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我が家の変化徒然

2021年3月になった。
昨年は、コロナ禍で一年ぶんすっぽり抜けたような時間の感覚が歪むような一年だったように感じる。個人的には、東日本大震災の年も一年が別枠みたいな感じで、◯年前という時に一瞬カウントを間違えそうになる。東日本大震災が凄すぎて、コロナ禍は時間の感覚は独特だったけれど、とても穏やかで平和だった。3.11から、それはそれは怒涛の連続だったけど、コロナ禍でその流れがとても緩やかになった。それは私にとって高校に入った時のようだった。生まれてきてから、物心ついた時には、家の中が大変なことになっていて、そのことを外の人には漏らすまいと必死だったせいか、波乱万丈が普通になっていて、中学時代は学校が荒れていた(?)のだけど、私にとっては最高の中学時代だった。私は変わらず真面目を絵に描いたような生徒だったけれど、初めて自分の存在を客観的に感じられた。自分はどう見られているのか、そして、自分は自分のことをどう思っているか。そうするしかないということを普通にやっているだけなのに褒められたり、賞をもらうこともあった。自分を表現するということに恵まれた時期でもあった。
高校時代は、私の一生の中でも、とても平和で自由だった。こんな自由な世界があるのか!と思うほどだった。ちょっと戸惑うほどだった。自分なりに羽目を外したりもした。欠課の時間にお茶のみに市内に出かけたり、大好きな女優さんが出る映画のエキストラになるために学校をサボった。これは大きなことかな。1日だけだったけど。誰も咎めたりしなかったのは、驚いた。そして、当時の私の思いつく自由なんて、そんなものだった。友人とのちょっとしたエスケープと、好きな世界を少しだけ垣間見にいくだけ。それでも、自分がそうしたかったことがわかって、少しずつ私のインナーチャイルドは大きくなって行ったのだと思う。それが高校三年の父への反抗である進路大変更事件!へと発展する。そこからが自分でも驚くような展開、変化の連続だった。

と、高校時代の穏やかなる変容を思い出した。あの時期も、着々と変化の中にいたのだなと思った。

激しいのに慣れているから、もう、仕方がない私。苦笑い。

そんなコロナ禍から1年。我が家の子供たち、と言ってもいい大人。大卒の二男は、いろんな職を転々としていて、コロナ禍の最中、転職。転職先がコロナ禍で採用しないことになり、別世界への転身となった。建設関係の施工管理の仕事なんて、できるのかい?と思ったけれど、現場が決まるまで研修(しかもzoom)で、一日受講し、レポート提出して、住まいは会社持ちでお給料も出るという高待遇。あのご時世に。九月に現場が決まり、怒涛の日々で、連日の残業と慣れない仕事に四苦八苦した様子だが、お給料は今まで最高額だったそう。今年の1月で契約が終わり、次はわからないと言っていたが、二月の二週目まで働くことになり、三月からの仕事も決まった。職人さんたちに惜しまれて、すごく嬉しかった、と言う二男。30歳にして、少しずつ自分との付き合い方が調和してきたのかもしれない。
次の仕事の勤務先は、虎ノ門。なんと!!

そして、三男はブライダルの仕事で、業界的にも厳しい中、この4月に南青山事業所から銀座事業所に移動とのこと。なんと!!

二男と三男が近くで働くことに。
徒歩圏内じゃないか。
なんだか面白い。

このご時世でも変わらず、息子たちは、それぞれ自分で決めて人生を歩んでいることに逞しさを感じる。
私にとって、この静かなる時に水面下で何かが動き始まっているのかもしれない。



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