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株式会社100代表・山上博子さん #36

「出でよ!ジャンヌダルク!!~女性経営者が未来を変える~」。
(毎月第一金曜日・午後7時~)https://www.be-happy789.com/
毎回、創業間もない女性経営者にゲストとしてご登場していただき、
何故、起業し、そして、今後、何をして行きたいのかを、お好きな曲とともに根掘り葉掘りお聞きしていきます。
6月のゲストは、3月7日に起業したばかりと言う出来立てほやほやの会社・株式会社100(ワン ダブルオー)の山上博子代表です。

(写真:真ん中 山上博子さん)

まず、この株式会社100の事業から伺いました。

「“ほけんの窓口”のガン検査版のようなことをやりたいなと。“ほけんの窓口”さんは、自ら保険は持っていなくて、様々な保険を選べる“窓口”をやっておられる。一方、ガン検査も今後ますます様々なものが出てくるかと。そうすると、どれが自分に合ったものなのか、迷う。そこで、私は、ユーザー側に立って『あなたには、これが最適ですよ』とご提案出来るような事業が出来ないかなと考えています。」

なるほど、面白い!しかし、山上さんをゲストにお迎えした大きな理由は、
この事業の面白さに加えてもう一つ、今の山上さんの「肩書」にありました。

「私、経営者もやっていますが、実はその傍ら、会社員でもあるんです」

そうなんです。山上さんは、今も大手企業の社員。大手製薬会社・塩野義製薬の社員でもあるんです。塩野義製薬では、去年の4月から副業が解禁になり、こうした働き方がオフィシャルに認められるようになったそうで、
「月に5回以上は出社しなさい」と言うルールはあるものの、基本、在宅で勤務されているそうです。
しかし、どうしてこういう働き方を選択するに至ったか、その経緯をお聞きする前に、まずは、山上さんのプロフィールがこちらです。

1983年1月8日、神戸で生まれます。人を笑わすのが大好きで「おやじギャグ」を連発されておられたそうです。そんな山上さんは女子高から甲南大学の文学部へ進学されますが、就活に際して、自分自身は小さい頃身体が弱かった、そう言えばお母さんは薬剤師の資格を持っていたな、などから医療関係もありかなと思っていたところ先輩から文系でもMR(医薬情報担当者)に就くことが出来るよと聞いて、製薬会社を目指すことになるのです。

しかし、もう一つ大きなキッカケは「おばあさん」と言うことでした。

「隣に祖母が住んでいました。祖母の口癖は『私は100歳まで生きる』『富士山のご来光を見る』と毎日のように言い、私もそう思っていた。それが、私が大学受験の時に、末期のガンで、もがき苦しみながら亡くなっていった。非常にショックでした。」

そこで、ガンの痛みの緩和にも熱心だった塩野義製薬に就職されたと言うわけです。そして、さらに、彼女がショックを感じたのは、MRとして働き始めて10年以上がたった2017年に、山上さんと同い歳だったタレントの小林麻央さんが、乳がんで亡くなったときでした。
 
「今までは“誰かのため”と言う思いで働いてきましたが、このニュースを聞いて、自分も死ぬかもしれないなと、一気に“死”が身近なものに感じられるようになりました。ただ、それでも・・・」
 
山上さんは、ここで一拍置いて、こう続けられました。
 
「乳がん検査って痛みが伴う。がんが自分事になった自分でさえ、過去に痛かった経験があるので、また同じ検査を受けることを躊躇する。なんとかそこを変えられないかと、ずっと密かに思っていたんです」
 
そうした思いが浮かび始めた頃、会社側は、山上さんに様々な研修を受けさせ、社内ビジコンにも挑戦をさせ、新規事業を手掛けさせ、さらにベンチャー企業にも出向させます。一方、山上さんも、自ら授業料を支払い、忙しい中、なんとか時間をやりくりして、事業構想大学院大学に入学します。そして、そこで出会った同級生が、働いていた会社を辞め、退路を断っていち早く起業を果たしたのを間近で見ます。山上さんは、去年の出来事で一番の衝撃だったと言います。しかし、当初「私はまだ無理」と思っていたものが、その後、何故、自らも起業するに至ったのか。
番組では“その瞬間”を切り取って、ラジオドラマ風にお伝えいたしました。
出でよ!ジャンヌダルク!!その誕生の瞬間です。

