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現象界にタクシーで来るな

 ラカンを田縣たがた神社に連れていってやったこともある。春になると田縣神社では五穀豊穣を祈願して木彫りの巨大な男根像をみんなで担ぎ,街を練り歩き,最期には海へ降っていく。太平洋ですくすくと育った男根像は,つぎの年の秋に田縣神社の鳥居を再びくぐって帰ってくる。帰ってきた男根像はその年いちばん良いコメを収穫した農家の家へ贈られて,その家は子宝に恵まれるという。田縣神社は愛知の小牧にある。
 ジャック・ラカンがまだ,ただのヤリチンフランス人だった頃,このままでは彼は身を持ち崩すだろうと憂慮したわたしは,彼に電話を繋いで,エールフランス678号便で彼方の日本に招いたのだ。空港に到着した彼の姿は懐かしいものだった。旧い友人だった我々は,久方ぶりの再会を大いに祝った。すきやばし次郎でスシを食べた。食べたンゴ。
 長旅の疲れも鑑みてひとまずはラカンを帝国ホテルに1泊させ(その晩彼は結局高級娼婦を3人買っている),翌日東海道新幹線は我々とたくさんの希薄な魂を載せて名古屋へ向かった。田縣神社参拝の目的はひとえにわたしの友人,ラカンを哲学者たり,理学者たり,という深いうねりの流れへ向かわせることであった。彼の人生を本物の光の方へ導いてやりたい,という一心であった。現象界げんしょうかい現実界げんじつかいの不可避な交換であった。それはつまり,ラカンの朝から晩までやりまくり,性病なりまくり,処方されまくり,という堕落した生活をやめさせたいというわたしの要請だ。
 田縣神社の鳥居の真ん中は彼に歩かせてやった。そのほか彼には日本の美しい文化を色々教えてやった。シシオドシに入った水を直でガブ飲みさせてやったし,嫌いな上司の頭をビール瓶で正確に撃ち抜くコツも教えた。サイゼイアの注文票に女性器のさまざまな呼び方をたくさん書かせた。フランスじゃヴァギナのことなんていうんだい? とわたしが尋ねるとラカンは
 「そりゃキミ,パリじゃそんなの口に出すこともないぜ。女の子ってのは優駿な太陽で,狂気をもたらす月で,ミューズなんだ。そんな,素晴らしい,”委ねられた存在”をマンコ呼ばわりなんてひどいぜ全く!」
 と胸を張っていた。思えば彼のママンもおひさまみたいな素晴らしい女性,もといマブナオンだったなあと得心したものだ。サイゼリアはふつうに出禁になった。悲しかった。


 宮崎県の悪口を今から書く。disらせてもらう。beefではない。宮崎県は県だから,主体的に喋ることができないからである。だからわたしが一方的に宮崎県を貶し落とす運びになる。まず肌が白い女がひとりも居ない。ということは反対に色黒ガールズばっかやんけということで,色黒ガールズが好みなみなさんは今すぐ宮崎に移住するのがよろしいと思う。みなさんの欲望に応じようとマシンで肌を焼くガールズも一定数いるわけで,みなさんの欲望はわたしにとって害悪でしかないのだ。わたしは色白ガールズが好きだ。本質的に人種差別主義者である。いやいや違うんですよ。ちゃうんよ。ちゃうんけ? と思うじゃん。そうそう,ちゃうんよ,色黒で,さらに眉毛が繋がってるんよ。
 「ほんまかいな」
 「ほんまやでこれが」
 なんよ。みんな眉毛が繋がってるんよ。勘弁してよ。色白,色黒は二元論的などうしようもなさに回収可能だけど,全員眉毛が繋がってるのはそういう次元にないじゃん。いや,剃れよ。可塑やん眉毛って本来。なんか美意識が低めな県民だなと思われちゃうよ? マンゴーがうまくても,地鶏がうまくても,ピーマンがたくさん採れてもさ,生産者の顔が見えちゃってるのよ逆に。パッケージに農家がにこやかなかおで大根持ってる東京のスーパー的なやつやんなくても,みんな色黒で眉毛繋がってるから想像できちゃうのよ。生産者の顔が見えちゃってるのよ,天孫が,降臨しちゃってるのよ。

