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たまには時間を無駄遣いしよう

こんばんは。

前回の記事から時が経ってしまった。自分が思っていたよりも、スキがたくさんもらえて「よしやるぞ!」と思っていたものの、自分が思っていたよりも連続投稿の原動力にはなっていなかった。



最近は、iPhoneのリマインダー機能をフル活用して、プライベートでは寝る前のストレッチ、15分間の自己研鑽、仕事面ではタスク管理などを行っている。(その中に「noteを書く」というリマインダーを設定している。一週間に一度であるが・・・)

何に対しても、継続性がなく、行き当たりばったりに生きてきた私としては、このリマインダー機能はやる気のある時の自分が、やる気下降気味の自分に対して叱咤激励をできるという意味で非常に便利だなと感じている。


だが、漠然と「時間」に追われている感覚が強くなってきてもいる。

何時になったら、これをしなければいけない。ということは、何時までにこれをしなければいけない。それが終わったら、何時までにこれをして・・・

という具合に時間と行動を紐づけて生きている感覚。


最近、仕事でYouTube動画を作成することが増えてきている(ど素人が作るクオリティの低い動画である)

動画を作っていく中で、視聴者が「見る」動画とは何かを調べている際に、あるコラムの一文に目が止まった。

今の時代は無数にあるコンテンツ同士がユーザーの時間の奪い合いをしている。

SNSを始めとした様々なコンテンツが今の時代ひしめき合っている。

その中で、ユーザーが持つ「限られた時間」を「何に」消費するのか、様々なコンテンツが争い合っている状態ということだ。


自分自身の生活もそうだ。

仕事、子育て、自己研鑽、娯楽。

やりたいこととやらなければいけないことが争い合っている。

「時間」に追われているというわけだ。


もちろん、大人として、「時間」を管理することは非常に大切なことである。しかし、たまには「時間」を気にせずに、過ごすこともまた同じく大切だなと感じることがある。

やりたいことややらなければならないこと、そんなことは関係なく、無駄に時間を使う。

そんな時間の使い方も自分にとっては大切なことだなと、iPhoneのリマインダー機能から届く過去の自分からのメッセージ「note書けよ」の言葉を見て、感じたところである。

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