知ると近くなること、近くて遠かったこと
先日、東京都清瀬市に行く用事があり、初めて訪れる土地なので事前に地図を見ていたところ国立ハンセン病資料館を見つけました。なお、資料館は清瀬市のすぐ隣の東村山市にあります。
国立ハンセン病資料館
http://www.hansen-dis.jp/
用事の合間に見に行ったので、時間切れで全部しっかり見られなかったのでまた行こうと思っています。なんと入館無料でした。
その短い滞在時間の間では展示の前半部分を主に見ていましたが、展示資料から衝撃を受けてその前から動けなくなったことも多々ありました。ハンセン病という病気のことや隔離政策のこと、また近年再び話題になっていた断種・堕胎のことなど知識ではおおよそ知っていましたが、ハンセン病に感染し、消毒で真っ白になった着物や、取り替える包帯を洗い巻き直すための道具や山積みになった包帯の写真は知識以上に生々しさが迫ってきました。施設内で生活の全てを完結させるため、その園ごとの通貨があったり、映画の映写機があったり、消防服や消火のための設備もあったり。失明し点字を読むため、指先が使えず舌先を使っている写真は、ハンセン病やその関連疾病の重篤さと同時に、誤解を恐れずに言えば命の力強さを感じました。中世からハンセン病(らい病)へ様々な偏見の目が向けられてきた歴史的な事実も、今回改めて知るところでした。
現在住んでいる群馬県には草津に栗生楽泉園があり、重監房資料館が2つ目の国立ハンセン病資料館としてあるそうです。今回行った資料館にあった重監房の復元は、暗い室内を懐中電灯で照らし壁に刻まれた痕跡を見る設えになっていました。復元とわかっていても、胸が苦しくなりました。重監房資料館も近いうちに訪れたいと考えています。
また、私は鹿児島県鹿屋市に小学校3年生まで住んでいました。
その時の家の近くにハンセン病の療養施設(星塚敬愛園)があったことは知っていたのですが、こちらも足を運んだことはありませんでした。ただ、自分が小学生の時に「同和問題」とか「ハンセン病」とか「差別」と度々聞いた覚えがあったのですが、なぜ(どちらかというと頭の内がお花畑だった)小学生だった幼い私の記憶に強く刻まれているのかと不思議に思っていたのです。
らい予防法廃止が1996年で、既にその時には鹿屋ではないところに引っ越していたものの、「療養所が鹿屋で住んでいた家の近所にあった」と家の中で話したんだなとつながりました。実際、地図で確認したら、その鹿屋の家から車で10分以内の距離でした。
更に、3〜4歳くらいの頃には奄美大島の名瀬に住んでいたこともあり、同じ名瀬に奄美和光園が療養所としてあったことを知りました。
物理的な距離は近くにあっても、自分自身の無知や無関心が、知る機会を遠ざけることがあるということを身をもって経験した次第です・・・。こうしてnoteに書いてはみたものの、消化できず、言葉にもできない部分が多く、もどかしいです。
最近は、障害者や性的マイノリティ、難民などの人権についての報道もありますし、資料館を訪問したことをきっかけに人間の業の深さと人権について深く考え込んでしまう台風一過後の暑い1日でした。