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この母を選んだんだ

 「親は選べない」「親ガチャ」なんて言葉もあるけれど、「子が親を選ぶ」という感覚がある人もかなり増えたのではないかと思う。
 過去の私は、自分が親を選んだなんて思えなかったひとり。私のこの人生の最大の苦悩は私の父が父親だったということだったから。過去形なのは、その苦悩は、苦悩ではなくなったからだ。まさか自分の人生で、そこが変わるなんて想像さえできなかった。
 なぜそのように変化があったのかというと、心理カウンセラーになるべく勉強をしたから。そして、その中で、自分の中の何がそんなに辛かったのか、ということを自覚できたからだ。不思議なことに、何も事実が変化がないにも関わらず、私の世界は一変した。私の中に滞っていたものがなくなり、大雨の後、霧が晴れるようにゆっくりと私の心が晴れたのだ。
 ある種、その時までの自分が死んで、生まれ変わったくらいの変化だった。それでも、癒しは終わらないし、気づきや学びは続く。自分を知った分だけ、自分を受け入れた分だけ、学んだ分だけ、癒しは勝手に起こる。
 それを感じて、心が軽やかになったし、必要以上に人の荷物を背負わなくていいのだということを学び始めることができた。

 その後に、まさかの母に対する生まれて初めての怒りや嫌悪感を感じるということが起こった。憧れの母、神様のような母。自慢の母に嫌悪感を感じるなんて!そんな自分を呪ってしまいそうになって苦しかった。今思えば、それも物凄く大切な期間だった。それも過去形なのは、それも超えて、再び愛せるようになったからだ。それが母子分離が起こったということなのだろうと思う。私にとっては、母が全てと言っても過言ではないほど尊敬していた。母のようになりたいと思って生きてきたし、それが最高の生き方だと信じていた。だけど、当然だが私は母ではない。私には私の在り方がある。無意識的に母のような人になりたいという想いと、自分自身で在りたいというアンビバレントな感情があったのだと思う。それが表面化しただけなんだ。
母を再び愛して変化したことがある。私と母の役割が逆転していた部分があって、どっちが親?!みたいなところがあった。母を護りたいと思って久しいから、ずっとそういう部分があったのかもしれない。どころが変化の後は、私は純粋に娘であることを愉しめた。母が逞しく思えた。お互いに別々な人間として向き合え心地よかった。そんな母が交通事故で急逝した時、決して何者でも埋められない寂しさを感じたと同時に、体験したことのない解放感を感じた。あまりに母が私にとって偉大で、自分自身を母の世界を護ることで自分を解放せずにいた部分があったということだ。

 今、あの母を母に持つことができて、大きな幸せを感じている。なんて言ったら、妬まれるほど、母は誰にでも愛される人だった。
「ずるい!お母さんが選べるなら彼女がいい!」というような。
それはそうだと思うけど、母を母に選ぶなんて私はやっぱりチャレンジャーだと思う。あの人が基準になるんだものね。それを思うと、誰もがチャレンジャーじゃないのかしら。いい親でも学びは果てしなく、問題だらけの親でも学びは果てしない。それを教えてくれたのは多くのクライアントさんたち。

 今、改めて母の娘で幸せだと感じられることがまた嬉しく感じられる。

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