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大学ラグビー開幕に思うこと〜学生とエンターテイナーの狭間で〜

1.関東大学ラグビーの開幕

10月4日に大学ラグビーが始まる。今から来週のチケット販売が気になる。しかし、家族の同意が得られるかわからない。夫の同窓会は中止になった。娘は夏のジャニーズライブが中止になり泣いていた。私だけ週末の娯楽を楽しんでいいものか、悩む。

大学生活は人生の最後の自由時間だ。お金はないが、時間と夢は山のようにある。その4年間をラグビーに捧げた学生達に最後の晴れ舞台を用意してあげたい、この気持ちに反対する大人はいないだろう。

2.世の大学生は強制引き篭もり状態

ただ、大学生の子供を持つ身としては、若干複雑だ。

9月から3月までの半年間、ほぼ全ての大学でオンライン授業が決定している。ごく限られた科目のみ少人数での対面授業が設けられるようだが、基本3月まで大学生は自宅に缶詰になる。

これがどれ程心身に不健康な生活か、そばで見ていると実感できる。

極端な運動不足、全く同世代と会話のない日常、出席代わりの膨大な課題、、こんな生活は3ヶ月が限界だが、少なくともあと半年は耐えなければならなくなった。

サークル活動も限定的だ。秋の学園祭は軒並み中止、もしくはWeb配信になっている。

日本中の大学生が叫んでいる。

これは大学生活なのか、なぜ自分達だけ学校に行けないのか。

この状況下での大学ラグビー開幕。同世代の大学生はどう思うのだろうか。

3.なぜ授業はNG、ラグビーはOK?

教室はダメで、グラウンドならOK。たしかに換気の必要はない。

しかしラグビーは『密』だ。しかも80分間荒く息を吐きながら人と人が接触し続ける。

なぜ、『大学生』である彼らは、自宅や寮で『密』を極力避けながら、『密』なスポーツを年末、年明けまで続けることができるのか。

よくよく考えるとかなり矛盾した話だ。

彼らはプロではないから、ラグビーをやらないと生活できない、というわけではない。四年生はすでに就職の内定も出ているから、トップリーグ関係者へのアピールの必要もない。

4.エンタメとしての大学スポーツ

もちろん、私は子供ではないから、

本音と建前

が世間に数多く存在する事を知っている。

大学ラグビーは昔から各大学の重要な広告塔だった。大学入試センター試験直前まで大学選手権がある。大学の受験者を増やす、という役目を、『箱根駅伝』程ではないがそれなりに毎年果たしてきただろう。

今年は、センター試験がなくなり新テスト導入、コロナのせいで推薦入試の出願は遅くなり、一般入試方法も混沌としている。おそらく、来年もそうだ。しかも、未曾有の不景気が追い討ちをかける。受験生は出願する大学数を絞ってくるだろう。

オンライン授業実施のため多額の出費を強いられている各大学は、受験料確保のため、その存在をより一層受験生とその親達にアピールする必要がある。

しかも、大学ラグビーは、アメリカには遠く及ばないが、一つのエンタメとして成立しており、すでに学生スポーツの範疇を超えている。特に早慶戦、早明戦は、それなりに大きなお金が動くイベントなのだろう。

やらないわけにはいかないのだ。

関西の大学ラグビー協会が早々にリーグ戦の中止を決定したのは、天理大学の余波が想像以上に多方面に及んだから、だろうか。この早々の中止決定を批判する声も聞こえるが、大多数の大学生はサークルもバイトも十分出来ずに自宅に引きこもっている、この現実も考えて欲しい。大学でクラスターを出したらどうなるか、その厳しい現実を踏まえた難しい判断だったと思う。賛同もできかねるが、かといって批判もできない。

5部員は学生、その事実を見つめよう

10月からの開幕にあたり、各大学は諸注意をホームページに掲示している。学生の『安全』を考えるなら全て無観客でもいい気がする。プロスポーツではないのだから。

観客は本当に必要なのだろうか。

行きたい、と思いつつも、彼らが『学生』であることに大人が目をつぶっていていいのか、複雑な思いがある。もちろん、大学ラグビーは事実上エンターテインメントであり、彼らはグラウンドでは『学生』という名の『エンターテイナー』だ。しかし、試合が終われば、即シャワーを浴びて、消毒をして、友人との会話も控えて、部屋で1人出席代わりの課題をこなす『大学生』となる。

『密』なスポーツを最後までやり切るために、絶対に感染できない、強い緊張を強いられながら、一般学生以上に『密』を避けた学生生活を続けなけれびならない。

何かが矛盾している。

本音と建前、とはいうものの、当事者である部員達はこの状況下で心身の健康を保ち続けることができるのか。

もし、リーグ戦の最中にクラスターが部内で発生した場合、世の大学生はこの矛盾した状況に苦しんだ部員達に共感してくれるだろうか。

この問題に正解はない。四年生に最後の大会を経験させてあげたい、という、気持ちは当然私にもある。

しかし、この矛盾に満ちた状況下で、学生に自己管理の徹底ばかりを強いるのは大人の身勝手だ。彼らもまた『大学生』、その立場との折り合いをどうつけるのか、大人は考え続けなくてはいけない。

大学ラグビー再開おめでとう!と手放しに喜ぶ話ではない。

最近大人は無責任だ、と自戒も含めて思うことが増えた。思考回路をあえて止めているような気がする。

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