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全日本選手権 反省号② 準備編

Part2です。一年前の全日本から、今回の全日本までのトレーニングについて、時系列的に記録します。おまけ的な。

今回の全日本に向けた本格的な始動は3月頭からでした。それまでは怪我と故障とリハビリです。
2021年はほぼ勢子辻しか走らなかった結果、足場や藪、登りに対応できなくなっていたので、今年は様々なバリエーションの難テレインで練習を積むことを意識しました。

11月~1月 
完全故障期

入賞を目指していた去年10月末の全日本ミドルで右膝の腱を強打し、11月は全く走れませんでした。
その後もワクチンの副反応予防やら(1年休学していたので)修士研究やらの合間に走ったものの、怪我で崩れた身体バランスのせいで、研究が終わった2月頭の頃には筋肉が強張りきっていて完全に故障者でした。

2・3月 
読図難易度を求めて 
南スペイン滞在

脚は完全にダメだったものの、2月にスペインのアリカンテ(Alicante)地域に渡りました。拠点は海辺にあるキャンプ場のコテージで、欧州各クラブや代表チームが冬季合宿によく利用する砂丘オリエンテーリングエリアです。
就職予定先とZoomしたり修論を直したりしつつも、ただ作って食べて寝て走って泳いでサウナして反省して寝てました。

2月頭から3月頭の1ヶ月は9割の練習がリハビリジョグでかなり絶望してましたが、徐々に回復して2週間くらいオリエンテーリングをしました。

コテージから500mくらい。故障時ログ

4月 
読図難易度を求めて 
伊豆大島合宿

は頓挫しました。花粉からある程度逃れつつ、8月のIOFキャンプに向けてトレーニングさせていただけないかとお願いして許可いただいたのですが、就職先から「フルテレワークじゃなくて一年くらい出社しろ」とお達しいただきました。

そんなわけで、難易度厨になってた頃に組んでいた最高にクレイジーなメニュー達は東京湾に沈みました。誰か供養してください。

4月 
とにかくキレイな空気がほしい 
八ヶ岳合宿

スギもヒノキも猛威を振るっているくせにテレワークできなかったので、4月は花粉が届かない高原を探し回りました。
菅平1500m「GW過ぎまで雪で走れっこないよ」
裾野1400m「雪」
八ヶ岳1300m「OK」🤗

そんなわけで旅行いこうぜと家族を八ヶ岳に連れ出したところ、日曜日は予報にない大雪。
僕は白い頭でトレランし、弟は車の中で3時間Amazon Prime Videoを観てました。それ以来、弟は僕の誘いにそっけなくなった気がします。

真面目な話に戻ると、仕方ないのでゲレンデ走をしたり、クロスカントリーでファルトレク(速めのスピードと遅いスピードを1,2分単位で繰り返す練習)をして、基礎的な登りの持久力と、春先に向けた基礎体力づくりをしていました。
また、NPOトータスの皆さんとお会いした際にご厚意でテレインを走らせてもらったりしました。友人にコース組みをお願いしたり、打撲したりしていました。

平日はマスクを2,3枚持ってジョグです。

5月 
読図難易度を求めて 
足尾・筏場・希望ヶ丘・石部

合宿を開いたり、大会に出たり、常設テレインを活用したりして、激しい移動を伴うオリエンテーリング練習をしました。スペイン合宿でやった手続き練習は活きていたのか、4月ですっかり忘れたのか、上手くいったり大爆発したりしていました。

合宿から帰ってコンパスを洗濯乾燥機に入れて壊した。

6月 
スピードを求めて 
大会とかサマチャレとか

自分で組んだ勢子辻コースを使い回したり、大会に出たりしていましたが、オリエンテーリングリズムが崩壊して完全に迷走していた時期です。今思えば、平日に読図走や手続き練習よりも、調子が上がってきたラントレを優先した結果だと思います。

下手すぎる

7月 
北欧を追って 
望郷の森、勢子辻、OOCUP、望郷の森

8月のIOFキャンプへの自費参加が仕事の都合で不可能になったので、7月末にスウェーデン・ウメオ(Umeå)で5日間開催されたOOCUPに遠征しました。

スウェーデンまで行って手も足も出ないと勿体ないので、IOFキャンプ等への対策として山川さんにお願いしていた山川ドリーム@望郷の下見隊(一人)として2日間、望郷の森を走りました。下手すぎるサムリーディングと溢れる蜘蛛の巣地獄にめためたにされました。

冬の地図でこのコースを夏に走ろうとする自殺志願者

でも、OOCUPはもっと、めためたのボコボコのけちょんけちょんの涙目にされました。1週間前から北欧合宿していた伊藤・永山両名はコツを掴みつつあるようでしたが、僕には地図表現が全然わからないし、気泡入りコンパスが現地で磁北を指してくれないし、足元がふかふかな岩岩でやばすぎるし、完全におしまいでした。O'Ringenのトレーニングコースの方が随分マシでした。
北欧をホーム感覚で走るには、最低でも合計2年間以上のデイリートレーニングを現地テレインで行う必要があるような印象を持ちました。それが収穫です。

