?」
「なんでしょう?」
「今、友達と新宿に居るんだけど。変なやつらにナンパされちゃって、そいつんちに連れていかれそうなの」
「またナンパ……。いい加減懲りてくださいよ」
「ゴメンナサイ」
 しおらしくお返事をした。こういう場合、素直に謝っておいた方がポイント高いと思う。
「ねえ、どうしたらいいと思う? 友達はもう行く気になっちゃってるの。でも、行ったら絶対やられちゃうでしょ?」
「そうだろうねー。体中穴だらけにされちゃうかもねー。ヤダーこわーい」
 ……またバグってる。いや、実はこれがデフォルトだとか?
「穴だらけって何?」
「恐ろしくて言えません」
「何よそれ。先生助けて!」
「ちょっとは痛い目見ないと君は懲りなそうだよ」
「だからってほっとくの?」
「俺君の保護者じゃないし」
「ひどい! じゃあ深夜の歌舞伎町をひとりで歩いてたわたしが、ヤクザにかどわかされちゃったとしたら?きっとシャブ漬けにされて吉原かどっかに売られちゃうんだわ!」
「うーん……」
 何か考えてる沈黙。
「そういうとこって行ったことないから抵抗あるんだけど。お店の名前教えてくれたら、1回くらいは行ってあげてもいいよ?」
「真面目に聞いてよ!!」
 電話に向かって怒鳴りつけてしまった。ダメじゃん! お願いしてるのはこっちなんだから。それを忘れずに、穏便に、よ。
「で、どうしろと?」
「助けに来てください。車で迎えに来て」
 無理矢理笑顔を作って言った。電話だから見えないなんて思ったら大間違い。態度や表情なんて、声の調子で全部伝わっちゃうんだから。
「お父さんに頼めば?」
「こんなの親にバレたら外出禁止になるわ。他に頼れる人が居ないの。一生のお願い」
「だからって教師を使う? 何様ですかね君は」
「水木清香姫様ですっ」
 ああ、切羽詰まってわたしまでバグってきた。
 電話の向こうでプッと笑う声が聞こえた。
「ああそうなのー。姫様じゃ仕方ないですねー」
「来てくれるの?」
「高くつくよ」
「お金取るわけ?」
「お金じゃないものを」
「何?」
「そうだねえ、君のハートかな」
 ぶっっ。普通にオヤジギャグ。
「どの辺に居るの?」
「コマ劇場の近く。ビルの2階の居酒屋」
「コマのチケット売場わかる?」
「うん」
「その前に居て。30分後くらいかな。あ、どんな服着てる?」
「ワンピース。ベージュで、リボンとフリルが付いてる」
「マジでお姫様だな」
「だから言ったでしょ」


 電話を終えて席に戻ると、男ふたりはやる気満々で、既に支払いを済ませて、わたしが来るのを待っていた。
 初世は目をトロンとさせて、キムラくんとふたり、耳許で何やら囁き合っている。
「トイレ長いねー、サヤカ姫」
 初世たちにあてられたのか、顔にアセリの見えるナカイくんが、図々しくもわたしの肩に腕を回してきた。
「あのね、わたし帰るわ。車で迎えが来るから」
「エー、もしかしてカレシとか?」
「まあ、そんなようなもの。だから、バイバイ」
 そう言って別れようとしたのに、わたしの腕を握って離さない。このっ、たわけ者! 気安く触るんじゃないっての。助けてドラえもん!

