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「親業訓練上級講座」1日目を終えて

こんにちは。まほです。

1月22日(日)から毎週日曜日、4週にかけて「親業訓練上級講座」を受講しています。(2020年に一般講座を受講しました)
せっかくの研修なので、勉強記録をつけたいと思います。

1日目は、行動の四角形や障害となる12の型についての復習、お互いに知り合うゲームや、「沈黙」について学びました。ワークを行う中でのいくつかの自分の気づきを述べます。


1.親業で向き合いたい人を思い浮かべるワーク

 私はここで、ある友人を思い浮かべました。その子との関係はすでに諦めたと思っていましたが、やはりまだどうにかしたいと思っている、モヤモヤしている自分がそこにはありました。その後参加者の方と話す中で、自分は「傷つけられた相手に対しての関係をそのまま終えたくない、自分だけ我慢する関係にモヤモヤがあったのではないか、自分が相手との関係を諦めると表明することで相手にも傷ついてほしいと思っているのではないか」という気づきがありました。これ以上相手と仲良くなりたいというプラスの感情ではなく、自分が体験した傷つきを相手にもやり返したいというマイナスの感情であったことに、ショックを受けたと同時に、そんなマイナスな関係ならすっぱりと関係を切ろう、と気持ちに一区切りをつけることができたような気がします。今後は、その友人との関係は「諦める」ではなく、「ちょうどよい距離感で接する(リフレーミング)」ことができたらいいなと思っています。

また、過去の経験を振り返り、
「わたしメッセージ」を自分が傷ついた場面で使うことができていない(偽りの受容をしている)
→自分が嫌な気持ちになっている・問題を持っていることに気づけていない
行動の四角形の整理に課題がある
という気づきがありました。
 特に相手が問題をもっている時だと、相手に自分の意識がいってしまうため、「自分がOKか?」に気持ちが回らなくなります。まずは「自分がOKか?」を、意識的にキャッチする必要があると思いました。そもそも、自分がOKという感覚・自分がOKでない感覚ってなんだろう…と思っている自分もいます(次回みんなに聞いてみたいです)。普段相手に張っているアンテナを、自分自身にも、張ってみれたらいいなと思います。

 「いきなりこういうことを言われて、今私はびっくりしている」「その言い方は怖いよ」など、自分の気持ちを「わたしメッセージ」で伝えることができていたら、その友人との関係も少し違ったものになっていたかもしれない、と振り返り、少し残念だなという気持ちです。もしまたその友人がぶつかってくることがあれば、「わたしメッセージ」の練習の場として使わせてもらおう、と思っています。


2.お互いの参加者を花や植物にたとえるワーク

 今回は、お互いに見知っている参加者だったため、お互いの関係性からもっているイメージを交換しました。私は「スイートピー」「桜」「ひまわり」「オオイヌノフグリ」と言ってもらいました。「誰からも好かれる」「いるとパッと周りが明るい気持ちになる」「パーッと明るい感じ」といった理由でした。
 私は、「周りの人を明るく、笑顔にできるような人になりたい」ということを大事にしているので、それを周りの人から言ってもらったことはすごく嬉しい言葉でした。とっても素敵な、温かいギフトをもらった気持ちです。


3.お決まりの12の型の復習 ―「提案」について―

 自分は12の型では、「提案」をしてしまいやすいと考えています。それは、同じ友人とのエピソードで、「すぐ提案するってことは、私の気持ちは全然受け止めていないんだよ」と強い口調で言われたことがあったからです(私は責められているように感じました)。その言葉が自分の中でひっかかっていて、「そうやって責めるのは違うでしょ」と思うと同時に、「その子の気持ちを受け止められてなかったんだ」とショックな気持ちがありました。

 自分のパターンとして、自分と全く関係のない事柄に対して、相手が問題を持っている時(例えば相手の家族関係やバイト先の話)などは、提案することなく、能動的な聞き方を意識することができていると思っています。「相手が何に困っているのか?何をしたいのか?」を1番に考えて話を聞きますし、問題の解決者が相手であることも理解しています。

