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コロナ渦で近くなったラグビー界とファンの距離〜もうファンを選ばない〜

1.遠くのスターより、身近なヒーロー

釜石SWvsヤマハの『ともだちマッチ』

同日午後に放映されたオールブラックス南北対決は、確かにハイレベルの素晴らしい試合だった。しかし、国内チームの試合は、別の意味で面白いし、なにより感慨深かった。

ラグビーが日本にも帰ってきたのだから

『自分に身近なチーム』という意識があると、ただ競技として『観戦』するだけでなく、『応援』したくなる。

応援=私に何かをもたらしてくれる期待の表れ

なのだろうか。

自分の応援でチームの勝利、発展に貢献したい、という気持ち、それは、

人の役に立ちたい、という『愛』なのか

チームに『自分自身』を投影しているのか

どちらなのだろう。

いずれにせよ、その気持ちが、試合観戦、グッズ購入等に繋がり、結果として、経済的にチームを支えることになるのだが。

2.曖昧だったラグビーファンの立ち位置

企業スポーツのラグビーは、ファンの経済活動がチームの経営や選手の給与に直接は結びつかない。チケットは協会が一括販売、試合もホームアンドアウェー方式ではない。ついこの間まで、驚く程各チームのグッズの種類は少なく、しかも『試合日にチームテントで販売』のみ、という信じがたい形態が普通だった。『あまり買わない』ことが前提の販売、とは、プロスポーツではありえない。

私はスポーツビジネスなんて知らない。

しかし、素人でも感じることはある。

思うに、企業スポーツの最大の問題は、選手に

ファンあっての自分達

という意識を植えつけにくいことにあるのではないか。

選手の多くは社員でもあるから、『生活のため』気にするべき人間は

監督、スタッフ陣

会社の上司

取引先

であって、ファンの優先順位は相対的に低い。

ファンがたくさんいたらいいな、ともちろん選手全員が思っているだろう。しかし、その程度のぼんやりした願望だけではファンは増えない。自らの積極的な活動が必要だ。しかし、足りなかった。圧倒的に。

新型コロナが日本中を覆うまでは。

3.近くなったチームとファン

コロナ渦は、W杯で人気沸騰したラグビー熱を冷ましたかにみえる。

しかし、3月から今に至るまでの各チームのSNS上の活動を見ていると、ラグビー界とファンの距離感、チームのファンに対する姿勢は大きく変わった、と感じている。

ファンあってのラグビーチーム

ファンあっての選手

という意識が程度の差はあれ、どのチームにも強く芽生えてきた。

4.大型企画も良し、手作りも良し

NTTコミュニケーションズシャイニングアークスの『浦安アークス学園』企画は、あらゆる意味で革命的だ。衣装、映像、企画、全てが本格的だ。実際、選手の名前を覚えられる。かなり攻撃的な企画ではあったが、情報を扱う会社のノウハウが生きているのだろう。驚く程上質に仕上がっている。制服コスプレだが下品ではない、セクハラ発言も皆無、台本もよく考えられている。

予算を投じた分、間違いなくチームと選手をラグビーファン全体にアピールしている。

NECグリーンロケッツは、対照的に、

部員全員の暖かい手作り感

が売りだ。小さな企画で毎日選手が順番でSNS上に登場する。『毎日』ここがポイントだ。日々体を張って、時に芸もスベルがそれもご愛敬。企画もグッズも選手自身が考える、その過程も丁寧に伝えてくれる。過去の企画のアンケートまで取ってくれた。彼らは真剣なのだ。

グリーンロケッツの活動は

チーム、選手の、ファンへの寄り添い感

の大切さを日々教えてくれる。

5.もう客は選べない

ラグビー界のファン獲得活動。

もちろん、今までなかったわけではない。それなりにあった。

ただ、プロ野球や商業演劇に長年親しんできた身からすると、

ラグビー界は、自ら、あるいはファン自身が、ファンを選んできた、と感じる。

部活等で競技経験がある。学生時代からのラグビーファン。チームの所属企業、関連企業の従業員。家族がラグビー経験者、等。

こんなこともあった。

W杯後、ファンが各クラブの練習場に押し寄せた際、SNS上で、

『マナーの悪いファンに、ラグビー憲章を読ませたい。』『ラグビー憲章を読んでラグビーの精神をわかってほしい』という声を見つけた。

気持ちはわかる。わかるが、ちょっと待ってほしい。

日本国民なら日本国憲法をきちんと読んでこい。

と人に言われたらどう思うだろう。

余計なお世話だ。それなりにわかってる。

と言いたくなるだろう。日本国民は第21条『表現の自由』の文言をだれも暗記なんかしていないが、

『他人に著しく迷惑をかけない範囲でなら、どんな表現もしていい自由がある』ということくらいわかっている。

乱暴な言い方をすれば、

日本国憲法が保障する人権について、一般人の感覚で、ザックリわかっていれば、ラグビー憲章も同時に理解したことになる、

と思っている。

だから、よほど犯罪傾向でもない限り、みんなラグビー憲章が求めている人格を有していることになる。

ファンを選別して『お前なら入れてやる』と会員制サロン的な扱いを続ければ、ファンは一定数以上増えないし、娯楽が多様化する今では減少しか未来はない。

もう、ファンは選べないし、選ぶべきではない

Jリーグは発足時

『サポーター』

という日本人には聴き慣れない言葉で、ファンを広く募った。地域全体を巻き込んで。鹿島、清水、浦和、新潟、長崎等、現在地域経済の核になっているチームを挙げればきりがない。

6.選手を守るルールを

ただ、ファンが多様化するとトラブルも増える。世の中

『変質者』『ストーカー』

に悩まされるアスリートは少なくない。

同時に、選手のプライバシーを守るルール作りが必要だ。

ファンの自覚に任せてはいけない。『明確なルール』があってこそ、ファンは適切な判断ができるからだ。

選手も人間、ファンも人間。間違いもあるし、欠点もある。しかし、選手もファンも『等しく』人間としてその価値を尊重されなければならない。その許された範囲でチームとファンは互いを支え合えば良い。

チームはファンを選んではいけない

同時に

チームは、選手達にファンサービスへ過剰な我慢を強いてはいけない

その舵取りは難しい。しかしやらねばならない。







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