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「嫌い」な自分

受け入れられない存在「自分」。
羨ましくも妬ましくも思える存在「他人」。

どうして比べちゃうんだろう。

「比べちゃダメ。あなたはあなた。」
そんな言葉、山ほど見てきた。

「そうだよね、ありのままの自分でいればいいんだよね。
俺はよくやってるよ。よく頑張ってる。偉いぞ。」

なんか、偽っている気がする。

ありのままは大切かもしれない。
頭ではわかってる。

でも、、無理…。
こんな自分、受け入れられないんだわ。 

そうやって自分嫌いをどんどんこじれさせてきた。
そんな4年間だった気がする。

他人への劣等感

何がそんなに嫌か。
ひとことで言えば、
「自分の今までの生き方」なんだと思う。

「自分の生き方を否定するなんてよくないよ」
 「過去の自分に囚われてちゃだめだよ。今を生きなきゃ。」

わかる。
そう思ってても、ネガティブな感情が勝手に湧き上がってくる
自分の将来について考えた時とか。
他の人にすごくいいなって感じた時とか。

自分でだって考えたいわけじゃない。
でももう多分それが癖になってて、抜け出せないんだ

俺は今まで何を成し遂げてきた?

サックスしかやってない。
部活に人生を捧げて、勉強は一切やってない。
部長としてだって皆を引っ張っていってない。
優柔不断だし、躊躇してばっかだし、
自分に軸がない。
まじでアホ、バカ、クズ。

自分への悪口は絶えない
でも、他の人は輝いて見える

「挫折も乗り越えて頑張ってる姿、かっこいい…!」
(あぁなんで俺は乗り越えられてないんだよ…。)

「皆すぐ行動してる、すげえ。」
(なんで俺はすぐ行動できなかったの?
動けよ。遅れてるぞ俺。)

気づけば他人が自分との比較対象になってる。
競争の中で生きようとしてる。

そんなんじゃ楽しく生きられない。
常に何かに追われる日々。
そんなの嫌だ。
嫌なはずなのに…。

承認欲求が強いのか、
プライドが高いのか、
よくわからないが、心のどこかで他人と競争している
苦しいだけで、楽しくない競争を

自分を気にしてるだけ

他人からの目も気になる

「あの人は自分のことをどう思っているんだろう。嫌いなのかな。そうか、嫌いかもな。
なんかあの感じは面倒くさいと思われてるよな。あぁ、辛い。」

「今ここでこれ言ったらまずいかな。まずいか。あーでも言わないと何も変わらない。
でも言ったらやばい奴になっちゃうか。
あーどうしよ。こうやって何も言わないと、何も進めないクズ野郎だと思われてるのかな。」

これはある意味で自己中

他人の目を気にしてるだけで、
結局一番気にしているのは自分がどう見られているか
自分のこと。
でも自分が好きじゃない。
人生楽しくない。

そうやって思考の悪循環にハマっていく。
そして心が体に影響していく。
それがまた負の連鎖を生んでいく。
そうやって自分のことばっかり考えて、どんどん辛くなっていく。

自己中だから、自己分析は好きだった。
自分の未来について妄想を膨らませるのも好きだった。

ストレングスファインダー、VIA、RIASECなど、就活に役立ちそうな自己分析テストをやったり、ネットでも質問に答える無料のやつを何個も試した。

メモの魔力や絶対内定の質問にも答えたりして、ノートにまとめながら自己分析をしていた。そういうのは楽しかった。

でも毎回のように出てくる
「協調性」「包含」「公平」といったワードに辟易していた。

他人の意見は聞くけど、自分には意見がないのか。
俺には自分の軸が何もないのか

それに対して、尊敬する人は皆自分の軸を持っている
いや、だからこそ尊敬しているのだと思うが、
その違いに絶望する日々。

自分の未来への妄想が膨らみ、理想が高くなることで、現実との乖離が著しくなっていき、絶望へと変わっていってしまう。

全部俺が悪いんだ

そして、もう一つの考え方。

全部自分のせいにする
全部自分が悪い

「あの人が何も発言しないのは俺が話を振らないからだ」
「あの子が問題を起こしてしまったのは、その前に俺がちゃんと気づいて注意してあげられなかったからだ」

問題を自分ごととして捉えるのはいいが、
過剰に行き過ぎる。
だから自分のせいにして、自分を責める

怒ったこともない。
他人への怒りが湧き上がるなんてことはなく、
むしろなんで何もできなかったのかという自責の念にかられる。
「なんで俺はこういう時に何もできない人間なんだろう」とまた思い悩む。

