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TwitterとFacebookと。その場が変わったのか私が変わったのか。


最近、Twitterの投稿と閲覧が多くてFacebookを見るのは1日に一回くらい。開こうとするとなんとなく気分が重い。とはいえ、管理している公式ページがいくつかあるし、そのうちの一つは運用頑張りたいものだからみるけど、個人の投稿はあまり気にしていない。

お仕事の繋がりはFacebookにあるから何かあれば投稿するし、人探しには重宝している。ネットワークとコミュニケーションの育成活動はあまりしていないけど、反応くれる人は10〜15%くらいいるから、ありがたい。

基本的に会ったことのある人だけと友達になっているので、そういう意味では気にしてくれる人が多いのかもしれない。

Twitterも比較的会ったことのある人とか素性のわかる人との繋がりや相互フォローが多いので見てくれていて、またそれが嬉しい。

世間に伝えたいことは一貫している。

しばらく前、clubhouseがどどーんと入ってきた時はそれなりに早いうちにアカウント作っていて、それはTwitterの繋がりの人が多かった。そしたら1週間後ぐらいにFacebookの友達の皆さんが雪崩れ込んできて、私の繋がりはミックスされてカオスになった。

ちょっと面白かったし、いよいよTwitterも本名仕様に変更かなぁと思ったりしたけど、いまではほとんどclubhouseを使うことはない。なんとも嵐のような出来事だった。

根底には統合したいと思っている自分がいる。言いたいことは一緒だから。けれどFacebookとTwitterでは言えることが違う。何かに気を使ったり、ビビってる自分がいるんだよね。分人が違うのだ。

どちらも恥じるようなことを言っているわけじゃないけど、Twitterは率直すぎて、あとから恥ずかしくなりそうなのだ。でも言いたいことは同じだ。

Facebookの繋がりの民が、哲学的だったり思想的な話を好む私の投稿を好意的に受け取ってくれるものかどうかってところにポイントがあるのかもしれない。

気が重くなる理由。

ふと、さっきFacebookを眺めていて、「あれ?みんながFacebookに投稿する目的ってなんなんだろう?」とわからなくなった。他の人の投稿をしばらく眺める。

「ここに行ってこんなことしてきました!」がほとんどで、へぇーっていうことはあっても、共感したり笑えることって少ない。少なくとも私のタイムラインはそのように仕上がっている。あとは個人からの宣伝的なものと広告が激しく登場する。

なんだかつまらないなぁって思ってね。

ありがたい情報を受け取ることもあるけど、正解を求めたいわけでもないし、優れた情報をいち早く摂取するってことにも、今の自分は興味がない。価値を感じなくなってきているということかもしれない。

誰かの思考や思想にふれたり、誰かのちょっとした日常の出来事にクスッと笑ったり、驚く出来事シェアをみて、すげーって興奮したり。

そういうことで最近は、Twitterの距離感が心地よい。

そういえば、FacebookにTwitterを連携する機能があったけど、あれを使ってる人も私の周りにはほとんどいないなぁ。

とはいえ最近、人とお話ししたりするのが格別に楽しくなっている。たぶん未来の話をしているからだと思うのだ。感じたことや気づきをその瞬間にアウトプットすること。未来のことを考えて「これよくない?」ってものが見つかった時に当てどなくアウトプットすることが最近のお気に入りだ。

そして、そろそろもう一度、clubhouseも使ってみるのもいいかもしれないなぁって思った。さて、だれか私とおしゃべりしてくれる人がいたらいいのに。

と思っている週末だ。

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