幸せを感じるヒケツ
いただいたご質問にお答えしていきます。いつもありがとうございます。
ということで、本当に身につまされるようなご質問ありがとうございます。なんていうんですかね。この「さみしがりやの死にたがりやさん」。僕自身、明るくてポジティブに見えますけれど、結構さみしがりやの死にたがりやさんの部分が強かったりします。なので、すごくこの方のおっしゃっていることがわかります。その僕がどうして今でもちゃんと生きようと思っているか。
こう言うと、本当にみんなから「いや、そんなことないでしょ」と。「あなた、めちゃくちゃ楽しそうに生きているじゃないですか」と。「人生充実しているじゃないですか」と言われることが多いんですがそうでもないんですよね。くどくど語りませんけど、僕の中にもこの「死にたがりや」の部分は小さくないんだという前提があるとして聞いてください。
どうして僕が今も生きてこういう生活をしているかというと、自分の中で自分に言っていることがあるんですよ。世の中には業(ごう)というものがあります。僕はそう信じています。その業というものの中で生きている。もっというと、僕の業は僕だけが背負っているわけではない。僕の、たとえば子供たちとか、僕のまわりにいる人たちも僕の業を共有している感覚があるんですね。
ということはですよ? 僕がたとえば自分でみずから命を絶ってしまうと、僕の業は僕の子供たち、まわりの人たちに移ってしまう。これは自分で責任がとれないことですよね。僕が僕だけで責任をとれるものであれば、まだ自分で決めることもありますけど、そうじゃないんだぞと僕はなんだか自分で思っていたりするんですよ。
なので、僕が頑張っていく、あるいは僕がいることによって少しでも「あー、この世の中っていいんだな」と思っていただける人がほんの1人でも2人でもいてくださるのであれば、その分、善良じゃないかもしれないですけど、僕はこの世の中に少しいいことをしたのではないか、と。その積んだものは僕ではなくて、これから僕に関わる人、僕の子供、まわりの人たちにいい影響を与えると僕は信じています。なので、僕が一生懸命やっている、僕が頑張っていることは僕のためではない、というようにいつも思っています。
そして、頑張って笑顔の人が増えていく、自分の中に頑張ったという実感があるということが僕は幸せだなと感じています。ただ、つらいですけどね。幸せにできなかったときは、悪い業がくるんだと思って、へこたれてはしまいますけど、僕はそう思っているという話です。
これがこのご質問をいただいた方にとってぴったりくる答えかどうかはわかりません。でも自分1人では消化できないものだなと僕は思っているので。であれば、まわりのため、誰かのため、そう思うことによって、なんとか自分も前に進めていっている、みたいなことがありますので。ちょっとでも参考になったのであれば幸いです。ご質問ありがとうございました。
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