毒親を見分けるために必要なたった一つの方法
「毒親」という言葉を耳にするようになってからそれなりに時が流れました。
この言葉が出た当初は「大事にすべきもの」という固定観念の強い『親』という存在に対して
毒というワードを付けた所が衝撃を呼び、
なんとなくネットでも「私の親も毒親かも?」「私も毒親なのかしら?」などという意見が散見するようになりました。
特にクズの皆さんというのは親も親なら子も子という言葉の通り、
大抵親もちょっとアレな場合が経験上多いです。
なので、結構この「毒親」というワードに反応する方はクズの方にも多いかと思います。
そしてそんなクズや世間の声に応えるかのように
巷では分かりやすくまとめた毒親の特徴5選とか、10選とか、チェックリストとか、様々な毒親へのタグ付けが始まり、
これらをやり過ぎた結果もはや何をもって毒親と呼ぶのかが難しいという状態にまでなってきました。
タグ付けしまくって定義をあやふやにするというのは
特定のワードを潰すときによくやる手口の一つですがそれが意図せず行われたような状態です。意図的かもしれませんが。
しかし毒親というのは細分化しようとも根っこは一つです。
何やら色々なタイプがいるそうですが、
たった一つの特徴だけで毒親と判断して問題無いと個人的に感じていますので今回はそれを発表します。
それは、相手にコストを要求する態度が常態化しているかどうか。
これだけです。
相手に要求する物言いが常態化している親は毒です。というかクソです。
簡単な例として、子供に宿題をさせたいとします。
普通の親は「宿題をやりなさい!」と言いますが、
毒親は「どうして宿題をやらないの?」と言います。この違いです。
言われた子供の立場からすると
普通の親の「宿題をやりなさい!」と言われた場合には親にムカつくことが出来ますが
後者の毒親の「どうして宿題をやらないの?」と言われた場合は
「自分が宿題をしていないことを注意されている」と怒りの対象が自分自身に向いてきます。
宿題はやった方がいいに越したことはありませんが、親だけがやらせようとするのはエゴかもしれません。
そういった親のエゴに対して誰が責任を持つのか。
普通の親の「宿題をやりなさい!」は責任が親自身にあります。だから子供もムカつける。
ところが毒親の態度はその責任自体を子供に持たせるようになっています。
要するに「お前が悪いんだよ?反省しろよ?」ということです。これは上手いこと自らの発言責任を放棄している形になります。
こういった責任などの類を私は「コスト」と表現しますが、
毒親というのはこのコストを相手に要求する態度が常態化しています。
もちろん普通の親でも「どうして宿題をやらないの?」と言うセリフを使うことはあるかと思います。
(よほど子供が宿題を拒否している場合に動機を確認する場合など)
しかし毒親は常にこの態度で望むわけです。
「どうして宿題やらないの?」
「隣の〇〇ちゃんは毎日塾も頑張ってるんだよ?」
「なんで怒られてるか分かる?」
「明日ゴミ出しの日だけど分かってる?」
これらは全て相手に責任を押し付ける発言です。自分で自分の責任を取る形になっていません。
責任というコストを押し付けられた子供側は責任を感じ、その一方的なストレスで疲弊するのみです。
これが継続するとポジティブな感情も生まれにくくなりますので、シンプルに出来の悪い子供になっていきます。
また、仮に子供側にどうしても今日宿題をやりたくない理由が存在する場合、
普通の親の言い方「宿題やりなさい!」であれば子供に反論する余地が与えられていますが
毒親の言い方の場合は子供側に反論しようという気が起こりません。
常にお前が悪いということを言い続けられているのと同じですので、わざわざ反論しても意味が無いという学習をしてしまっています。
このような積み重ねを365日繰り返し続け、最後には子供のやる気と能力を奪う親を毒親と言う、ということになるかと思います。
毒親の教育はいわゆる「いい子」を生産しがちですが、
その背景にはこういった反抗する力を奪われただけの従順のように見える子供がいるという訳です。
普段から子供に反抗する隙を与えている親の方が子供にとっての良い親と言えるのではないでしょうか。
ちなみにこの特徴を持った人間は子供に対してだけでなく、日常生活が常にそんな感じなので
日頃から相手にコストを要求する態度が常態化しています。
ある人と人間関係で深く付き合うかどうかはこの辺りを判断基準にしても良いかと思います。
基本的に主義主張が無く、疑問形でしか会話をしてこない人間はヤバいです。
最近は「毒親」で軽くググれば色々な特徴が出てくるかと思います。
過干渉であるとか、気に入らなければ無視をするとか、暴力で抑えつけるとか、病気を言い訳にするなどです。
しかしこれら全ての根っこは相手にコストを要求するというこの一つの動機から来ています。
今回説明した基準で各特徴を見てもらえばどれも当てはまってくるかと思います。
(
・過干渉は常に対象を監視し、隙あらばコストを要求する態度(今からどこに行ってくるの?大丈夫?etc)
・無視は私が怒っていることの原因を探れという相手への要求。(相手に自分自身を理解させようとするコスト)
・暴力も無視と同様、自分の怒りを相手にぶつけ、自分で説明することなく相手に察させようとする要求する態度。
・病気の言い訳は、それを盾にすることで日常生活での問題を相手に解決させようとする態度。
)
毒親になるような人間は自分で自分の責任を取れないような気弱ながら支配欲が強く、そしてその自覚症状も無いような人間が常です。
そしてその教育方針が当たり前と思って育った子供もまた親になった時に同じ毒親となります。残念な負の連鎖。
日本は平和な国ですのでそんな人間達でも普通に生きていくことは出来ますが、
何か有事があった際にもっとも周囲の足を引っ張るのがこの手のか弱い人間達であると思います。
助け合いの場面でも要求する態度で行動する訳です。
ただ、子供の時にこの親の手口に気付くというのは大変難しいと思います。
毒を持つ本人が無自覚である場合が多い上に、
テクニックのような形で相手に罪悪感を植えつけ責任を押し付けることに長けているからです。
ただし、仮にあなたの親が要求する態度の常態化した毒親であると気付けた場合はとにかく物理的に距離を取ることをオススメします。
本人達は悪さをしようと思って行動している訳ではないので、話し合いや態度を持って理解させるということは不可能です。
本によっては距離を取れであったり、むしろ許していこうなど書いてありますが、
ただ物理的に距離を取るだけで良いかと思います。
コストを要求してきた人間に対してさらに許すというコストを使用する必要は無いかなというのが個人的な意見です。
例えば、目の前にどデカいストレス生成装置があったら壊すか離れるかしかありません。
法治国家で親を壊すという選択肢は長期的に見ると大変不利な結果になりやすいですので、これまたオススメが出来ません。
なので、物理的に離れてみてください。
そして自分自身がコストを要求する言い方がクセになっていないかを確認し、修正してみることが大切かと考えます。
相手に要求しない態度を気を付けるだけでも、自身を改めることが出来るかと思います。
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