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日焼け跡


幸せって大したもんじゃないらしい。

幸せだなと思うことが格段に増えた。「いつも幸せでいてね」という言葉をかけるのもかけてもらうのも負担を感じていたのは世間が言う「幸せ」の形に共感ができなかったからで、大丈夫なら幸せだと思えなくたっていいと思っていたからで、そして幸せが怖かったからだ。

私は今エネルギーに満ち溢れている。奮い立たされるような感覚がいつもじんわりとあるみたいな日々。その大きな源は他でもないキムミンギュだ。私はいろんなものを享受しているし、そうして生かされている。
自分を取り戻すための2年を過ごしてもう余生くらい穏やかで、毎日キムミンギュのことを想ってはあまりにも好きで驚愕したり爆笑したり感極まったりしてそういう嬉しい感情で目まぐるしい日々。
好きなものがわからなくなったから肌触りの悪いものを遠ざけることでなんとか自分の形を保ってきたわけだけど、もちろん安心するものだけで固められた生活は穏やかそのものだが、なんとなく物足りなさのようなものを感じていた。そんな中で親愛なるキムミンギュはある番組で「個人的な目標は?」と聞かれ、こう答えていた。

僕を探していくこと。
今の自分が望んでいること、5年後自分はどうなっていたいか、自分がしたいことは何なのかということを、ちゃんとわかっていく年にしたいです。

요정채형


その言葉の前にあったのは、SEVENTEENが続いていくことへの確固たる自信だった。
私が感じていた物足りなさは新しいことを始めたいという胸の高鳴りにも等しく、そこに辿り着けたのは身の回りにあるものを整えて、物事の距離感をうまく掴めるようになったからだ。
これまで自分がきちんと選んできた上での"環境"に身を委ねること。そうして改めて自分自身にフォーカスが向くこと。「諦観」にはふたつ意味があるが、全体を見通して本質を見極める、の方の諦観。重なる部分があった。


SEVENTEENは10ヶ月の間ツアーをしてくれていた。人生9,000年時代(CARATの宿命)と考えれば10ヶ月なんて一瞬かもしれないけど、今を生きている私たちにとっては十分長い期間だ。おかげさまで私は私の人生を歩む中で好きな人に会いにいける機会があった。

私の願望に反してコンサートのチケットは一枚しか手に入らなかったけれど、5月18日のサウンドチェックイベントに参加させてもらうことになった。毎晩眠りにつこうとしても目をかっぴらいてしまう程度には緊張した。これまでのオタク人生、アリーナ席に入ったことがなく、SEVENTEENを好きになってからも注釈・ステサイ・天井のどれかで、肉眼で彼らを見られる位置に降り立ったことはないのである。(お見送り会にはいったけれど、あれはまた少し別の話で………)

キムミンギュに伝えたいことがある。ずっと。
いつだったか私だけのアイラブユーを伝えたいと書いたことがあるが、常に模索中だ。その時々で私の心の真っ直ぐな気持ちのそのままを伝えたい。そのチャンスである。お見送り会のリベンジとも言えるだろう。座席は前日までわからないし(前日にわかることも知らなかったけど)5〜6万人を収容するスタジアムでの3000人と考えれば少ない気がするけど、学校で言えば100クラスもある。期待はしないように、と思いつつ。

ここで触れておきたいのがHIPHOP TEAMのLALALIのMV/パフォーマンスだ。

SEVENTEEN(세븐틴) 'LALALI' Official MV
SEVENTEEN(세븐틴)-LALALI @SEVENTEEN TOUR 'FOLLOW' AGAIN TO SEOUL


世界中にキスマークがついた地球を背に「전 세계 Fan 다 Love」と歌い、唇を拭う。
パフォーマンスでは同じパートで思いっきり投げキスを飛ばす。

なんということでしょう。私が大切にしているもの、彼から受け取っているものの中で特に大切にしているもの、がこうもハッキリ具現化されるなんて…と思いながらも、キムミンギュほど印象が万国共通な人はいないのでは…という思いがまた強固になる。

キムミンギュという人は、アイドルにおける恋愛の擬似体験的要素が苦手な私にとって嫌悪の対象となりうる"男らしさ"を尊敬できる人間性、魅力として真っ直ぐに受け取らせてくれるように、投げキスがとてもとても美しい愛の表現方法であることを教えてくれる人だ。
キムミンギュという人は、誰が見てもわかる(し抗うことのできない)'かっこいい'を持っていて、翻訳機をかけても大きく変わったりしないようなわかりやすい言葉を使って、伝わりやすい愛の表現をする。それが彼の唯一無二性になるのだから、彼が持つエネルギーは計り知れない。
そして今年の彼の誕生日に際して今まで一番大切に書いたnoteのタイトルを「世界に投げキス」にしたのには私の中でしっかりとした意思があった。

というわけで、伝えるメッセージはこれ以外あり得ない。世界をまるごと愛せるのはきみだけだし、世界をまるごと愛してくれるきみのこと、世界中が愛してるよって伝えるためにうちわの背景をキスマークのついた地球に変えて、ボードにもキスマークをたくさんつけて、「전 세계 Fan 다 Love」から引用したメッセージを書いた。
一貫して青のイメージカラーになるキムミンギュさん。ミンギュブルーは地球の色だったんだ。

5月18日のサウチェに入れるということは、LALALIが公開されてから初めて会えるファンになるということなので、どうか見てもらえますように伝えられますようにと願って、いつもより力を込めて化粧水を叩き込んだりした。


キムミンギュ、すごかった。ただただ見惚れてしまってもはや何を歌ってくれたのかを覚えていない。カチガヨでホシくんの宗教(ホランイの手で全員が揺れる)を体感できたのでそれはハッキリと覚えている。

