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評論家の呉智英氏が説く【文学全集による〈大雑把な見取り図〉の効用】。文学全集だけでなく、あらゆる「入門書」や「ガイド本」全般にも通じる話⁈

☆呉智英(くれ・ともふさ/1946-)

著書『マンガ狂につける薬 二天一流篇』(2010年)に収録の「百年を区切る文化的断層(P.170~172)」の一部を《》で引用。文中「」は省略の意味。

《一九八〇年代までは、大手出版社から文学全集がいくつも出ていた。かつてあった文学全集は、近代文学を網羅的に収録したもので、限られた読者を対象とするのではなく、学生など広く一般教養人に向けられたものであった。それ故に、ちょっと気負った文学好きなどは、こういう文学全集を馬鹿にしていた。どうせ書棚に飾っておくだけの教養スノビズムだ、というわけだ。これは半分は当たっていた。文学全集を通読した奴なんて、私の周りに誰もいなかった。しかし、たとえ書棚に飾ってあるだけでも、毎日その背表紙を見ていると、文学のスタンダードがわかるという意味があった。時には何冊か拾い読みすることもあるだろう。それが思わぬ発見につながることだってある。こうして近代文学の大雑把な見取り図が青年たちの頭の中にできあがるのだ。 しかし、この二十年ばかり、新しく文学全集が出ていない。文学の見取り図がないところでは、学生たちが侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をすることもありえない。議論と言えば、オタク同士のマウンティング合戦になってしまった。時代の流れとはいえ、ちょっとまずいのではないか、[]。~~文学に起きていることが、マンガにも起きている。マンガが戦後を代表する新しい表現ジャンルとして社会的に認知され始めた一九六〇年代後半から一九七〇年代初めにかけて、いくつものマンガ全集が出版された。これだけ名作傑作があふれるようになると、マンガ全集を刊行することは物理的に不可能である。その結果、マンガの見取り図がわかりにくくなった。》

#呉智英 #文学全集 #マンガ #漫画 #全体像 #映画ガイド本

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