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魔法のナイフと茄子R

私が見知らぬ大人とネットで出会ったのは1993年のことだった。

当時は現在のようなインターネットブラウザは存在しておらず、FacebookもTwitterもなかった。Windowsのバージョンは3.1で、私の使っていたMacのOSは漢字Talk7.1だった。

そんな時代に、一部のマニアックな人たちが集うネットワーク上のコミュニティとしてパソコン通信が存在していた。ちなみに2ちゃんねるが開設されたのは6年後の1999年だ。

パソコン通信は2ちゃんねるのようなテキストベースの掲示板(フォーラム)がたくさんあり、フォーラムでは「シスオペ」「サブシス」という管理人が常駐していた。ハンドルネームという仮名は設定できたものの、個人に割り振られた会員IDでパソコン通信事業者には実名が把握されているため、基本的に常識的で節度を持ったやりとりが交わされていたように思う。

マニアックな趣味のフォーラムでは煽り煽られの丁々発止のやりとりはあったが、昨今のTwitterのように1対多数で炎上したり、セクハラや恫喝まがいのクソレスを書き込む人間は非常にまれであった。

なぜなら運営から垢BANされたり、名誉棄損で訴訟を起こされたりする可能性があることを、皆が理解していたからだ。

また、パソコンを所有して自分でモデム設定やログを閲覧するフリーウェアの設定を行う必要があるため、必然的にネットリテラシーの高い人間が集まっていたという環境要因もあった。

さて、私は1993年にパソコン通信のNIFTY-Serveに参加した。

参加するにあたり、失礼があってはいけないとPC雑誌で十分に予習した上に『パソコン通信「暗黙のご了解」事典』なるマナーブックを読み込んで「一見して性別の分からないハンドルネームにすること」「自分及び他人の実名・住所・写真などは公開しないこと」「礼儀正しい言葉使いでやりとりすること」という基本ルールを押さえたうえでログインした。

もちろんフォーラムは半年間ROMった。

当時はパソコン通信をたしなむ女子高生は非常に珍しく、仲良くなった人に私の年齢性別を明らかにすると「えっ現役女子高生!?」と驚かれた。

それでも、現在のTwitterのように若い女と見るや露骨な性的DMを送りつけてくる輩はいなかったし、フォーラムの壁(雑談部屋)でふざけてセクハラAAを貼った男は他の大人たちにフルボッコにされていた。

私はNIFTY-Serveの中で、とてもまっとうに「未成年」として扱われた。

性的な価値を一方的に押し付けられた「女子高生」ではなく、ちょっと未熟で多少の目配りが必要な「未成年」として。


同じ趣味の人間が集うパスワード制のクローズド・コミュニティ「ホームパーティ」では年に数回の「オフ会」にも参加した。

いつだって私が最年少で、周りの大人たちは私を見守り、必要な助言や忠告を与え、お互いに気持ちよく過ごせるように配慮してくれていたように思う。

私は彼・彼女らに騙されたり裏切られたりしたことはなかったし、夜の新宿で「もう暗いから送っていくよ」と本当に送迎だけをしてもらったこともある。食事をごちそうになって恐縮する私に見返りを求めることもなく「大人になったら、君が後輩にごちそうしてあげなさい」と恩送りを教えられた。

あれから25年以上経って、私は大人になり、今も付き合いが続いているNIFTY-Serve出身の友人が何人もいる。

もちろん、私の所属していたコミュニティが善良だったという要素もあるのだろう。

でもあの時代のNIFTY-Serveの大人たちは、確かに良識と節度を持った「大人」だったのだ。

私は安心して「未成年」でいられたし、彼らは「若年者を守る」という「大人の責任」をうっすらと帯びているように振舞っていた。

あの時代、未成年の女の子がネット上で何の心配もなく「未成年」のままでいられた。子供は子供のままで存在していた。

ひるがえって今はどうだろう。

大人の男にTwitter経由で誘拐された小学生が自己責任と非難される、今は。

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