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オーマイピンク!

東京でついに桜の開花が始まったようである。今年は平年よりも早く春がきたらしい。

今日は天気が良いので、公園でnoteを綴っている。セブンイレブンで購入した桜もちとカフェラテと供に。さくらミルクプリン、桜ポンチゼリー、桜と宇治抹茶のパフェ。この季節になると、よくこんな感じの桜色のスイーツが並べられている。花よりだんごの私なのである。来年にはもう違う名前のものが売られているのだろうけど、今日はその軽さが心地よい。

私は実はピンクが苦手であった。まわりの女の子達はわりとピンクの小物や洋服を持っている子が多かったけど、私はピンクを選ばなかった。それでも桜の花は毎年キレイだと思ったし、まわりの女の子達もピンクがとても似合っていて可愛いかった。でもピンクは自分の色ではなかった。「ピンクは女の子の色」と単純に決めつけてしまうところもあった。従兄弟のお兄ちゃんに「色に女も男もない」と言われてハッとした事のをよく覚えている。当たり前のようにだいたいのまわりの女の子はピンクを身につけていたけど、わたしにとっては遠い存在だった。

それがここ何年か、急にピンクを欲するようになったのである。洋服はピンクにするまでにはいかないのだけど、ハンカチや雑貨・小物類などにピンクを選ぶようになった。いつもはなんとなく選ぶハンカチも、今日は絶対ピンクのハンカチを持っていこうと思った時もあった。ピンクを持っていると心が落ち着いた。なんとなく不安な夜は、行き先不明の思いをピンクが全部受け止めてくれるような気がして、ピンクの花や石を側において寝ることもあった。

その頃から色の持つ力というものを信じるようになった思う。色彩のもつ心理的効果というものは、科学でも証明されていて、色が目に見えていなくても身体は影響を受けているらしい。私にもこれは真実である。

私がピンクが苦手だったのは、今にも消えそうで繊細で曖昧な自分を認めるのが怖かったからなのかもしれない。ピンクにはそういうところがある。それがいつしか淡いピンクの、とくに桜の桜色は私にとって心ときめく色になってしまった。ピンクの優しさを知ってしまったのである。すべてを包み込むような温かさや、守られているような安心感を。そのままで私はちゃんとここにいるよって。

今でもピンクを表現するのは少し勇気がいる。 それでも風に頬を撫でられたみたいに、ピンク色に救われた自分を信じてみたくなる。また、明日には消えてしまうような儚い色だとしても、毎年決まった季節に同じ場所でピンクの花を咲かせる桜のように、大地にしっかりと根を下ろし、強くありたいとも思う。

私はこの先もずっと桜色を優しい色だと思える自分でありたい。いなかから上京してきてかれこれもう十年以上になるけれど、どこかのお話の中のフレーズであったように「都会の人は意外と優しい」って思う。そんな風に思えてる自分にホッとする。今まで私は沢山の数えきれないくらいの「優しさ」をもらってここまで生きてきたんだと思う。それはもう出会う事のない「優しさ」も多い気がする。そしてそれを「返せていない」と思う事の方が多いのである。やっぱりどこかで「優しさ」は「優しさ」で返せる自分でいたい。

今私の手の甲に転がり込んだピンク色の花びらがフワッと風に舞ってどこかへ飛んでいった。だからそっと願うのである。行き先不明の「ありがとう」がどこかで誰かに届きますように。



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