テレフォン人生相談が好きだ

テレフォン人生相談 というラジオ番組をご存じだろうか
平日昼間にTBS系列のラジオでやっている相談番組で、一般人からの相談に各専門家が答える内容なのだが、平日昼間とは思えないヘビーな内容が飛び出たりして、それがリアル感があってとても面白い。先日も聞いていたら結構興味深い内容だったので、それについて書いてみたい。

先日の相談内容をざっくりまとめるとこんな感じ。
・相談者は40代独身男性、無職(仕事をしたりやめたり)。親と兄弟と同居。自閉症持ち。
・相談者の悩みは、自分だけが不幸な気がする。自閉症もそうだし、買い物に行けばGメンにマークされるし、平日昼間にジョギングするだけでもパトカーにつけられる。
・自分は生きているのに向いていないと思う。ダメならダメとハッキリ言ってほしい。言われたら、自分の責任で自〇するから。あなたたちのせいとか言わないから気にしないでくれ。

そして、先生の回答をまとめるとこんな感じだった。
「もう少し他人に歩み寄れ。お前全部自己解決だろ?買い物Gメンだって確かめたか?警察に聞きにいったか?誰にも聞かないで勝手に自分で結論出して、自分苦しめてるだけ。自分が歩み寄れば他人も歩み寄ってくるから。あと、『自〇する』とか言ってるけど、それを他人に言うってことは『僕は生きたい』っていう言葉の裏返しだから生きろ」
さすがにもっと丁寧な口調で言っていたが、ざっくりまとめるとこんな感じ。やりとりが終わった後、最後にこんなやりとりがあった。

相談者「僕うまくできますかね?」
司会者「それは私にはわからないし簡単には出来るとは言えないけど、応援するよ」

放送は、これでおわった。


冷静に考えてみて、常に買い物Gメンが同じ人に付きまとうわけがないし、パトカーがずっとランニングをしているだけの人間の後をつけるわけがない。たまたまそういう風に思えることがあって、それを過大に言っているのだろう。そして、公共の電波で「自〇したい」と言えば止められるに決まっているのに、そういう発言をした。また、最後のやりとりについても「あなたならできる」と言ってくれるだろうという期待が見え隠れする。

こういう面から考えて、相談者はいわゆる「かまってちゃん」だったのだろう。「俺はこんなに不幸だ、死にたい、だから慰めてくれ」と言いたかっただけだ。

人間には、誰しも「他人から認められたい、注目されたい」という欲がある。承認欲求というやつだ。
この欲を満たすために、正統に努力を重ねて認められる人間もいる。しかし、逆にしてはいけないことをやる人間(スシローの醤油を嘗めた人)などもいるし、相談者のように不幸自慢をする人間もいる。ただ、それだけのことだ。

当然、そんなことは先生も気付いているだろう。だが、そんなコメントは全くしなかった。何故か?

相談者は40代男性。プライドもある。というか、かなりプライドが高そうな喋り方をしていた。それに対して「あなたは単にかまってちゃんだから。誰もそんなにあんたの事気にしてないから」とストレートに言ったところで、その声は届かない。プライドを傷つけるからだ。そうなると、「せっかく相談したのにひどいことを言われた、俺は不幸だ」となるだけ。

ようは、相手に伝わらないメッセージは意味が無いということだ。

先生のメッセージは、相談内容から判断した現実を冷静に判断しつつ、「他人に歩み寄りなさい、それをやっていないだけで出来るでしょう?」という内容だった。これならば、相談者のプライドを傷つけることなく、解決につながる道筋を与えることが出来る。

並の人間なら、このアドバイスにたどり着けない。せいぜい、アドバイスをするとしても「いやいや、みんな不幸なことも幸せなこともあるって。気にしすぎだよ」とかで終わりだろう。それでは、彼のプライドを蔑ろにしているので、彼の耳にはメッセージは届かない。
思ったことを素直に伝えることが正解ではない。一言で言えば簡単だが、非常に難しいのだ。「自分が何を伝えたいか」ではなく「相手にどうなってほしいか」を考えて話をすることは困難なのだ。

私は以前、職場の先輩から「もっと周りを見て動け」と怒られたことがある。しかし、このアドバイスは何の役にも立たない。何故なら、既に自分なりに周りを見て行動しているつもりだったからだ。自分なりにやっていることを「お前は出来ていない」とだけ言われ、具体的な解決策も示されなければ、お互いストレスがたまるだけで何の意味もない。

どう伝えれば相手が望ましい方向に動いてくれるのか、というのは非常に難しい。だから、みんな思ったままを素直に伝えがちだ。
ただ、伝えるのと伝わるのは別であり、どれだけ伝えても伝え方が間違っていれば相手には届かないのだ。

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