天孫てんそんが,降臨こうりんしちゃってるのよ。


 いや,天孫降臨すんなし(笑)。邇邇藝命ニニギノミコトが宮崎は高千穂に天下ってた史実が本当だったとしたら,宮崎,こんな廃墟みたいになってないからね。てか夜神楽でふつうにセックス始めるのやめてもらっていい? 高千穂っていう宮崎の中でも特に終わってる集落があるんだけど,なんか,神楽が有名だとかで,イザナギとイザナミが日本を創るプロセスを演じた夜神楽が観れるんだけど,その途中でふつうにセックス始めるのやめてもらっていいかな? 夜神楽ってそういうこと? ってなるからね。いや,そういうことなんだけどね。家族で来てたお客さん引いてたよ。ていうかわたしも家族で観たよ。ふつうさ,不明瞭にするじゃん。国創るのにそういうファクターがあったとしてもさ,不明瞭にするじゃん。そんでさ夜神楽って何百年もやってる伝統的なやつでしょう。知らんけど。改善してくよね。お客さまの声みたいなの取り入れて。いやさすがにセックスはあかんか,て,あ,宮崎弁だから,
 「セックスはさっすがにダメやったがね」
 「じゃかい,ダメちゆったがね」
 という建設的な議論を重ねてより良い演劇にしていくよね,バグフィックスするよね。



 酔った。あーーーーーーーーーーーー酔った。わたしの地元は山口県だ。年末年始は山口にいない。なぜか。親父の実家が宮崎県にあるからだ。よって,宮崎にいる。アホ!!!!!!!!!!アホが!!!!!!!!!最悪だ!!!!!!!!!嫌だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 祖父と祖母が住んでいて,完璧な家父長制によってイエが成立している。行動派のフェミニストを5人連れて実家の様相を見せてやりたい。間違いなく卒倒する。女の地位,低すぎ。わたしは酔った。酔ったぞ!祖父はアル中だ。この話は何度もしているから覚えている人もいるだろうが。アル中だ。黒霧島のお湯割と称して,燗しただけの焼酎を無限に飲んでいる。おいジジイ!!!!当たり前みたいに女性と韓国人を蔑視するのやめろ!!
 というか,全部この爺さんのせいだ。この爺さんのせいでわたしの人生は無軌道を描いて砂浜に埋まっているのだ。爺さんはアル中に加え躁鬱持ちで,書斎に宮崎県ではあり得ないヴォリュームの海外文学書籍が搭載されている。マジで気持ち悪い。ドストエフスキーが書斎にいる。おい!!!地下室に閉じこもってろ!!わたしがカミュに溺れて一生躁鬱貧困が確定した状況も爺さんに起因している。幼いころから爺さんの書斎に忍び込んでは小林秀雄やファーブル,植物図鑑,ゴーゴリに熱中した。サッカーをしろ。わたしを止めろ。もう最悪だ。全部おしまいだ。爺さんがカミュを詳に語る。悔しい。だからわたしはキューバくんだりまで行った。わざわざ,キューバなんかに行った。アルジェではなかったが。

 その点,わたしは爺さんを超越している。爺さんはアル中躁鬱引きこもり,日中はシジミ貝のように黙り込んで,黙り込んでいるのでキューバなんか行けるわけがない。爺さんはカミュを何十年も読んでるがカミュの太陽を知らない。宮崎のセピア色した太陽しか知らん。少なくともわたしは,赤道直下のとんでもない太陽の熱線が人間の心理にどういった作用をもたらすかを身を持って体験したので,ムルソーがなんで中東人を殺したかすごく分かる。すっごく分かる。すっごく分かるンゴね。舐めるなよ。クソジジイが。さっさとくたばれ。全部本を寄越せ。アホ!!!!だいたい,田舎の文化人ヅラしてるやつは同じ放物線状に歪んでいくので,自らの知性がいかほどに貧弱かを相対化できずに,山の中でえらい顔してふんぞり返っているわけである。アホやんねこれ。文化人は東京に昇るか,首を括るしかない。ジジイは焼酎と心中している。ゆるやかに。レモンが輪切りにされるように。春の訪れが冬の残滓を掃き散らすように。ポーカーの手札のように。寵愛を受けた王女のように。100万円のスピーカーのように。デカルトの飼い猫のように。少年のように。溝に嵌まったビー玉のように。はずれに向かうあみだくじのように。ナトリウム質の温泉のように。あなたが生涯かけて追い求め実現しなかった人生のように。蠅のように。生ゴミのように。北陸のように。祈りのように。きらめきのように。砂のように。時間のように。掌のように。


 もちろん,断頭台の下にも希望は残されている。

 彼が博論を執筆し,それから後世に知られるような偉大な臨床科医になったのは,日本を訪れてから4年後のことだ。ジャック・ラカン。わたしの偉大な友人であった。誇るべき友人であった。彼は男根像と対峙し,落涙した。過去の過ちを恥じるでもなく,未来に大風呂敷を広げるでもなく,彼は,彼の現存在と対峙する契機を与えられたのだ。敬虔な眼差しを向けていた。子を6人産んだ母親を中央に据えた,ある家族の記念写真が社に貼られており,彼はそれを見ていた。ファルス……そう呟いた。なんだって? と訊くと,彼は零れ落ちる涙をハンケチで拭い,帰ろう。とわたしに言ったのであった。

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