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夕闇のインセイン刑務所前へ


軍事独裁の象徴・ミャンマー最悪の刑務所

ミャンマーに正規入国しヤンゴンへ向かうとなったとき、決めていたことがある。
それは、かの悪名高きインセイン刑務所を一目見ることだった。インセイン刑務所には多くの政治犯やジャーナリスト、民主派を支援した者など軍にとって都合の悪い人々が数多く収監されている。ネット上にある空中写真を見ると、全体は円形で中心に看守小屋のような建物がある。そこから複数の半径を描くように収容所と思われる建物が連なった造りになっている。一見しただけでも一望監視施設=パノプティコンを想起させるデザインで、実際イギリスの植民地時代に作られたというからそうなのだろう。

邦人ジャーナリストやドキュメンタリー作家として2021年には北角裕樹さん、2022年には久保田徹さんが収監されていた。久保田さんは私と年齢も一つしか変わらないが、学生時代からミャンマーに幾度と足を運び実績を積んでいる。同じ世代ではあるものの、私とは経験が天と地ほども違う彼が軍に捕まったというニュースが流れたときは驚いた。とりわけ、日本国内ではミャンマーのようなリスクが高い取材に対する「自己責任論」による批判が根強いと言われている。今回後藤健二さんや安田純平さんの時ほど世論は強い自己責任を追及しなかったような印象を受ける一方、軍政は久保田さんに対して罪を塗り重ね禁錮10年の刑を告げた。

大手メディアの記事で、2人が収監されていたときの生活や環境を読むだけでも末恐ろしい場所だというのが伝わってきた。だが、愚直な私は実際にどのような様子なのか外からだけでも見てみたいという欲求を押さえられない。

ヤンゴンへ行く数日前にお会いした某地方新聞の特派員の方から「絶対にやめた方が良い。実際に行けば分かるが、ヤンゴンでも色んなところでひっそりと兵士が監視している。それに、君が行ってどうなるの」と正確な指摘も受けていた。実際、刑務所前に上手くいけたところで施設内の様子が分かるわけではないし、スクープでも何でもない。ハイリスクローリターンだ。それでも、行こうとしないという選択肢は私の頭には毛頭なかった。

幸いなことに、私は何の実績もないただの邦人で人脈を伝ってきていない。だから当然のごとくビザは発給されたし、もし捕まったとしても他の誰かがドミノ崩しの形で影響を受ける可能性も低い。

SDカードにあるデータを全てクラウドに保存し、出会った人や不都合なデータは全て消去。荷物も最小限にして現地へ向かうことにした。

列車に乗りインセイン駅へ向かう

刑務所の場所へのアクセス方法はバス・電車・タクシーと何でもあるが、1番便利なタクシーは運転手に怪しまれる可能性がある。バスも悪くはないが、降車場所がよく分からないのと街並みの様子をじっくりと眺められそうにない。その点、電車は駅の名前が表示されていて降車地点が分かりやすい上、駅から徒歩20分ほど歩く。あまりに目立つような雰囲気であれば、引き返すことができる。それに、打算的考えなしにミャンマーの電車に乗ってみたいという気持ちもあった。

朝食を済ましてホテルからほど近い駅へ向かう。
駅舎は日本の田舎にある無人駅のようで閑散としている。ヤンゴンの中心街からほど近い駅の一つだが、木々のざわめく音が響きわたる閑静な場所だ。ホームで寝転がったり足を下ろして座っている人が数人いるが、チケットを買う場所や駅員らしき人も見当たらない。

チケット売り場前に掲示されていた時刻表。
1日に5〜10本ほど動いている模様。

私も一緒に寝転がりたいところだが、チケットを手にすることが先だ。周囲をウロウロしていると、見かねた10代らしき男の子たちが場所を教えてくれた。どうやらまだチケットを買う時間ではないらしい。