真っ黒のサングラスと深く被ったビーニーと、お得意のとろみのある薄いシャツをお召しで、風に靡いて背中のラインが見える様があまりにも美しかった。風はキムミンギュのために吹きます(断定)。
ファンサをするというよりは音楽に乗っている姿をお見せしてくださっているという感じ。美しかった。
うまくいえないのだけれど、人間としての密度やエネルギーといったものがまるで違うというか、波動というか、オーラというか、写真でも映像でもいつも見ているし写真ですらあまりのかっこよさに涙を流したりしているのに、あれって一部でしかなかったんだ…というような。

本当に本当にひたすら美しくて、かっこよくて、セクシーで、映画やドラマにある、好きな人のことを見るときスローモーションになる演出にようやく共感する。思い返して頭で流れる映像は全てスローモーションになっている。
その中でも特にゆっくり再生されてしまうのがサングラスを下げる仕草だ。手前にいたファンにグッドサインを送ったあと何かを見るためにサングラスを下げて、シャッターチャンスですよとても言うように少し止まったあと満足気に去っていった。バシバシに撮った。心のカメラで。美しかった。すごかった。終わって一番に書き留めた。美しい人間を見た。

私の目の前にいたことと、見てる位置的にそうなんじゃないかというだけだし、なんの確証もなければ私の楽観的な脳が補正をかけた可能性も高いけれど、ここで私のボードとうちわを見てもらえたと思う。きっとそうだ、多分。
それと一緒に大切にしたいのは私も投げキスを贈れたこと。オタクからの投げキスなんかいらないと思われるかもしれないけど、キムミンギュはそんなこと思わないんじゃないかな。きっと届いたと思う。根拠は、ない!ただ満たされている。



そしてこのキムミンギュという人間から受けた感動は、サウンドチェックだったことも大きく関係しているのかなと思った。お見送り会の方がもちろん近かったわけで、見ている時間の違いもあるかもしれないけれど、彼は「かわいい曲はひたすらかわいく、かっこいい曲はひたすらかっこよく、セクシーな曲はひたすらセクシーに魅せたい」と言い、それを見事に実行する人だ。嬉しかった。音楽と幸せでひたひたになっている愛しい人を見られて。つくづく魅せるのが上手い人だとまた改めて痛感した。


コンサート本編の座席がステージサイド体感席だったのもあって、キムミンギュという1人の人間の生き様を見た気がした。
バック寄りのサイドだったので開演前の円陣や登場までの待機の姿を見て、チラッと見える隙間からパフォーマンスを見た。双眼鏡を使えばくっきりと表情を見ることができた。ドキドキした。真正面からパフォーマンスを浴びるときには感じられない何かがあった。

私の人生をもっと頑張りたい、私のために時間とお金を使いたい、と思い始めたこの時期に、サウンドチェックイベントに行けたこと、一番尊敬する人のエネルギーを間近で感じられたこと。ステージサイド体感席だったこと、ただ音楽や情景に身を委ねる楽しみ方ができたこと、私はまずTEAM SVTのクリエーションに惹かれたんだった。
その次の日は行きたいと思っていたXGのライブに行ったこと(一番好きな人たちの公演があるのに別のライブに応募するというのがまず今までの私には考えられなかった)、あまりの強さで涙が止まらなかったこと。二日間上質な音楽体験ができたこと。
自分の中で大切にしたいことがハッキリとしていくような、構成される全てが"今"の私のためのものだった。

映像でもなんでも、世界で一番好きな人のことこの目に焼き付けたいという執着でもはや見るのが億劫になる、みたいなところすらあったんだけれど、途中から双眼鏡を覗くのをやめた。なんかこう、大丈夫だ、と思った。胸がいっぱいだった。

いつも会場を駆け抜けて全員に会いに行くミンギュちゃん、今回もステサイの方何度も覗き込んでくれたんだけど階段降りて座ってるから双眼鏡覗いてみたら本当に幸せそうな顔してて、この人にもっと私たちが楽しんでる姿を見せたいしきみたちの音楽でこんなに幸せなんだって表現したくてたまらなくなった
"会いに行く"ってこういうことなんだなと思った

2024.5.19


自分自身のことを考えたいし自分の幅を広げるための選択を増やしたい、いう中で、5月26日、日産スタジアムに行くには少なからずお金がかかる距離にいるので、妥当な理由(チケットがあること)がなかったから会場に行くかずっと悩んでいた。でも私の世界を広げてくれるのも、これから歩みを進めたときに立ち返ることができる場所もSEVENTEENだよな、と思った。特別で大切な日にCARATの顔を見られるだけでも十分だよな、と思った。正解だった。

10ヶ月のツアーが終わってそのときめきを胸に抱きしめて日常に戻って、通勤のバスでrock with youを聴いていたらじ〜んときた。これって多分情景を知っているってことで、私のそれがあるってことなんだ。じ〜んときたなんて言葉にしてみるのは初めてかもしれない。ライブを見ていて涙が出そうになるのはいつも明るい曲だ。
社会を生き抜くために必要なのはきっと明るさだし、でもSEVENTEENがくれる明るさに虚しさはない。小さい頃公園で蝶々を追いかけていたときと同じ。それがどれほど難しくて有難いことなのかを表す術を私は知らない。だから会いたいと思うんだ、声を届けたいんだ。
わかっていたような気もするし、ようやくわかったような気もする。実感を与えてくれるのはいつもSEVENTEENだ。

なんだってできるような気がする。ていうか、なんだってやっちゃおう。
今まで日焼け止めをかかさなかった私の腕にくっきりと腕時計の跡ができている。変化の印だから、大きな世界に連れ出してもらえた記録だから、なんだかとても気に入っている。
この跡が消えた頃はどんな自分になれているかな。




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