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かなわないなぁ

今日は話したいことがあるの。
いつもnoteはなんかかしこまっちゃうから、今回はあえてお手紙っぽく書いてみるね。

3週間、ラオス・タイに行ってきたよ。
英語話せない!換金できない!道路渡れない!野犬の怖さを知らない!とたくさんの弱さをさらけ出しちゃって「自分の弱さに直面する旅」だったんだけど、私はそんな自分の弱さが好きだったりするんだ。

人と関わり合ったり、世界と触れ合ったとき
「わーーーーーなんて!すごい!かなわない!私、ちっぽけ!」と思った時が、心地よい無力感を感じた時が、一番「生きてるな」って感じるよ。
一見ネガティブに見える「私、ちっぽけ!」にはたくさんの喜びが詰まってる。その輪郭に触れて圧倒されたことが嬉しい。圧倒させられたことが嬉しいんだ。

「人との関わりの中で、あっと言わせたい?あっと言わせられたい?」
という話をしたことがあって。言い換えると、驚かせたい?驚きたい?なのかな。作用したい?作用されたい?でもいいかもしれない。
私は、「あっと言わせられたい」人だったよ。

ちょうどおねむねむラジオ(pod cast)の第一回配信をした時で、友達がそのラジオの感想をていねいに、細かく、送ってくれたの。
私はその文面を読んだ時ふわっと胸が熱くなるような気持ちになった。あぁなんだかとってもその子だなぁ、ていねいでしっかり受け止めてくれる、その子らしさを強く感じて、その優しさが嬉しくて、「かなわないなぁ」って思ったよ。その友達の輪郭?形?存在?を感じて、嬉しくて笑った。
「かなわないなぁ」は、感謝の気持ちに分類されると思うけど、それ以上にその人らしさに圧倒された喜びもあるかも。

人との関わりの中で、誰かに作用されることが嬉しい。
その人らしさに触れて、胸が熱くなって、コントラストとして自分の形も見えたりして、気づかないうちに影響を受けて表面が柔らかくゆれ動く何かのように変容していくことが、その人と出会えたことで起こったその現象が、とっても嬉しいな。
私の弱さは、多分その変容の隙間を作ってると思うから、私はその隙間が愛おしいよ。

ラオス・タイ旅でも、そんな瞬間はあったよ。
大きな大きな愛に触れて、その大きさに圧倒されて、自分が少し恥ずかしくなって、でもすぐに「あぁ、かなわないなぁ」って嬉しくなった。そういう優しさの形があることを知れたことが嬉しかった。圧倒されたことが嬉しかった。私まだまだだなと感じながら、満たされる感覚があった。すごく素敵なものを知ることができた喜びがあったよ。

日々戸惑いも悲しみもあるんだけど
かなわないなって思いながら満たされる瞬間があるから
弱くて不安定なままでもいっか、って思えるよ。

読んでくれてありがとう。


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