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ザワザワ森の住人だった私

ザワザワ森の住人だった私

高校に入り子どもがアルバイトを始めた。

今まで手にしたことがいないような金額を月々得られるのは素晴らしい。
でも、最初から上手く管理できないだろう。
だから一部をこちら側で預かる形にした。

しばらくたって、手持ちがなくなり、預金部分を引き出したいと言ってきた。

ザワザワ~

「えっ、あれって使わないことにしてなかったっけ?」
「それでなくても、手持ちで数万もあるのに、何に使ったの?」
「今後、学校の費用で出費の予定があるのに大丈夫?」

ザワザワが収まらなかった。


そこで夫婦でザワザワの元を掘ってみた。

そこにあったのは、
「自己管理できないんじゃないか」
「今後、必要時になかったらどうするの?」
「将来、金銭管理できないんじゃないか?」
・・・・・
すべて「ナイ(無い)マインド」から生まれていた。


そこで、
その主語を「相手」から「自分」に置き換えてみるとビックリ。

自分が金銭管理できているかの不安。
自分が将来必要時に経済的窮地に陥ったらどうしようという不安。
老後?将来的な経済管理への不安。

相手をコントロールしようとするのは、
自分をコントロールできないから。

これは、親や上司が一番気づきにくいことかもしれない。


>>>そうなのだ。

問題を相手を通して、結局は自分自身の不安や恐れを投影しているに過ぎなかっただけなのだー。

おもしろいことに、

自分の中の不安や、恐れって、

心のなかにある時には気づきにくい。

だからこそ、それが表にあふれてきて、

相手や状況を通して現れて、はじめて気づく。

なぁぁんだ、問題は自分の内にある「マインド」だったんだって。


自分がザワザワ森の住人だったことにすら気づいていなかった。


心がザワザワするとき、

それは、相手や状況によるのではなく、

結局は、自分の「アル(在る)マインド」なのか「ナイ(無い)マインド」なのかを知る機会だったんだなぁ。

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