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「容」…いるる

作家の名前である。

小沢昭一などの弟子を持つ、小説家・随筆家・寄席芸能研究家―正岡 容(まさおか いるる)…1904(明治37)年 - 1958(昭和33)年。弟子たちは、彼を「不思議な人」と評す。

酒楼…おちゃや

2020年夏と秋、彼の作品『圓朝花火』を二度にわたり、津軽三味線と語りで上演した。

YouTube音声配信➡https://youtu.be/eP6iFdAH7SE

江戸から明治の風物(花火の種類、大川に繰り出す船、酒楼名、和菓子、等々)が、これでもかという程に細かく記され、下調べ無しには歯が立たなかった。結局、解らなかったことも多い。その頃当たり前だった事が、時を経て解らなくなっていくのを実感として味わった。

首抜き

『圓朝花火』の主人公は、勿論、三遊亭圓朝。落語中興の祖とも、落語の神様とも言われる。20代の頃の出で立ちは、上から下まで縮緬尽くし。本作でも「派手な首抜きの縮緬浴衣」で両国の花火を見物する。この「首抜き」…歌舞伎を好きな人は、ピンとくるかもしれない。自分は当初チンプンカンプンだったが、肩から背中、胸へ大きな紋を一つ染め抜いた柄で、これを着ると、まるで紋の中から首がにょっきり生えているかのよう。非常に斬新だ。現代では歌舞伎の衣装などで観られる程度とか。圓朝20代の幕末の頃は、派手とは言え、メジャーだったのかもしれない。

あけりゃんこ

いるる作品の更なる魅力は、小気味良い江戸言葉。「あけりゃんこにぶちまけて」「なんてぇ、チョボ一(ちょぼいち)だ」「お仕着せ同様に転がってらぁ」「こいつはオツリキだ」「尻を端折って」なんて…これはもう、ずるい位チャーミングだ。いっそ、これから流行らせよう!

あけりゃんこに 尻を端折って オツリキだ!

なんて、どうでしょう⁈

お絲さん

いるるサンは、『圓朝花火』に圓朝と相思相愛の〈お絲〉という女性を登場させる。下調べでは、この人の存在が圓朝の周辺に浮かび上がらず、モヤモヤしっぱなし。圓朝の一粒種・朝太郎を産んだお里ーこれは届を出さず正式な夫婦では無かった。そして、正妻はお幸―『圓朝花火』では圓朝の死の床にいる。近年発刊した書籍『圓朝の女』 (松井 今朝子著・文春文庫刊) には、彼女達を含め5人の女性が登場するが、その中にも〈お絲〉はいない。『圓朝花火』では、

成島柳北が「柳橋新誌」に艶名を謳われた柳橋のお絲

とある。この「柳橋新誌」は、漢文~っ。書き下し文をヨチヨチ読むと、確かに「小糸」としてチラッと出てくる。つまり、実在した柳橋芸者である。この難しい漢文に、彼女と圓朝の関係が書いてあるわけは無い。『圓朝花火』の本番をご覧下さった方からも「お絲」について質問があり、自分のモヤモヤを正直に話した。「この方、本当に良くご覧下さったんだ」と感謝するばかりである。

思い皆 叶う春の灯 点もりけり

正岡容氏の墓は、谷中の玉林寺にある。昭和の横綱千代の富士関も眠る寺だ。境内には、容さんの歌が刻まれた石碑もある。

墓マイラーという言葉があるそうだ。「有名人のお墓参りを趣味として、全国を行脚する人たち」。自分は、興味を持った人の墓参は結構するが、その人たちが有名人とは限らず、多分純粋な墓マイラーではないだろう。

人はみーんな生まれて死ぬ。往々にして出生はめでたく、逝去は縁起でもないと表される。自分は、ひっそりと死にたい。確か作家の杉本苑子さんも仰っていたが「あの人、いつも間にかいなくなったなぁ」というのが理想。だから、私的には墓というものに全く興味が無い。

しかしながら、作家や作品と対峙する時、それに纏わる故人たちの墓参は、精神的な拠り所となる。生前関りのあった人物、又、後世関りを持つ人たちが望んでこそ、墓に意味合いが生まれるのではないだろうか。

思い皆 叶う春の灯 点もりけり

玉林寺境内にある正岡容の歌碑を見て、そんな思いを噛み締めた。


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