「君がやりたいことは幕の内弁当みたいやなぁ」
当時、廃校を使って何か病院のようなものが出来ないものかと言う構想を抱いていた博子に、事業構想大学院大学の教授は、こう言い放ちました。
そして・・・
「色々あってええねんけど、肉弁当の方が、涎、出えへんか?」
さらに「自分の中での肉弁当を探せ!」と言われたのです。

その時ちょうど出会ったのが、ベッド型の検査装置で、受診者がベッド上でうつ伏せになり、ベッド中央にある穴に乳房を片側ずつ挿入するだけと言う乳房用リング型超音波画像診断装置「COCOLY(ココリー)」でした。
それは去年の9月中旬のこと。

しかし・・・
 
「えっ、こんなに良い機械なのに、医療機関に全然入っていないんですか?」「それって、もったいないじゃないですか!」
そこで、博子はその場で、「これを普及させる方法、私に考えさせて下さい」と提案をしたのです。その年の11月に開催された日本乳癌検診学会に参加。そこでは、マンモグラフィの検診カーに医者が同席しなくてよくなったことを成果として語っていると言うような議論が交わされいて、博子はこう決意を固めたのです。
 
「これでは私が生きている間に、新しい検査を医療機関で受けることは無理だな!もうこれは私がやるしかない」。
その後の動きは非常に早い。様々なビジコンで自分の事業を訴え、創業塾にも参加し、今年の3月7日に法人化します。博子はこう自己分析します。
「私、人に言うことによって追い込むタイプなので」
そしてさらに「動けば動くほど、新たな出会いがあるのです」とも。
多分本当は、ある部分、シッカリと背水の陣を敷いて、物事にあたる
ジャンヌダルクなのでした。

(乳がん検診啓発イベントを主催する山上さん)

確かに決断した後の動きは実に早い。
しかし、そこに至ったのは、会社が副業を解禁したと言うことが大きいかと。となると、他の会社でも副業解禁を果たしたところが多いので、こうした起業の仕方と言うのも増えるのではないでしょうか?
山上さんもこう話されました。
 
「増えるべきだと思うし、実際に出現してきている。人生色々とやりたいことがある、ならば、この方法は増えると思うし、増えてほしいと思います」
 
「人生、色々とやりたいことがある」と言う山上さんの思いは、実は会社名にも現れているのです。株式会社100の「100」には、人生100年時代を迎えると言う思いとともに、こんな意味も含まれていたのです。

「事業を100個くらい考えたいんです。ヘルスケア関連で色々とやっていきたいなと思っていますし、あと、実はもともと教師志望だったので教育関連のこともやってみたい。人生100年時代でも、私、残すところ60年程なので、1年1個でも間に合わない。急いでやらないと。でも、私が亡くなった後でも、そうした志を継いでくれる方がおられたら、まずは100を途中として、1000個、1万個と続いていってくれたらと思います」

今後はクラウドファンディングを行い、多くの仲間を集めるとともに、情報の発信にも努めていかれたいと言うことでした。
いやぁ~本当に興味深いトーク、山上さん、ありがとうございました。
 
ところで、山上さんが「ここぞ!」と言う時に聞かれる曲は、中島みゆきの「地上の星」。ちなみに山上さんのカラオケの十八番でもあるそうです。(笑)
 
さて、次回の放送は、7月7日(金)です。
どんなゲストが、どんなお話しをお聞かせくれるのか?
皆様!!お楽しみに!(*^_^*)

【参考】
株式会社100 (ワンダブルオー) - (100onewo.com)

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