誰かを想うこと


誰かを想うことは、勇気のいることだと思う。

誰かを心から想うことは、失う恐怖も同時に引き受ける覚悟がいるから。

心底誰かを大切に想うとき、

失ったらどうしよう
裏切られたらどうしよう

そんな不安が頭をよぎるのだ。


そういう恐怖が起こるのは、自分のコンディションが良い時ではない。

悪い時だ。

何もかもが自分の味方でないような、不安や孤独に駆られているとき。

それでも変わらず大切な相手を大切に想い、行動できるか?

自分と同等以上に大切に扱えるか?

誰かを大切に想うということは、自分のその場のコンディションで、コロコロと変えて良いものではないのだ。

なかなかできることではない。


人との関わり方として、
少数の人と深く深く繋がるスタイルも、
誰にでも等しく親切にしたいスタイルもある。


わたしは本当に本音で関われる人が片手分の人数でもいてくれたら、奇跡に近いくらい恵まれた幸福であると思っている。

本音を本音に出して関われる相手は少ない。

自分でも見失いがちな、自分の本音。
それを人様に出すわけだから。

とても怖いことだけど、そういう相手がいてくれることの幸福は計り知れない。


みんなに平等に接したい人はそうしたら良い。

自分が幸せならば、そこに正解も不正解もない。

しかし、死が絶対的に訪れる人間である以上、自分の時間という命が有限であることは忘れてはいけない。


時間は無限じゃない。


自分は何を、誰を、大切にしたいのか?

死ぬ間際、あぁ幸せな人生だった。と言えるのはどんな生き方なのか?


それは常に答えが変わり続けるのかもしれない。

それでも、向き合い続けるべき問いなのだ。


大切な人を本当に大切に想いつつ、
ご縁のあった一期一会の出逢いも、そのときできる限りの親切な心で向き合っていきたいな、と思う。

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