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"勝ちながら育てる"を体現した男 阿部慎之助

9月24日 

朝のスポーツ紙一面で報じられたのは


「阿部慎之助 現役引退」


思わず新聞配達員がその一面をフライングツイート…というのは置いておいて、それくらいの衝撃を与えたニュースだった。

ましてや前日23日の神宮でのヤクルト戦、途中出場から特大のホームラン含むマルチ安打を記録したばかりだったから尚更信じ難かった。



 しかし、冷静に考えると、引き際としては最高のタイミングではないかと思う。


 今年は捕手出身としては史上3人目となる通算400本塁打を達成。2年前の2017年に達成した通算2000安打と併せて、打者として大きな節目の記録は達成済み。

そして今季は自身8度目のリーグ優勝を達成。阿部から主将を引き継いだ坂本に主将としての初優勝を味あわせることも出来た。(後の引退会見にて「坂本が主将になって優勝出来たので、ある意味僕も荷が降りた」と発言しそれが引退を決断した要因の一つとも語っている。)



 捕手という心身の負担が大きいポジションを守り続けたこともあり、若い頃から度々身体を痛めていた。その為、近年は満身創痍の状態で多くの爆弾を抱えての出場だった阿部。

それでも19年間一線でプレー出来た要因とは何なのか。本人は「野球が好き」という気持ちが原動力と語るが、阿部ほど幸せで恵まれた環境でプレーが出来た選手も数少ないと思う。



 阿部がプロ入りしたのは2001年。

ドラフト1位で中央大学から鳴り物入りで入団。

当時の原ヘッドコーチの進言もあり、球団23年ぶりの「新人捕手開幕スタメン」で初打席初安打初打点を含む4打点と鮮烈なデビューを飾った。


 その後着々とスタメン出場を重ねるのだが、当時のチームは、松井秀喜、高橋由伸、清原和博、江藤智…といった超スーパースター軍団。

例え1人が打てなくても打線全体でカバー出来る選手層の厚さがあった。

その選手層があったからこそ、若き阿部慎之助を大胆に起用し続け、打者として経験を積ませることが出来たのではないだろうか。(その中でバットでも結果を残してきたのがこれまた凄い…)


捕手としてもそうだ。

当時の投手陣も晩年の斎藤雅樹や桑田真澄、工藤公康、上原浩治といった錚々たる顔ぶれで、毎日がレジェンドからの教育実習的な側面もあったはずだ。


この経験があってこそ、リーグを、日本を代表する捕手となったと言っても過言ではない。

間違いなく阿部慎之助の基盤が出来上がった時期だ。


誰よりも贅沢なチームメートからの勉強。

これは確実に''巨人軍だからこそ''出来たことだと思う。



その後、阿部も歳を重ねていくにつれて、巨人軍も目まぐるしくメンバーが変わっていく。

その中でも決して自分を見失わず、阿部慎之助は進化し続けた。


2010年には44本塁打、2012年には.340、27本塁打、104打点でMVP。チームは5冠…とすっかりチームリーダーとなり、背中でも結果でも巨大戦力を率いる姿は原辰徳の一番弟子として相応しく、まさにグラウンド上の監督だった



2015年 リーグ3連覇を達成した翌年から主将を坂本勇人へ継承。原監督も居なくなった。


「慎之助のチーム」から「勇人のチーム」への移行が始まった。しかし、それは険しい道。


4年間頂点から離れた。


坂本主将の苦しむ姿も見てきた。


その中でも岡本和真を初めとする次代を担う若い芽が出てきた。



そして2019年


再び若大将 原辰徳を監督に迎え、5年ぶりの頂点へ帰ってきた。

40歳になった阿部も健在だった。


捕手ではないものの、代打、終盤はスタメンでも勝負強さを見せた。

その原動力には、愛弟子坂本をはじめとする後輩からの刺激もあったはずだ。(9月27日の東京D最終戦「ありがとう慎之助」にて、坂本の40号と共に新旧主将アベックホームランを放った場面は今季最高の鳥肌モノだった)


原監督が望む、「勝ちながら育てる」


現役19年間でまさにこれを体現してきたのが阿部慎之助だ。


勝ちながら育ち、

勝たせながら若手を育てる。



いつか、''勝ちながらチームを育てる''姿が見れる日もそう遠くはないはずだ。



'''ありがとう慎之助'''


阿部の野球道はまだ道半ば


我々もまだ彼の背中に夢を見続けるに違いない。



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