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褒めていないと落ち着かない

今となっては「なんでそんなことを気にしていたんだ」と自分でも驚くのだが、自分のTwitterのいいね欄を他人に覗かれるという構図そのものが「嫌だ!」と思ってしまう時期があった。
特になんの害もないのだが、たまに「●●さんのあのツイートに反応してましたよね」という何気ない相手の一言から、パーソナルスペースに土足で踏み込まれるような感覚を覚えることがあった(もちろん相手に悪意はない)。ここで重要なのは「リツイート」ではなく「いいね」欄ということである。そもそもTwitter上で公開されているものなので、本当に自分勝手な話ではあるのだが、当時の自分はかなり神経質になっていた。
これは自分による無駄な勘ぐり、勝手な深読み・妄想により生まれた閉塞感から始まった謎行動と、それに伴う気づき〜結果の記録である。

作業の始まり

自分はやけに極端だった。自分のTwitterプロフィール上で「いいね」済みの投稿の1つ1つの「いいね」を解除する作業を始めた。
電車の乗車中・なにかの待ち時間・湯船に浸かっている間・パスタが茹で上がるまでの残り時間などでポチポチポチポチ、自分が過去にリアクションしたものを打ち消す作業が始まった。毎日コツコツ1つずつ、丁寧にハートマークを押しまくる作業である。しかし解除するのだから本来意図される感情と真逆のエネルギーが必要になる。苦行である。そしてごめんなさい。
ツールを使えばあっという間に全部を解除することももしかしたら可能なのかもしれないが、「自分がこれまでどんなものに反応したか」ということを思い出す時間にもなったので良しとする。効率の良さは、ここでは特に求めていない。

気づき

目的は「自分の『いいね』欄を見られたくない」ということである。ということは、この作業を始めてから、あたらしく「いいね」をすることすらも出来ない……ではなく「しない」ことになる。たまに眺めるタイムライン上では「おっ!」「めっちゃ好き!」「がんばったね!」と衝動的にハートマークをタップしてしまいそうになることが頻発した。我慢するしかない。苦しい。なぜこんなことに……(😨)。
そうして4年分くらいの自分のいいね欄を眺めていると、ちょっとした誰かの頑張りや偉大なクリエイティヴに対する憧れが積まれていた。そこから「ブックマーク」に登録し直したものもいくつもあった。元気が出る。じゃあこれから「ブックマーク」にためていけばいいか!とも思ったが、なぜかそうとも思えなかった。なぜか。どうやら自分は、「誰かを褒める」ということを表面化しないと落ち着かないらしい。「相手に【自分はあなたを『いいね』と思いました!】ということを伝えたい」のである。自分のことは認識されなくても良いのだが、相手に数字1を足したいのである。

それから

結論=気が楽になった。謎の病も解けた。
今ではなんの躊躇いもなく「いいね」ボタンを押す日々である(しかし使い方に注意が必要だとは思っているので慎重に)。
ちなみにTwitterの使い方・向き合い方については他にもいろんなことで悩み、この数年で右往左往・試行錯誤があったが、今回の件が解決したいまがいちばん楽である。ポートフォリオやビジネスメールにはあまり出づらい「人間味」を出していくことに楽しさを覚えてきた。と言いつつそこまで沢山投稿はしていないが…。
昔からの方針としては、「ネガティヴなことは書かない」ということは徹底しつつ、あまり難しく考えず気楽にやっていこうということに。

余談

実はこの記事、「褒めていないと褒められない」という別内容で下書きを作っていた。これはコンプレックスのかたまりである自分が「同業から評価されていない」という自己劣等感から発生した自分の負の感情を余すことなくぶちまけ、愚痴を吐き出し、大変な角度に斜に構えた内容として準備していた。めでたく永久にお蔵入りである。ここにきて割とポジティブな内容になったよかった。本当に。

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