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いつだってあの人は競馬場で会えるんだ

※ミスターシービー育成ストーリーのスクリーンショットなどがありネタバレになると思います
※育成で見てない方やネタバレが嫌いな方はご注意ください


ミスターシービーがウマ娘に実装されなんとか欲しくてガチャを回した。雨の中を走りぬけて風になるよう自由に走る彼女はとても美しいウマ娘だ。
このときになって私はやっとキャラストーリーを見た。

ミスターシービーキャラストーリー

「お前は一体何者なのだ」
私の脳裏に一瞬にして学生時代に出会った尊敬し追いかけていた劇作家を思い出した。
寺山修司。
劇作家であり、小説家、詩人であり競馬評論家。彼の作る詩は底しれない力を感じた、彼の作る劇は今でも誰かが演じている、彼の作った小説は今も誰かが読んでいる。
恥ずかしながら私は精神をよく病んでしまい病院にかかることが度々あるのだがそこの歳を感じさせるお医者さんに「君の年齢で寺山修司を知ってるのは初めてだよ」と驚かれたことも少し思い出す。
初めに見たのは「田園に死す」で白塗りの少年、若い頃の怪しい色気のある八千草薫、本物の見世物小屋などを見て衝撃を受けた。こんな世界があっていいんだ、と。
それこそミスターシービーのストーリーにあるような「彼女と出会わなければきっと知らなかっただろう」という部分に似た気持ちになった。私は寺山修司に出逢ったから、アングラ演劇を見る趣味や映画の趣味、絵を描くこと、小説を書くこと様々なことを知ったのだ。
だが若い私にはその時競馬場へは行けなかった。熊本には競馬場がもう無い。寺山修司は競馬場で逢おうと言ってたのに、とお金がない苦学生の私は涙したものだった。

寺山修司の作品を集めつつ、地元のアングラ演劇をする方々と寺山修司を語り、映画を見て創作を重ねる日々にある日面白いアニメが目に入る。それこそがウマ娘アニメ一期だった。名前だけではあるがミスターシービーも出るしなによりみんなかわいいと思って放送を待った。
始まってみればかわいい擬人化の皮を被ったスポ根でなおかつ熱いドラマで溢れていた。凄い!凄い凄い!すでにゲームが待ち遠しい!と私はアニメの設定資料集やローソンコラボのクリアファイルをアホほど購入し待ち続けた。

懐かしのローソンコラボ、4セット買っていたらしい

その後はみんな知っての通り、うまよんの連載やぱかチューブでウマ娘は細々とコンテンツを継続させていたがやはりアプリの不発もあるかもしれないと不安にもなった。
やがて数年後、まさかのアニメ2期にアプリの配信と忙しい時期に突入した。
先程にも書いたように熊本には競馬場がない。いや、無くなった。かつては荒尾競馬場という場所があったのだが2011年に閉鎖している(だが馬券は買える)ので行くとすれば1番近くて小倉競馬場になる。
だが、熊本からだと高速道路→新幹線と乗り継ぐ大移動。私が馬券を買うのが上手ければ交通費稼いでチャラにできるのだがいかんせん下手くそなんでトントンにしかならない。小倉競馬場に行くというフォロワーに誘われて夏の競馬場へ行くことができ実に楽しかった。

やはり本場はテンションが上がる

やっと私は競馬場に足を運ぶことができたのだ。嬉しかった。まぁ馬券は記念に好きなだけ持って帰れたので良しとしよう。

そんなふうにアニメ2期もおわり、アプリの配信で一気にウマ娘の人口が増えたのはびっくりした。最初にフォロワーに勧めても無反応だったのに今や「流行ってますよね、やってみます!」という返事に変貌している。大成功であることに私は嬉しくなった。