そういう4年間を過ごしてきた。
他人の悪いところはあんまり目につかない代わりに、
自分に対する批判はいくらでも出てきた

気づけば悩んでいる自分


「悩んでも仕方ない。改善しよう。行動しよう。」

そう思ったことが何回あっただろう。

「悩んでる時間は無駄。手を動かせ。」

その通り。
って思ってるのに気づくと体調崩してるのは、なんでだろう…。

もう手を動かすこともできないくらい気持ち悪くなる。
そんな自分を、余計に責める

行動してみてはいた。
なんならどう改善していきたいか、
それをより具体的な行動に落とし込むにはどうすればいいか、そんなことをマンダラチャートやマインドマップ、抽象化具体化のメモの魔力を使って書いてみていた。

でも続かなかったし、変わらなかった。
というか、あまりに理想が高すぎるのか、
やることが尋常じゃなくハードルが高い。
そして、部活で拘束時間が多過ぎる自分には、無理難題であった。

このまま変われないんだとすると、俺は人生ゲームオーバーじゃないか…?
だから頑張らなきゃ!

となれないのが俺。
怯えて、将来の不安に駆られて、死にたくなる。


こんなに悩むようになったのはなぜか
その要因は、大学4年間の吹奏楽部にあった。

責任者としての苦痛

中学時代から吹奏楽をやっていて、大学選びの基準も吹奏楽部だった。
入った当初からやる気に満ち溢れ、同期の誰よりも練習をしている、そんな感じだった。

そんな熱量が認められてか、学年の責任者を務めることになった。
それまでそんなリーダー的ポジションなんてついたこともなかったのに、
やたらやる気だけはあった。

でも、そんなやる気に溢れた少年の顔からは、段々笑顔が消えていった。

協調性が高いばかりに、人の意見を聞きすぎてしまう。
それが災いして、決断力のなさに繋がってしまった。
また、徐々に同期との距離感を感じるようになっていった。

それは部のシステム的にそうならざるを得ない部分もあった。

部活には、学生の部員以外にも、大人の監督大人の指揮者がいる。
重要な物事を決める際には、監督と部員の幹部とで話し合いが行われる。

監督から出てくる意見は、とても論理的であった。
毎回反論の余地がなく、反対しても押し返されてばかりであった。
しかし監督は直接部活を見にくるわけでもなく、
幹部以外と対面するような機会はほとんどなかった

そんな状況下で、部員達は、監督と幹部に部活が支配されているというような不信感を募らせていった。
毎回議論する際、部員からの意見には感情的なものが多かったが、その感情論についていく部員達が、多数派になってしまっていた。

同じ学生であるにもかかわらず、部員と幹部との距離が離れていった
自分にはそれが苦痛で耐えきれなかった。

4年の時には、部長を務めた。部長をやっていた時も、結局同じだった。
他の部員や監督、指揮者の意見を聞きすぎて、操り人形のようになっていた。

自分のコントロール感を失い、
がんじがらめになって逃げ道を失った気分だった。
あらゆる方面に頭を下げる機械のような日々を送っていた。

悩みの量に比例するようにどんどん本が増えていった。
自分の至らなさを解決するために、色んな本を買った。
読む度に元気はもらえる。でも、1日経てば元に戻ってる。
気づけば本棚には似たようなタイトルの本がずらっと並んでいた。

そんな自分にまた嫌気が差した。

本読んでばっかりで何も変わっていない

結局手を動かさなきゃ変われない
「変わるしかないんだ!頑張れ俺!」

でも、変われない。しんどい。辛い。
少なくとも部活をやっている最中、余裕がなかった。

精神的に余裕を作ることは出来ず、
同期もギスギスしていて、悩みを吐露出来る仲間も1人しかいなかった。
結局、服薬をしながら部活を耐え忍ぶしかなかった。

ぽっかり空いた穴

そうしてどうにか耐え忍んで迎えた、最後の演奏会
最後くらいは感動して、号泣して終えられるだろう。
いい思い出になるだろう。そう思っていた。

最後のメイン曲は、憧れていた曲で締めることが出来た。
プログラムは、引退する演奏会として素晴らしく思えるものだった。

演奏会終盤、後輩たちは皆泣いていた。同期も泣いていた。
そして演奏会が終わると、後輩たちが顔をグシャグシャにしながら、駆け寄ってきた。
「林さん、いなくならないでください、、!」
「本当に今までありがとうございました!」
皆そう言ってくれた。

