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ネタバレあり感想 黒澤明監督映画「生きものの記録」

1955年公開の映画。

この写真の真ん中のおじいさんが主人公。
演じるのは三船敏郎(当時35歳)。どう見てもおじいさんなのに。

当時の社会情勢として、1945年に終戦した際には原爆が落とされ、1954年にはビキニ環礁で水爆実験がなされて第五福竜丸が被ばくした、という背景があります。

あらすじ
町工場の経営者である主人公(写真中央のおじいさん)は原爆や水爆の事を考えた結果、「被害に遭わないためには南米(ブラジル)に行くしかない!」という結論に至り、家族全員でのブラジル移住を突然宣言します。
しかし、もちろん家族(息子達)は日本での生活があるので反対。それでも主人公が動きを止めないため、家族は裁判所に話を持ち込んで主人公が勝手に家庭の財産を動かせないように依頼します。

主人公のじいさんは「色々考えた結果、一家が暮らすにはブラジルに行くしかないと考えた。なので、家族も当然そうするのが幸せに違いないと思っている。しかし、家族の反対に遭って思うように行動できない。何故誰もわかってくれないのか」と思っている。
家族は反対するものの、理屈が足りない。「そりゃ水爆が怖いのはわかるけど、だからといって日本から離れてどうするんだ」というような、ごくごく一般的な思考。じいさんに対して理屈で挑めるようなレベルではない。まあ、じいさんも言い返す家族に対して暴力をふるったりしてるので、理屈で挑んでも話を聞いたかどうかはわからないが・・・
そもそも、じいさんはブラジルへの移住を提案する事からもわかるように、町工場を経営してそこそこのお金がある立場。愛人だっているし、息子達も工場で普通に働いています。そのまま行けば工場も継げるだろうに、ブラジルに行く理由がありません。

じいさんの思い込みと家族全員の生活を考えれば、どうしたって家族全員の生活を優先するのが正しい。
なんだかんだで裁判所によって主人公は財産を動かす権利を失い、最後に家族全員に対して土下座をしてブラジルへの移住を頼むも、殆どの家族から無言の拒絶をされてしまいます。

その結果、どうするか?

なんと、自身の経営する工場に火をつけます。

「工場を燃やすのはつらかったが、家族のためにこうするしかなかった。」

工場があるから家族が来ないのなら、工場さえ無くなればついてくると考えたのでしょう。
しかし、その結果・・・主人公は精神病院に入れられ、最終的には気が狂ってEND。窓の外の太陽を見て「地球が燃えている!!」などと叫ぶ始末。


正直、近年見た事が無いストーリーです。

私が思うに、思い込みが強すぎた結果取り返しのつかない過ちをする、というのは悪役のやることであって、主人公のやることではないし、仮に過ちを犯した場合もそれが許されるのが現代のストーリー。仮にこれを現代バージョンにリメイクして描くなら、最終的に「気が狂って終わる」というのはどうやっても修正しなきゃいけない気がします。

正直、これは原爆に対するアンチテーゼが込められてはいると思いますが、私はこれを「家族を引っ張ってきた老人と家族」という関係性から切ない思いで見てしまいました。

これまで家族を引っ張ってきて、自分の判断が正しいと信じ、子供たちの意見などあてにしない老人。
ある程度状況を客観的に見れるものの、老人を止めることが出来ずにそこまで強くは出れない子供たち。
この映画の最後で土下座をして子供たちにブラジルについてくるよう頼むも、一部の家族は肯定したものの殆どの家族は無言。嫌だけど、嫌とは言えないのです。

こういった家族は、今でもよく見ます。
これまで家長であったおじいさん。しかし、その判断はもう時代にはあっていないが、自分が正しい、家族は自分に従うべきだと信じて疑わない。
おじいさんについてきた子供たち。客観的な目を持っているが、親に強く出れないし、どこか頼りない。跡を継いでもおかしくない年齢なのに、継がせてもらえない。

きっと、こんな親子関係は昭和のずーっと昔から続いてきたんでしょうし、これからも続いていくのでしょう。


しかし、黒澤明によるものなのか、当時の世情によるものなのか、あるいはその両方か、こんなに古い映画なのに、こんなに新しい展開に出会えるとは思わなかった。
調べたところ、興行的には失敗したそうだが、今見てほしい映画。


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