完全にヘルプミー

7月末の山川ドリーム@望郷は、下手なところもあったけれど、だいぶステップアップした感覚がありました。

が、土曜に宿の手洗い場かどこかでコロナをもらいました。

8月 
隔離療養と、リハビリと、Aシード 

数年ぶりに発熱して解熱して、10日間、横になるか働くか、最後に少し筋トレするかでした。可能な限り高タンパクな食事を摂るようにしましたが、体重は3kg落ちました。
解放日に60分ジョグをすると、凄まじい筋肉痛に襲われ、翌日に森に行ってゆっくり練習すると笹の影の倒木で膝を強打。打ちどころが悪く、日帰りドライブ往復7時間、練習2km20分でシクシクと帰りました。

その後、ジョグを40分に抑えながらリハビリを続け、CC7に向けたクラブ内レースでぶっ飛んだり、8月末にAシード入り最終チャンスの北大大会で優勝し、目標達成できたりして、何とか軌道修正。

9月 
基礎持久力と、スピードと……  
CC7

積極的に足場が悪いテレインを選んだり、高地を選んだり、スピードが出る細かいコースを走ったり。また、ミドル競技くらいは全力で走れる以上の状態に持っていくために、とにかく基礎体力を戻すことを優先してラントレを積みました。

あるときはCC7エース区間を懸けて前中選手にタフめロングで勝負を挑んで大敗しました。
またあるときは、全日本ロングで優勝した伊藤選手が直近で走ったロングコースとほぼ同じコースを走りました。ただ、この時に平均ペースを比べて、全日本ロングで優勝を目指すのは、やはり殆ど現実味がないと判断しました。

CC7は準エース区間を走って、区間賞は獲れましたが、目指していたパフォーマンスからは身体・技術・精神の面で少し遠く、残念。
ただ、一定の仕上がりは感じつつあり、「まあまだ2週間あるし」とまだ気楽でした。まだ。

その日の昼食は、キッチンカーに期待して持参しませんでした。しかし、キッチンカーは食事らしい食事を売っていませんでした。
仕方がないので、雲間が晴れて温度が上がった車内で茹だっていたサラダを、訝しみながら、食べました。

霧ヶ峰に泊まるその夜、腹痛がひどく、アフタートレーニングを放棄して帰宅。完全に食当たりでした。
全日本選手権2週間前の日曜から水曜までの食事は重湯(粥)やらゼリー飲料やら野菜ジュースやらのみ。細菌感染してそうだったので火曜に受診して抗生物質で殺しました。体重-3kg。

まあ、当たったのが2週間前で良かったよね。4年前にインカレ1週間前に当てて一回学んだからね。

ヒトは過去から学ぶのデス😭

1週間前

日曜と水曜に富士で練習しました。ビルドアップ走で調子を整えました。
静岡大大会は読図時間が短すぎて大崩れしたけれど、思っていたよりも身体は仕上がっていたし、その後にオリエンテーリングも調整して修正できました。

今回は予想地図を作るのも容易でないし、できる限り無心で目の前の地図とテレインに向き合うことをテーマに対策をしていました。

大まかなコースの回し予想からアップダウンの配置だけ考えて、あとは何もしませんでした。レース前に会場などでの外部情報をシャットアウトしました。レース中に頭の中でメロディ(レース敗北確定BGM)が流れないように、メロディラインが複雑なものを選んでみました。

でも本当は目標を達成できないのが怖くて、直視できていなかったのかも知れません。去年と異なり、緊張がほとんどありませんでした。今の自分のベストを尽くしたと思っていたからかも知れないし、無謀と諦観する自分がいたからかも知れません。

レース本番

レースは2日間とも集中できていたと思います。ただ、脳の3割は僕を急かしていました。今のお前じゃ、もっと追い込んで走らなければ優勝に足る走りはできない。止まるな。早く動け。

どのくらい追い込めば自分がベストパフォーマンスを出せるのか把握できていないような選手が勝っていいはずがありません。速度に支配され続けた僕は2レースとも自滅しました。

以降、前記事に続きます。

これから

まだまだ基本動作がなっていないので、そこのアプローチは続けつつも、これからどう練習していくかは少し悩み中です。

そろそろフルテレワークの許可が降りても良さそうな気はするので、国内で2週間くらいの合宿を繰り返したり、海外行ったりできたならと思案中です。
NZクライストチャーチに良いトレーニング拠点がありそうなので、僕を何かに招待してくれたらそれを口実に会社の許可を取って住みます。

誰か〜NZで結婚式とか挙げて招待してくれ〜〜

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