私の見るYou Tubeやtwitterの情報で2月24日寺山修司40周年という広告やツイートを見るようになりいつになっても寺山修司は注目されまた誰かに影響を与えている。
私は寺山修司を思い出すことをしない。「思い出すということは忘れるということ」だからだ。ふとした日常の合間にさらりと言葉が生まれ拾うとなぜだか寺山修司を近くに感じる。それほどまでに私の体には寺山修司という血が混じっていた。

さて開始された2ndアニバーサリーにはかなり楽しみにワクワクした。ミスターシービーもだが同時に実装が決まったツインターボも好きなのでかなりテンションが上がった。元からないジュエルを湯水のように使い殻になった財布の底で幸せそうに育成する自分を見た。
そしていよいよミスターシービーの育成を始めた。
育成し出来るなら二つ名が欲しいからまずは皐月賞だと意気込んでレースを見れば彼女は強かった。
自然と口から「強いねぇ」と出ていたがあとの言葉を外でもないアプリから流れてきた。

スーツの解説者

あぁ、貴方は、やっぱり競馬場にいたんだ。
涙が止まらなくなり、この画面から1時間は動けないまま泣きじゃくった。この世界の寺山修司は解説者をやっている、評論家ではなく解説者なんだ。時代がごちゃついた世界観だから彼がこの世界で何をしてるかはわからないがきっとどこにいても寺山修司は寺山修司なんだ。解説者としているならばきっと体も健康なはず、そう思うと私はこの世界がさらに羨ましく感じた。
これから沢山のウマ娘たちがドラマを作る、そうすれば寺山修司はまた詩を、短歌を、書くんだろう。夢みたいな話だ。もしかしたらルドルフに対しても書いたかもしれない。なんなら大逃げ娘のツインターボについて書いてたかもしれない。だってこの世界の寺山修司は生きている。

そして育成ストーリーを見終わってグッドエンディングを考えた。シービーが問いかけるセリフで終わるエンディングだ。いつものウマ娘なら私達トレーナーの言葉やウマ娘の思い、ナレーションなどが入って終わるような気がする。だがシービーのエンディングは問いかけて終わりなのだ。
私はここにも寺山修司を感じた。寺山修司は言っていた、「私達はどんな場合でも、劇を半分までしか作ることができない。あとの半分は観客が作るのだ。」と。シービーの問いかけに対して私達トレーナーの言葉や行動でこの物語を続けるのも終わらせるのも自由だしそれが完成となる。いやぁ本当に、シービーのストーリーを作った人はどれだけシービーの史実と寺山修司を読み込んだんだろう?言っちゃえばソシャゲの一部の短い話だし確かにストーリーも重要だがメインは育成だ。だがどのウマ娘のストーリーも手を抜かずに作り込まれていて魅入ってしまう。

何度も育成して気づいたのだが確かに寺山修司を感じるんだがそれとは別でミスターシービーという気高いウマ娘がしっかりと自分を持って走っていることに気づく。
こういうストーリーであるならいつの間にか寺山修司に影響されたチープな性格のブレたキャラができてしまいそうなもんだが全く違う。そこには「ミスターシービーに魅入った寺山修司」と「自由に走り抜けたミスターシービー」の役者がしっかりと立っている。誰にも流されない、自分の道を作り走ることができるシービーの存在はあまりにも強い。これは素晴らしいとため息をついてしまった。


田園に死すのDVDは5枚目である

ウマ娘というコンテンツに幾度となく泣かされ驚かされ幸せにしてもらった、本当に今回のミスターシービーの育成ストーリーに関しては感謝し脱帽した。素晴らしいストーリーを作っていただきありがとうございます。
2018年のアニメ一期から根気強く待ったかいがありました。


ついでにトレーナー名刺


IDは自慢の3桁の126 271 703

ミスターシービーが菊花賞を走りぬけて三冠を手にしたとき、私はレース場に通ううちに仲良くなったスーツの男性に興奮気味に言うと思う。
「修司さん、ミスターシービーが三冠を取りましたよ!」


おわり



追記

旅路の果て

シービーのお部屋に飾られてるであろう、寺山修司の旅路の果てを手に入れました✌

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