見出し画像

「真面目系クズ」に見るクズの変遷


数年前から「真面目系クズ」なる単語をちらほら聞くようになりました。
これは非常に面白いことと思います。
常に変わりゆく世の中の流れを、真面目系クズを通して見てみます。

まず「真面目系クズ」の定義からですが、非常に曖昧です。
特定の概念に関して、個人の範疇を超えて共有する形で定義付けしようとすると
どうしても曖昧になってしまうという傾向はあるので仕方ありませんが、
曖昧過ぎてもいけませんので、
私の環境で「真面目系クズ」で検索して出てきたサイトを上から順に見て、共通項などをあげてみると

==参考にしたサイト==
マナラボ:真面目系クズとは一体何か、…
ピクシブ百科事典:真面目系クズ (まじめけいくず)とは…
にこにこ:真面目系クズとは (マジメケイクズとは)…
BizPARK:真面目なのにクズ?真面目系クズの特徴と脱却への5ポイント…
FORZASTYLE:【真面目系クズって?】その特徴と対処法をトコトン解説…

・受け身の姿勢で主体性が無い、指示されたことを行う待ち姿勢
・上司や目上の人に対して腰が低く周囲からの評判は良い場合がある
・愛想笑いが上手
・しかし能力が足りなかったり、それを伸ばすための努力をしない
・人の目が無い場合にサボるなどの行動
・締め切りに対してギリギリまでやらない
・他責傾向が強く、責任を受けないために嘘をつく
・プライドが高いために能力不相応な出来る人間であるかのように装う


…は?どこがクズなの?
とクズの私から見れば思う所ではあります。
よくいる普通の人じゃんこれ。

私個人の定義では(参考)、クズというのはその環境から外れた役に立たない人間のことであって、
周囲からの評判が良い時点でクズでもなんでもありません。
能力が足りなかろうが、向上する意志がなかろうが、その環境で必要とされていればクズにはなり得ないのです。
孤立した嫌われ者が能力が足りず、向上する意志も無いとなるとクズ街道まっしぐらですが、
いわゆる真面目な態度で周囲からの評判が良い場合はそれに当てはまりません。

上記サイトでは能力が足りなかったり嘘をつく故にだんだん人から嫌われて孤立していくというストーリーを多く描かれています。
実際に完全に孤立すればクズになり得ますが、受け身かつ能力が足りない、嘘をつく、プライドが高いなどの人間はごまんといます。
それ故に嫌われている人間などいない環境を探す方が難しいですし、それとまた同時に完全に孤立するケースというのもあまり聞きません。
なんだかんだで傷を舐め合うようなダメな仲間と一緒にダラダラ仕事をこなすということが多いです。
これはこれで、クズにはなり得ないということです。
基本的にクズには環境の中で仲間などは存在しません。


ただ、そんな「真面目系クズ」ですがそれ故に面白い傾向を見ることは出来ます。

あくまで上のクズの定義は私個人のものですが、
ほぼ万人の共通認識として「クズ」を良い意味で使うということはありません。
そんな「クズ」と「真面目」をハイブリッドした点が非常に面白いです。

真面目は100%良い意味だけで使われるというわけではありませんが、悪いように言われる方が少ないとは思います。
「あいつは真面目だ」というセリフを字面で見ても、そこまで悪い印象は受けません。
黙々と仕事をこなす人なのかなとか、ちょっと不愛想なのかなとか、悪いように見てもそれぐらいでしょうか。
辞書で真面目と調べて見ても
『2.真心のあること。誠実であること。また、そのさま。』
ととても悪いようには書かれていません。

しかしその真面目さがクズであるという評価をされている点が実に面白いです。
広い視点で見れば、真面目さは不要であるという捉え方が出来ます。


「真面目系クズ」というのは~系とついている時点で一応~系に属しているわけで、真面目の部分はある訳です。
最初に挙げた特徴の数々も真面目さから来ているものです。
そして真面目系クズとはその真面目さからクズの部分を見出したということになります。
もう現環境にはある程度の真面目さは必要ありませんという解釈になってきます。

環境が変われば求められる能力が変わってきます。
当然時代が変われば求められるものも変わります。
その求められるものが変化を起こし始めた、もしくは起こしたいという意志の表れがこの「真面目系クズ」に見てとれます。


真面目さには受け身の姿勢というのは傾向としてあるかと思います。
上から言われた課題や問題をなんとか解決しようという姿勢は
仕事の出来不出来に関わらず受け身ではあります。
この受け身部分をマイナスポイントとして捉えている部分。
つまり主体性に動くことを良しとする価値観。

また、日本は島国という環境からか昔から和を大切にする価値観はあり、
能力にかかわらず集団に迎合しようとする姿勢は良しとされてきました。
しかしここも「愛想笑いは出来るが能力が低い」という変換をされ、そこをクズの要素と捉えられています。
集団ではなくあくまで個人として能力を持って、自立してやっていくことがまず大切であるという部分。
まず先に自立があって、その次に集団を形勢しようという価値観の変化です。

今までは大切とされてきたものの中から
デメリットや不要な部分を見出される。
まさに今、世の価値観が変遷し始めているのだなと感じます。
次は何が求められていくのか。そしてその次は。


「ぼくって真面目系クズなんです」と自称されている方もちらほら見かけます。
そういった方も上のような真面目の中に見られる良くないとされる価値観に同意していると考えることが出来ます。

これからは主体性の時代であり、自立がテーマであり、
そこに乗っかれない自分はレールを外れたクズであるという解釈を呑んでいるわけです。


こんな感じで、「真面目系クズ」という言葉が産み出されたように
今まで良いとされていたものが音も立てずに悪い評価を与えられていく。
そんな繰り返しで時代やルールというのは変わっていくのでしょう。
クズという概念は不変で酷い評価なことは変わりませんが。


恐らく、しばらくは自立して主体性をもって行動を起こしていくことが良いものであるという時代になるかと思います。
ですので、その時代が終わる頃には「自立系クズ」という単語が流行りだすのでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?