 しかし問題は、相手が問題をもっている事柄に対して自分も関わっている・当事者である時です。例えば、「同じコミュニティに属していて、そのコミュニティのことで相手が困っている」「恋人関係にある人が、2人の関係に対して相手が困っている」時などです。
 それを言われた途端、私は問題なし領域から問題あり領域に降りてきてしまいます。相手が困っていたということにショックを受け、とても不安になります。そして、自分の困り感を解消する方法として、「わたしメッセージ」ではなく、「提案」という方法をとってしまっていると考えています。提案ではなく、こうしようと決めてしまうこともあります(この場合はむしろ命令?)。それで相手から「別にそうしてほしいわけじゃない」と言われ、「いやでもその困り感を解決するならこうするしかないよ(何がしたいの?)」とお互いイライラ・・・みたいなこともありました。「自分もその問題についてよくわかっているから、自分の方が問題をよく解決できるし早い」「相手が問題をもっていることに耐えられないから、早くその問題を解決してなくしてしまいたい」「自分も関係している事柄に対して、相手が不満を持っていたことがショックで耐えられない」など、相手ではなく、その問題自体に目を向けてしまっていると思います。
 しかしここで、相手から解決を横取りしてしまうと、結局相手が何に困っているかが見えてこなかったり、自分自身が納得していない(OKでない)状態のまま相手の困り感の解決を最優先してしまい、自分が後々不全感を感じることもあります。

 1と同じになりますが、
まずは「自分がOKかどうか?」を考える
→自分がOKでない場合は、「わたしメッセージ」を伝える(今そのことを聞いて私はショックを受けています、悲しい気持ちです)もしくは、ストレスマネジメントをする(気持ちを落ち着ける)
→気持ちが落ち着いたら、能動的な聞き方をして相手を理解する
→相手の欲求や感情を十分に理解した上で、必要であれば一緒に解決策を考えるし、聞いてもらえば満足の場合はそこまでで終わりにする

 こういったことを意識したいと思いました。それでも提案をしたくなることはもちろんあると思いますが、提案をしたくなる自分に目を向け、一旦立ち止まることができたらいいなと思っています。


4.「沈黙」について

 「沈黙」のワークについては、それほど自分について振り返ることはなかたのですが(沈黙の気まずい瞬間について、あるある!となることはたくさんありました笑)、自分はおそらく沈黙にかなり不安を感じるタイプなんだろうな、という気づきはありました。
 「沈黙にはどういう時があるか?どういう気持ちになるか?」という発問に対して、「大人数の中で誰も意見を発しないで気まずい瞬間」「人と話をしていてお互い沈黙になって気まずい瞬間」など、不安になる瞬間を10個くらいバーッと挙げた後で、そういえばそこまで悪くない沈黙の瞬間もあるか、といくつかプラスの方面を書きました。
 私が心理実習を行う中で、「相手の発問に対して黙ることは、自分本位で、相手との関係性やチームワークをよくすることを考えていない行為である」という気づきを得てから、なるべく沈黙がないように、とりあえず意見を何かしら発するようにしていることが背景としてあると思います。

 参加者の1人が、「沈黙になった時に『自分は相手と話したいか?』を自分に対して問いかけてみる。自分が話したかったら話すし、話したくなかったら別に労力を使ってわざわざ話をしない」と言っていて、とても良い考え方だなと思いました。
 結局それは「自分がOKか?」と自分に問いかけていることであり、それが染みついていることすごいなと思いました。たしかに、そうやって相手が話したいから話しかけてくれているとわかる相手は、話しかけられる方も嬉しい気持ちになるし、信頼できるなとも思いました。



 1日目だけでも、かなり色々なことを考えました・・・。心をたくさん使った感じがします。残りの3日も何をするのか、とっても楽しみです。


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