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家族の学びは深いよ、どこまでも

 無意識的に誰かの責任まで背負うのは、別に悪いことということではないから厄介。むしろ、喜ばれ、歓迎されたりする。できることなら役に立ちたいという純粋な想いから始まっているから、それがどんどんエスカレートしていき、役割が固定化することに疑問さえもたなくなる。周囲も、当たり前のように期待するのも自然な流れなのだろうと思う。
 セラピストになるために心理学を学んで愕然としたのは、無意識に誰かの人生を背負うことをしてきたことで、誰かの成長を阻害している側面があるということに直面したから。

まさに!やってる、やってる、やりまくってきている!
ガーン!!!

 父と母の夫婦関係の間に入って、バランスをとり、相手の言い分をそれぞれ通訳し、その場の雰囲気をよくする。
そんな一見、デキる長女の役回りは、夫婦関係の成長を妨げたという側面がある。全てがダメではないけれど、それが必要な時期があったかもしれないけれど、気づいた時にそれをやめた。すると、父と母の夫婦関係のバランスが動き出した。結果、両親は晩年に離婚した。もはやこれはいい悪いではない。いろんなことが明らかになっただけなのだけど、それが大事なのだと痛感した。

 そして、弟の無責任問題にも手を貸してきた。人様に迷惑をかけ続けないように、両親の名誉(?)を守るために。私なりに、自分の一族を守ろうとしてきたのだと思う。ところがどんなに起こったことを解決していっても、また何かが起こる。父も母も、弟には経済的にもかなりサポートをしてしまう。でも、もしかしたら弟は、両親からお金が欲しかったのではないのかもしれない。父と母が亡くなり、その後も、勃発する無責任問題。腹を括って、これは彼自身に学んでもらわないと何も変わらない。私がしゃしゃり出れば簡単だけど、きっとこれは私自身の学びなんだと思った。しゃしゃり出ること自体が、私自身の無責任なところだ。一生、弟の面倒をみるのか。我が子にもそんなことしないのに。
 そんなこんなで弟が相続したマンションの件で、問題が勃発した時。これは関係者に任せて、自分がやるべきことだけでそれ以上手を貸すまいと決意した。弟が外に放り出されることはなく、手続きが進み解決したようだ。それが判明したのが、未婚の叔母が亡くなり、母が亡くなっているので私と妹、そして弟が代位相続の手続きをしなければならなかった時。放棄するにも、手続きが必要なのだ。連絡がつかないため、附表を取得したら縁もゆかりもない関西に住所があることが判明。だけど、その住所に書類を送っても、返信がない。それでも手続きは進めることができると叔父から聞いていたけれど、つい最近、病気がちな叔父が現地まで行って所在を確かめるということを聞いて、本当に胸が痛んだ。自分のことじゃないのに、代表して「申し訳ありません」という気持ちになる。長いこと、代表者みたいなことをしてきたから、周囲も(全員ではないけれど)オートマチックに私に期待する。でも、心の中で、ここで私がしゃしゃり出れば同じことの繰り返し。弟だって、きっと私が出ていけば嫌な気持ちになるだろう。

「頼まれてもいないことはしない。頼まれた時に考える。」
呪文のように自分に繰り返す。

 今朝、叔父から連絡があり、管理人さんと話ができて、弟は留守でいなかったけれど、家賃も滞納がなく、本人に確認をとって携帯番号を叔父に知らせる段取りができたとのこと。叔父は、心配しているだろうからと、いの一番に知らせてくれた。涙。本当に嬉しい。
昔の私だったら、自分の用事を差し置いて、家族の問題に走り出していただろう。でも、私がしなくたって、誰かが助けてくれて、弟も、ちゃんと社会的な責任を果たして、携帯だって持っているというではないか!
 私は、しっかり自分の人生にもっとコミットして全力で自分を生きなくちゃね!いいカッコしいなのよね、私は。結構冷たいところもある。

 でも、ホッとしている自分は、やはり弟のことを案じている自分がいたことを感じた。だって弟だもん。でも、もう十分。元気で自分を支えて生きているんだから。最高!

 体調が万全じゃない叔父が「みんなも元気でね!」と、一言メッセージを送ってくれた。叔父の優しさが沁みた。こうやって支えられていることを、私はもっともっと受け取ることが学びなのだ。


 

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