インセインまでの駅数や所要時間を確認したり、トイレ(トイレはないので立ち小便を勧められた)を済ましたりして時間を潰す。

30分ほど待ったところで、先ほどの小屋の前にいつの間にか人だかりができていた。正確な値段が分からないので、ひとまず1000チャット札を渡すが40〜50代らしき駅員の男性は困惑していた。
だが、料金に対して安くてその反応なのか、高くてそうなのか分からない。これ以上高いということはないからこれで頼むと半ば強制的に渡そうとすると、近くの女性が私の手に握っていた数百チャットを指差して「これで良いのよ」という仕草で教えてくれた。
先日のぼったくり被害で何に対しても疑心暗鬼になっていたが、この日は複数の人に助けてもらった。

日本でもよく見る「優先席」と記載された緑色の掲示。

チケットを無事に手に入れ、再度数十分待ったところでようやく電車が近づいてきた。
私は決して「てっちゃん」というわけではないのだが、そのレトロチックな外見の列車には目を奪われた。
いざ列車内に入ると、座席が向かい合わせに設置されたタイプのレイアウトに懐かしさを覚えた。福岡や千葉の田舎で乗ったローカル線の電車を思い出す。

車内には日本語で表記された案内や、動かなくなった扇風機があちこちに設置されたままだ。
ミャンマーに惹かれる日本人は多いというが、理由の一つには昭和を思い出す場面があるからと聞いた。これもその一つだろうか。

車内を歩き回り、乗客に売り渡す女性。

だが、ここは日本ではなくミャンマーの最大都市ヤンゴン。車内では時折、商人が声を張り上げながら野菜や飲み物等を売り歩いていた。
電車のスピードはそこまで速くないが、車窓から見える風景や窓から顔を出す子どもたちの様子を眺めているとあっという間に目的のインセイン駅に近づいた。


沈んでいく夕陽、そして刑務所前へ。

満席近い状態だった車内はインセインに近づくにつれ、空席が目立つようになった。それまで車内に兵士や警察らしき者は一人も見かけなかったが、唐突に銃を持った男性が巡回し始めて緊張が走った。特に怪しまれることもなかったが、インセインが近くなった証だろうか。

程なくインセイン駅に到着。
車内から見えただけでも警察か兵士らしき男たちが複数人確認できた。さらに駅の出入り口には、小さな小屋に座って狙撃台に固定された銃を手にしている監視役も目に映った。
チケットを渡す場所など見かけなかったが、ウロウロしては怪しまれると思いひとまず周囲の人たちに付いていく。もう少し落ち着いてインセイン駅周辺を撮りたかったが断念し、歩道橋を渡って刑務所方面へ歩いていく。

歩道橋から撮影したインセイン駅

自然体を装う反面、インセイン駅から離れるまでは生きている心地がしなかった。だが、10分ほど歩いて行くとコンビニや葉巻売り屋などの商店が現れ、特に変哲もない街のなかに入ったことで少しずつ興奮した精神状態を落ち着かせることができた。あとは正門前の様子を伺うだけだ。

刑務所前へ向かう途中。
撮影していると思われないように
歩きながら撮ったことと緊張でブレブレ。

2車線以上ある交通量の多い道路に沿っていく。
よくある日本の国道沿いの風景といえば良いのだろうか。大型ショップが連なっているわけではないが、人通りも多く、小中規模の店舗や露店が並んでいた。

やがて、私が歩いている道路の反対側に目的のインセイン刑務所・正門が見えてきた。想定よりも街中にあることに驚いたが、それゆえにもしかしたら写真も撮れるかもしれないと感じた。
監視や警備がいないわけがないため、通行人や屋台の買い物客を装って周囲の様子を確認する。


自分はいま、外国人として見られているのか。それとも上手くインセインの街に溶け込めているのか。なるべく目立たないようにゆっくりと横目でチラチラと刑務所の正門を見る。

刑務所近くにあったレストランで正門付近を観察。
こんなに注文したつもりはないが、なぜか大量にでてきた。


一通り周辺を確認したところ、監視や警備員らしき男たちの場所は分かった。一つは道路に沿う形で設置されているが、正門からは少し離れている。あとは正門の敷地内に複数人確認できるが、あまり外の様子を気にかけているようには見えなかった。カメラは門のすぐ近くに当然のように設置されていた。

