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愛のメロディー

春のうららかな季節から早3ヶ月が過ぎ、ようやく梅雨が明けて今まさに夏本番の真っ盛りである。後ろで蝉の声が賑やかに鳴っている。やはり夏の最中にいるのは間違いない。

でも本当は季節などどうでもいいのかもしれない。

約3ヶ月前、突然ピアノの発表会のお誘いを受けて、ようやく本格的に発表会へ向けての練習の日々が始まった。ピアノがなくては何も始まらないという事で、まずピアノを購入した。結構な期間ウダウダしてたのだけど、何をどう迷ったのか今となっては思い出せないくらい頭の中はスッキリとしている。中古の電子ピアノを求めて、ネットやら中古品店やら、色んなところを徘徊し、ウダウダしていたのが自分でも本当にびっくりするくらい、最後はあっけなく手に入れてしまった。メルカリで見つけて、売り手の方と何度かやり取りしたヤマハのピアノを最後の最後でキャンセルした翌日、直接自分の足で向かったトレジャーファクトリーで、手頃な値段のピアノが運良く見つかった。見た目がなんとなく好みだった。

ピアノが無事に家に到着するまでの間、未来へのワクワクとドキドキが止まらなかった。自分が憧れの「舞台」へ立つ事を想像し、不安よりも期待の方がはるかに大きかった。それはとても小さな舞台に過ぎないのかもしれないけれど、あがり症の私にとっては非常に大きな挑戦だ。

実際にピアノが届いて、ドキドキしながら、鍵盤に触れた。自分の今の持ってる力はどのくらいなのか、昔繰り返し弾いた曲を、少し茶色くなった楽譜を見ながら、あの時と同じように弾こうとするのだけど、やはり何十年もの空白の時間は大きかった。正直自分の中の衰えを感じてしまった。うまくリズムがとれないし、なにより指が思った以上に動かない。発表会の為の楽譜は昔のものよりはるかに音符の数が少ない。それでも「過去に弾けた」という自信はみるみる自分から遠ざかっていった。

それでも身体が覚えているのだろか、それは不思議な感覚なのだけど、思考を離れて勢いに任せると指が勝手に動くような事も何度かあった。落胆と安堵を何度か繰り返し、今ようやく「今から練習すればなんとかなるかもしれない」という微かな光が見えてきたのだった。

発表会の曲に選んだのはJourneyの「openarms」という曲である。最初にこの曲を知ったのは「海猿」という映画の中でだった。だからなのかこの曲を聴くといつも海をイメージしてしまう。自分が大海原の上空を鳥のように飛んでいて、何かから解放されたような自由な気持ちになれるのである。

もう1つ、弾きたいと思った曲があって、それはサザンオールスターズの「いとしのエリー」である。この曲もシンプルだけど、何度聴いても飽きがこない。何処かの海が見える公園で、中年の男性がトランペットで繰り返しその曲を奏でていたのだけど、この曲を聴くといつもその情景が一緒に思い出される。

どちらの曲も、感覚的にピンと来たものを選んだのだけど、共通して「愛に気づく」というのがテーマになっているような気がする。2つともシンプルだけど、心の奥深くまで、じんわりと浸透していくようである。永遠に繰り返し聴いていられるような不思議な心地よさがある。

どうやら私は猛烈に、愛というものを表現してみたかったのかもしれないと思った。寂しさではちきれそうになっている私の心を救ってくれたのは、愛のメロディーに違いなかった。

自分がどこまで愛を知っているのか、まだまだその道のりは果てしなく続く長い道のりなのかもしれない。深みも厚みもないかもしれない。でも、ボロボロでもいいやって思う。どこかでボロボロになりたいって思ってるかもしれない。愛のメロディーが愛に届かなくても、今、全身で伝えられる限りのものを表現してみたいと思う。


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