 電話で指定された場所で待ってる間も、わたしはナカイくんに捕獲されたまま。うざったいわね。わたしはポケモンじゃないんだから!
「放してよ。わたしのことはほっといて、3人で帰ればいいじゃない」
「そりゃイカンよ。俺、サヤカ姫のこと心配だしさ。どんな男かチェック入れてさ、ダッセーやつだったら、俺がソッコーゲットしちゃうぜ、みたいな?」
 はいはい、言うだけはタダよね。もう少し自分というものを知ってほしいわ。
 初世は初世で、わたしのことなんか†53ウトオブ眼中。天下の往来だというのにキムラくんとベタベタイチャイチャ。ちょっと、こんな所で路チューはやめてよ! 恥ずかしいったらありゃしない。ワールド建設しないでちょうだい。
 マジキレ5秒前! てな心境になっていた時、目の前をクリーム色のBM†54Wが通り過ぎて、歩道の切り下げに乗り上げて止まった。
 ドアを開けて出てきたのは、ミラーのサングラスをかけた男の人。左手ポケット、右手で車のキーをチャラチャラ言わせながらこちらに歩いてくる。
 この時間にサングラスって、怪しい人か芸能人? と思いながら見ていたら、わたしたちの前で立ち止まった。
「清香がお世話になったそうで。どうもすみませんでした。ありがとうございます」
 言いながら、わたしをナカイくんから引き剥がす。背中から腕を回してわたしをホールドした。
「ほら、清香もお礼言って」
 頭を押されて「ご、ごちそうさまでした」と小さく言う。
「て言うか、あの、えっと……」
 うろたえているナカイくんには構わずに、
「じゃ、失礼します。帰るよ清香」
 わたしの肩をガッツリ掴んできびすを返した。
「あの、ありがとう」
「どういたしまして」
「夜なのにサングラス?」 
「ああ、これね。車に乗せてるやつだけど。誰がどこで見てるかわからないでしょ。俺契約社員だから、不祥事起こすと簡単に首切られちゃうのよ」
「不祥事? 夜中に歌舞伎町?」
「夜中に歌舞伎町で、君とふたりで居ること」
 そっか。わたしのせいだ。
「もしクビになったらどうするの?」
「クビになったらー? そうだねー、清香ちゃん、責任取ってお嫁にもらってくれる?」
 よ、嫁!!!???
「俺掃除洗濯アイロン掛け得意だよ。バイト時代に散々やらされたから、トイレ掃除超得意」
「か、考えときます」
「あははははは! もし不純異性交遊を疑われても、君は被害者だからね。無罪放免」
「そうなの? わたしのせいなのに?」
「青少年の保護だよ」
「変なの」
「だから、きちんと考えて行動して」
「……はい」
「いいお返事です」

「どうぞ、ユアハイネス」
 先生は助手席のドアを開けてくれて、わたしが乗り込む時に「頭ぶつけないようにね」と、手でガードしてくれた。
 そんなことされたのは初めてで、ドギマギしてしまった。この人、前世は執事かなんか!?
 エンジンをかけると、カーステレオからFMラジオが流れてきた。
「狭い車で窮屈でしょうが、お許しください」
「十分広いじゃない」
「いやいや、姫様は普段リムジンかなんかにお乗りでしょ?」
「うちの車はずーっと†55ローラよ」
「カローラのリムジン? 渋いな」
 おちょくられてる……。
「で、姫様はどこの宮殿にお住まいですか?」
 うちは駅からバスで30分、バス停から歩いて15分の畑の中の4DKよ。宮殿にはほど遠い……って考えて、ハタと気付いた。
 わたし、今夜帰る場所がない!
「先生、ひとり暮らしよね?」
「はい、そうですが」
「泊めてください!」
「は? 車? 止めるの?」
「じゃなくて! 今晩、泊めてください! お願いします!」
「……はあ?」
 本当に車を止めた。

「なんでそうなる?」
「親には友達の家に泊まるって言ってきちゃったの。なのに今から帰ったら、絶対絶対怪しまれちゃうと思うの。夜中に行ける場所もないし」
「でも、なんで俺んち?」
「じゃあ、このままラブホ行く?」
「うわあやめてクビだ」
 先生は情けない声を上げてハンドルに突っ伏した。
「それ脅迫じゃない?」
「人聞きの悪いこと言わないでください」
「俺の部屋狭いし、布団も1組しかないし」
「うちの親って、超ムカつくのよね。お前は勉強さえしてればいいんだ、みたいな感じで」
「他の住人に見られたら、俺立場ないじゃん? 隣の人、俺が高校の先生やってるって知ってるんだから」
「なのにさ、いっくらいい成績取ったって、ほめてくれたことなんか1度もないのよ。そのくせ、ちょっとでも順位が下がるとすっごく怒られるの」
「俺だってほら、一応男なんだし」
「弟なんかさ、バレーばっかりやってて、わたしよりずっと頭悪いのに、成績のことで怒られたことないのよ。わたしってかわいそうだと思わない?」
「人の話を聞きなさい」
 そりゃあ、気持ちはわかるけど。でもわたしだって絶体絶命のピンチなんだから。
「一生のお願いは、もう聞いてあげたでしょ?」
「だって、お願いって普通3つ叶えてもらえるものでしょ?」
「……天才か」
 あまりにも強引な理屈に呆れたのか、大きなため息をつくと、ひとり言みたいに言った。
「リアル†56ン王女かよ」
「何?」
「なんでもない。東京タワー見に行く?」
 首都高から見る東京タワーの夜景。それは渋谷で会った時にわたしがした、最初のお願いだった。



90年代後半に最も流行った若者言葉。『頭文字D』の岩城清次のセリフでも有名


BMW E36 ダカールイエロー


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