向かいの建物の2階などでバレないように撮影できる最適な場所がないか探したものの、閉店している銀行や見知らぬ人間は簡単に入れないような建物ばかりで見つからなかった。
しかし、太陽が落ちてすっかり暗くなった状態や人通りと交通量の多さ、連なる露店を上手く利用すれば撮影できないこともなさそうだと判断した。 

バスやタクシー、通行人がひっきりなしに交錯していた。
(スマートフォンで撮影)

正門の反対側に位置する露店でソーセージ串を買い、歩道に座ってタバコを吹かす。これならどの街でも見かける光景で自然体ではと思うが、刑務所前でそんなことをするやつはあまりいないかもしれない。

先ほどのレストランでコーヒーに水と大量に水分を取ったにも関わらず、異常に喉が渇く。心臓が口から飛び出て吐き出してしまいそうだ。もし見つかったらーという思考が頭から離れない。


だが、今のところ向かいに見える警備たちがこちらを気にしている様子は見られない。モタモタしてもいられないので、予めISOを高く設定していた一眼を取り出しリュックでカメラを隠しながら撮影した。

午後20時頃のインセイン刑務所正門前。

何度かシャッターを押したあと、すぐにカメラをリュックに戻し、立ち上がって辺りを見渡す。刑務所の人間はおろか、通行人から声をかけられることもなかった。

緊迫感から解き放たれ、ひとまず安堵する。
目的は達成されたので、あとはタクシーを呼んでホテルへ帰るのみだ。とにかく一刻も早くこの場所から離れた方が良い。

早速Grabアプリを起動し、タクシーを呼ぼうと試みる。
が、画面にGrabタクシーは複数台表示されるものの、一向にドライバーが見つかったという通知がない。
もしかして、この付近はGrabを利用できないのか。それともダウンタウンまで距離が離れているため敬遠されているのだろうか。
と思っていたところ、ようやくドライバーが捕まったようだ。すぐ近くにいるので2〜3分で到着するとの表示。

だが、かれこれ10分以上経っても案内されたナンバーのタクシーが現れない。いや、Grabによれば確かに付近にはいるようだがなぜか合流できない。画面はドライバーが近くにいることを表示したまま動かなくなってしまった。アプリの不具合なのか分からないが、スマートフォンの充電もみるみる減っておりこれ以上は安易に使えない。
 
困り果てていたそのとき、「もっと正門前に近づけるのでは?」という考えがふと頭のなかに舞い降りた。
私はタクシーと合流するため刑務所前から少し離れて正門側の歩道に渡っていたのだが、先ほどから幾度となく正門前を公然と人々が歩いている。

もしかしたらスマートフォンでなら撮影もできるかもしれないという愚かな発想が芽生えてきた。
何か怪しまれたときには、「タクシーを待っているが上手く合流できないから歩き回っていた」という言い訳もできた。

安直な考えだったと思う。

刑務所正門(スマートフォンで撮影)

正門方向へ向かう人の後ろを歩き、あくまでも通行人であることを装って正門前に近づいていく。
敷地内にいる警備の死角になるところで立ち止まり、なるべく写真を撮っているように見えない姿勢でシャッターボタンを押す。直後にGrabの画面に戻してはタクシーを探す素振りを何度か繰り返した。

さて、いくつか写真を撮り終えることができた。
意外と危なげなく終わったし、あとはタクシーをどうするかだが野良タクシーを捕まえるしかないと思い、辺りを見渡して立ち去ろうとしたときだった。

「おい、そこのお前!何している!」というニュアンスで、正門から複数の男たちが近づいてきた。


ドキンッと、心臓が飛び跳ねる。
「まずい、見つかってしまったー」

内心そう思っていたし、状況が違えば捕まっていただろう。だが、あくまでも私は「タクシーを探しているが上手く合流できなく困っている外国人」というフリに専念するよう冷静に試みた。というか、この状況を潜り抜けるにはそれしかない。

「何の用?」というようなキョトンとした顔を演じ、予め開いていたGrabの画面を声をかけてきた40〜50代と思しき中年男性に見せる。
「何ですか?私はタクシーを呼んでいるのですが、全然待っても来ないのです。どうすれば良いでしょうか。」と英語で伝えた。男の後ろには2人ほどの兵士らしき男たちの姿も垣間見えた。   

