見出し画像

ミドルエイジクライシスと私がそこから見つけたもの

どうも。963です。
前回の投稿で
1年ほど前に仕事をすることがしんどくなってしまい、
1ヶ月仕事を休んだ話をしました。

今回はその辺について書いてみたいと思います。

【仕事がしんどくなってしまった理由】
結論から言ってしまうと、
要は自分の問題かなと思います。

現在の私の職場環境自体は、
だいぶ良いと思います。

少し前までは
結構忙しくしていたのですが、
最近は残業も月に10時間以下。
忙しい時も40時間いくことは稀です。

そんな環境でも
なぜか漠然とした不安に襲われて動悸がしてきたり、
いつも考え事をして
仕事に集中できなくなってしまいました。

病院で検査を受けたところ、
更年期障害の兆候もあったので
診断書を書いてもらって
思い切って1ヶ月ほど休みを取ることにしました。

休みの間は何をしていたかというと、
子供もいるので自分探しの旅に出る、みたいなこともなく、
家で過ごしていました(笑

毎日やっていたことは
なるべく規則正しい生活と読書と散歩くらいです。

仕事をしないこと以外は
普段とあまり変わらない生活でした。

それでも日中は時間が有り余っていたので、
考え事をしたり、調べ物をしたりする時間に使っていました。


ある日、ネットで自分のような人がいないか調べてみると
40、50代で精神的に不安定になる人が結構いることを知りました。

一説によると、
日本の同年代の自殺率は世界一なんだとか…。

「40代クライシス」とか、
「ミドルエイジ(ライフ)・クライシス」、
「中年危機」
などという言葉を知ったのもその時でした。

【ミドルエイジ・クライシスとは?】
このキーワードでGoogle検索してみると、一番はじめに

middle-age crisis(ミドルエイジ クライシス)とは...
中年期危機。 中高年男性に多くみられる、不安障害、うつ状態などの精神症状。 中高年にさしかかって生じた仕事や家庭でのストレス、将来への不安などが原因。

マイナビ看護師

と出てきました。

確かに、この年代って
仕事も人生のイベントも一通り経験し、
親と自分の体の衰えを感じ始める時期ですよね。

そんな時にふと、
「これからどうやって生きていこうか?」
みたいなことに気がつくと、
途端になんとも言えない不安が襲ってくる…。

それなりにいろいろ経験を積んできたつもりだったのに、
もしかすると自分って何もできないのではないか…?

私が経験したのはそんな状態でした。

【ミドルエイジ・クライシスへの対処方法とは?】
対応方法について、いろいろ調べてみたのですが
「自分の気持ちに向き合う」とか
「価値観の見直しをする」とか
「大切にしたいものを心に携える」とか
書かれているものの、正直いまいちピンとこない…。

シンプルに考えれば、
「自分の本当にやりたいことを見つけろ」
ということなんだろうな…。
そうは思うのものの、
自分の本当にやりたいことって、
一体何だったのだろう…?
今更この年齢になって…!?
みたいな考えが浮かんでくるばかりで
結局答えのようなものは出てきませんでした。

それに、自分のやりたいことなんて、
別に今回急に考え始めたわけではなく、
普段から多くの人が考えているはずです。

私の場合は、
もともとものづくりやテクノロジーが好きだったので、
レザークラフトやVR、3DCGやドローンなど
興味を持ったものにちょこちょこ手を出しては
長続きしませんでした。

「長続きしない」というか
趣味としては良いけれど仕事にはできそうにないな…。
そう感じていました。

【自分の本当にやりたいこと、実現したいことは何か?】
私は子供の頃から社会人にかけて、
この種の問いかけには、
「○○(職業)になる!」
と答えていました。

そして、その中からシステムエンジニアを選び、
エンジニアとして少しでも良い仕事がしたい、
満足できる仕事がしたいと自分なりにやってきたつもりです。

その結果として
それなりに良い環境で働けているはずなのに、
なぜか心は満たされていません…。

周りをみると、以前同じ職場で働いていた上司や同僚が
役員になったり、業界の先駆者としてカンファレンスで登壇したり、
そういった姿を目にしたりすることも増えてきました。

羨ましい、という気持ちがないといえば嘘になりますが、
かといって、自分がその立場になったら幸せなのか?
と考えれば、そうとも思えません。

結局、
「自分は何をしたいのだろう?」
というはじめの問いに戻ってくるだけでした。

そうやって悶々とする日を過ごしているうちに、
やりたいことを探しても何も出てこないか長続きしないので、
私は自分への質問を変えてみることにしました。
「自分はどんな時に感動しているのだろうか?」
そう考えることにしました。

最近、年齢のせいか映画や本、アニメなどを観ていて
結構感動して涙を流すことがが増えてきました。

そこで、これまで特に感動した作品のシーンを思い返したところ、
ある共通点があることに気づいたのです。

それは、
「その人が、自分の本当の気持ちに気づいた時」
でした。

最近流行りのアニメ「葬送のフリーレン」という作品でいえば、
第一話で勇者ヒンメルの葬儀でフリーレンが
「人間の寿命は短いって、わかっていたのに、、、
 なんでもっと、、、知ろうと思わなかったんだろう…。」
と自分の感情を吐露して涙を流すシーンですなどがそれにあたります。

自分もちょうど「本当の気持ち」というものを探している途中ですが、
自分以外の人のことだとしても、とても心を打たれてしまいます。

なぜなんだろう?

そう考えているとき、
私の好きな本の中の1つ
伊藤守さんの「こころの対話 25のルール」
の中の言葉が目に止まりました。

少なくとも、お互いの感情に触れるとき、
わたしたちは「安心感」を体験します。
それが、楽しさであれ、さびしさ、悲しみであれ、
お互いの感情に触れる時、わたしたちは、安心します。
お互いの感情には
「共感」することができるからです

伊藤 守 著「こころの対話25のルール」

そういえば、
この本の中にも、私にとってとても感動的なエビソードが載っていました。

長めなので詳細は割愛しますが、
伊藤さんが次に出版する本の表紙の色をグリーンにするかどうかで
スタッフの方と意見が対立してしまう、という話です。

あわや関係が破綻してしまうか!?
ということろでお互いに冷静になり、
自分たちのグリーンという色に対する
過去のエピソードを語り合うシーンがあります。

お互いに自分のエピソードを語り終えた後、

「そうか。そうだったんですか…。
しばらく、お互いに声が出ませんでした。
黙って、ホテルの壁のグリーンのイメージを共有していたのです。

他の人にとっては些細なエピソードに聞こえるかもしれませんが、
私にとっては、とても感動的なものに感じるのです。

「私が求めていたのはこれなのかもしれない…。」
そう思いました。

でも、これまでの私は
どちらかというと人付き合いがニガテで
正直、あまり多くの人との関わり合いを避けて
きたようなところがあります。

「その自分が、まさかこれを望んでいる!?
 オレは人と関わりを持ちたかったのか…。」

我ながらとても意外な考えでした。

しかし、苦手であっても嫌いではない。
そして、避けていたからこそ
自分にとっては未知の世界が広がっている。

今はそう思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?