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私の生きる道

 生ききっている人は、独特のオーラを放っていて、情報量が多い。情報量が多ければ多いほど、なぜなのか透明感が高まっていくのは興味深い。濃くなっていくのに色が薄くなるのだ。薄いと言っても、色が無くなっていくのではなく、光が重なっていくと白になっていくのと似ている。実際は、そんな単純な質感ではない唯一無二の光になるとでも例えられるか。
 そうなると、その光を浴びたことによって、自分自身の中にどんなものがあって、今の自分はどうなのか、何を求めていて、何をしたいのかが、何をしてけばより一層満足できるのかが、自分自身の中でよりクリアになるのだ。

 生と死を身近に感じて生きてこられたおかげか、腹が据わっていると思われがちだが、自分自身は喜怒哀楽は超絶感じやすい方だし、体が軋むほど感情を味わう。だけど、それは豊かなことで幸せなのだと、私には、思えてならない。何かを失うことがあっても、内側の幸せを失うことはない。私が自分を不幸だと見ない限りは。そう悟ってしまった。これは覚悟の要る気づきだった。

 もう不幸になれない私がどう生きるか。
できることをする。
魂が喜ぶことをする。
導きを受け取る。
それを極めた時に、見える世界へ行きたい。

 一番小さな当たり前のような些細な日常の中にある奇跡を見つけられるようになる手伝いをしたい。

無意識の中にある観念の連鎖から自由になることを手伝いたい。

自分の中にある本質を目覚めさせて生かす喜びを体験することを手伝いたい。

ひとり一人がその小さな変化を通じて、社会や文化がよりあるべき姿へ向かうことができるのではないかと私は信じていて、誰かが小さな変化をすることでまるでWi-Fiのように伝播していくのを感じる。
本質的な変化、進化。
今もそれが粛々と行われているではないか。
その恩恵を誰もがそれぞれの求めに従って受け取っているではないか。

それぞれが自分の求める領域で自分を生かすことで生み出される調和が創造されるのを見続けたい。

私はそのために、私の興味の尽きない領域、

ひとり一人の神性から目を離さず、触媒であり続けたい。

これが私のやりたいことの極みなのだとクリアに感じられた。
これを極めていくことで、きっと私自身も、新しい世界に導かれて、知らない世界を見ることとなる。今までもそうであったように。自分のやるべきことを大切にして、導きを受け取り実践していく。
この命が尽きるその日まで自分を生かして喜ばせる覚悟と感謝。

 それを感じて、身の引き締まる想いとワクワクを感じた。
私も私の人生を生ききって、オーラで語れる人で在りたい。自分のリミットをさらに外して、進むのだ!

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