男は、首を伸ばして貪るように私のスマートフォンを覗きこんできた。Grabの画面を確認した後、後方の2人にビルマ語で何か伝える。そしてやれやれといった表情で、「This is…………No!」(ここは…ダメだ!)と私に向かって手を払い、早く立ち去れと合図した。
恐らく上手く英語で伝えられないのと、刑務所であることを説明するわけにもいかずこんな返答になったのだろう。
私は「OK OK」と呟き、再度タクシーを探しているフリをして、無事に男たちと刑務所前から離れることができた。

何はともあれ、事前に言い訳として用意していたとはいえ画面が動かなくなったGrabアプリに助けられた。
だが、もし彼らが私のスマートフォンにある写真やリュックの中身を確認でもしようとしたなら、こうはならなかっただろう。私にも隙があったが、あちら側にも甘いところがあって切り抜けられた。
運が良かっただけで、安易に近づきすぎてしまったと反省している。

その後、タクシーを捕まえて無事にインセインの街をあとにすることができた。
(インセインからダウンタウンまでGrabに表示されていた料金をドライバーに見せて交渉し、その額より少し高いくらいの値段で乗ることができ、ぼったくられることもなかった)

帰り道にタクシーの車内でひっそりとカメラを確認してみると、写真は複数枚撮影していたもののレンズを覗いていないのでピンボケしていたり、車に遮られたものなど使えないものが多かった。
ともあれ、ここまで来れたらひとまずは安心だろうか。
ふーっと息を吐き、ドッと肩の荷が降りた感覚を覚えると同時に、一歩ズレていれば面倒なことになっていたと振り返る。

この日の夜は、疲れからかすぐにスヤスヤと眠りについた。

ホテルへの帰路にて、故障した車を修理中。

2日後、刑務所前で起きた爆発事件

私がインセインで四苦八苦しながら正門前を撮影した日から2日経とうとする日のことだった。
情勢を追うため、独立系メディアを読み漁っているとインセイン刑務所前で爆発が起きたというニュースが目に映った。思わず「えっ!」と声に出してしまう。

「The Irrawaddy」の他に「RFA(Radio Free Asia」も同様の内容の記事を上げていた。ミャンマー情勢は正直なところ追えきれないほど日々どこかで衝突や爆発などの事件が勃発している。さらに付け加えれば、複数存在する国内独立系メディアも主に国外から発信しているため、これらの情報は真偽が定かではない部分があると言われている。

当時の「イラワジ」による報道ツイート。

RFAの記事URL↓(ビルマ語のみ)
https://www.rfa.org/burmese/news/insein-prison-bomb-explosion-12272023041446.html

私が調べた限り、この2つの報道機関以外はインセイン刑務所前で爆発が起きたという旨の情報を発信していなかった。
既に容疑者として若い男たちを逮捕しているとあるが、もし爆発が事実だとしたら2日前に怪しい行動を取っていた外国人がいたということで私も調べられている可能性もある。

まずいな…と思いつつも、爆発が起きた現在の様子が気になってしまう。現場周辺の道路は封鎖されていると記載されているし、今向かうことはリスクも大きい。

結局、ヤンゴン最終日にタクシーで空港へ向かう途中に刑務所前を通って周囲を確認したが、道路は開放されているし私が訪れたときと比較しても何ら変化は見当たらなかった。様子見に利用したレストランの女の子店員たちや他の客たちも何事もなかったように私と接してくれた。

インセイン刑務所付近では時折こうした事件が勃発しているので、近所の人たちはもはや慣れてしまっているのだろうか。(というか、よくこんな場所に住んだり飲食店を開けるものだ)
それとも爆発自体事実ではなかったのか。レストランの女の子たちに聞きたくても、さすがに刑務所前だ。巻き込ませてしまうのだけはダメだと思い、聞き込みをすることなくインセインの街、そしてヤンゴンを後にした。



ヤンゴン滞在に関してあとは小さな出来事なので閑話休題ということで間に挟むことにして、次回からはタイ国境での記録を綴っていきます。


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