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東京駅、使い続ける国宝建造物。

東京を離れる前に、インバウンド観光人材講座なるものを受講していました。その中で、東京駅のフィールドワークはやはり記憶に残るものだったので、アーカイブ。
数年前、派遣先が東京駅前だったこともあり、よく使っていた駅。
東京駅って殺害現場だったんですよ。の解説にドキリとしました。

あんなに使っていたのに、知らなかった。。。

歴史を知るって大事だな、と実感したフィールドワークでした。

これまでの軌跡を知って、今を生きる。


<メモ>

北口は開業当時は降り口だった
南口は待合のウィングがある
床面は屋根を覆っていたジュラルミンのデザイン
戦後は2階建
北と南で色が違います
1、2、3階でレンガの色が違う
100年、1、2階
3階は復元工事後にできました。
歴史はお金で買うことはできない!
2階建の時に国の重要文化財になっている
丸の内駅舎を建て替える計画もあった
バレンタインの時に陳情書、市民グループ
真ん中は皇室の玄関
美術館ではさわれないレンガ、保存
東京駅は使い続けながらホテル使い続ける国宝へ!
目地がかまぼこ型になっている!No1の匠の技
74万人の職人、大林組
このレンガの向こうに声がある
建物ではリピーターできない
中にどんなストーリーがるか、そこにいる人に共感できるか
お客様が東京駅でどんな思い出をつくられたか
100年後もここにある
南口はホテルのバンケットのところが待合だった、床屋などもあった
空襲の焼け跡のレリーフ、一部だけ色が違う
南口は原首相殺害の地
ゴムのところは免震層、地上4階、地下2階
基準上はいらないが、油圧ダンパーとブリジストンゴム
松の杭を1100本打っていた
工事期間6年半、地下の免震が時間かかった


アトリウムの窓を作るところは文化庁と難儀したところ
客室150、3階は全て、2階は半分ギャラリー、レストラン


開業当時は58室、昔は駅舎で使っていた
ホームに合わせてホテルも長くなった、東京駅よりも長い
防音はしっかりしている
4階からの階段は隠し階段だった、鹿島JV
空襲の時は上は塞いでいた
廊下幅はかつて2倍、赤絨毯だった
ゲストリレーションは会話を楽しめるようでないと
壁の写真や絵画
リッチモンド、女性向けのデザイナー
エレベーターホールだけシェードの色を変えてもらった
干支は12支のうち8支のみ、4支は佐賀、武雄温泉
ドームレリーフ:秀吉の兜、鳳凰(駅舎を守る、宴会場の名前にも、陽光、桐:鳳凰が止まる木)、鷹と稲穂、クレマチスレリーフ(花言葉、旅人の悦び)

戦争の焼け跡も残したデザインが心に沁みます。

ホテルの最上階。いつかここで大切な人と食事をしてみたいな。

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