でも、、
僕の心の中は、ぽっかり空いていた。

感動も何もなく、ようやく終わった、という感情もなく、
ただ、何もない空虚な気持ちで、最後の演奏会を終えた。

4年間何をしてきたんだろうか。
結局そんなことを考えたりしていた。
そして部活を引退した。

自分に目を向けた時、何もないことに気づいた。
アピール出来るものがない。
部長も立派な功績は残していないし、サックスばかりで勉強もしてない。

将来への不安からまた体調を大きく崩しそうになった。
行動できず何も残して来れなかった自分を責めまくった。

もう自分が嫌いで仕方なかった。
自分を辞めたいと何度も思った。

そんな自分嫌いを治したいとは思ってた
でもどうすればいいかわからなかった

前田デザイン室との出会い

その頃、オンラインサロンに出会った。
幻冬舎の編集者、箕輪厚介さんの本をよく読んでいて、
箕輪さんのサロン、箕輪編集室に入った。

そして、そのオンラインサロンの中で学生向けの授業があった。
勝てるデザイン」という授業だ。
サックスが好きで、芸術に関わりたいなと思っていたこともあり、
デザイナーの道を真剣に考えていたので、授業を受けた。
その時に、前田高志さんを知った。

その授業の一言で前田さんがこう仰っていた。

「仕事を自分事にしたら勝ち」

この言葉が、すごくグサっと刺さった
部活時代の自分は、仕事が他人事になっていたと気づかされた。

その一言で前田さんに一気に好きになった
そして、授業が終わった後、前田さんのツイッターを見ると、
1対1でLINE相談をする」という企画をやっていた。

速攻で質問しにいった。
こんなチャンス滅多にないと思って、悩みを相談したら、本当に返信が返ってきた。
「こんなに距離感近くお話できるなんて…!」

あまりにも衝撃的で、一気に引き込まれた。
そして前田さんのオンラインサロン、「前田デザイン室」に入会した。

とはいえ、前田デザイン室に入ってからも、他人との比較は中々なくならなかった
前田デザイン室はデザイナーを目指す人が集まるサロンだが、ただでさえ自分はデザインというもの自体未経験。
絵も下手だし、前田デザイン室の誰よりもデザインが上手くないであろうと自負している。

行動しまくってる学生達が、輝いて見えて、
そのレベルの差に、愕然
不安がめちゃくちゃ大きくなっていた。

でも、変わるしかない
というか、この前田デザイン室で変わるんだ
そういう決意はあった。

人生を変える相談

でも、やはり悩んでしまう自分がいた。
「デザイナーなんて向いてないんだろうか。」
「他の分野に移った方がいいのだろうか。」
と。

結局悩む原因は2つだと思った。
行動していないこと
自分を受け入れられていないこと

でも、今まで行動しようとしてきて出来なかったし、
自分を受け入れることなんて出来なかった。

そんな時に、前田さんのLINE相談の機会があった。
そして、全ての答えを持っていると書いてあった。

もうヘビーな質問にはなるけど、聞くしかないと思った。

すると
「長い!ちょい待ち!」
秒で返信がきた。

気づけばすごい長文。
めっちゃごめんなさい…。
でもめちゃくちゃ真剣に返して下さった。

その時頂いた言葉が、これである。

「嫌いな自分に慣れる。
ポジティブに諦めると強い。
なりたい自分になる必要はない。」

これは一生忘れられない言葉シリーズに入るやつ。

これまでの自分は、こう。
自分嫌いしてる自分が嫌だったし、
変わることを諦めたら終わりだと思ってたし、
自分の未来像を叶えなければ人生最悪だと思ってた。

その悩みがスーッと溶けていくようだった。

ありのままの自分を受け入れよう、というアプローチとは、似ているようで少し違う気がする。

それよりももっと現実的で、深くて、自分自身を正しく捉えた考え方だなと思った。

そして前田さんに自撮りをご提案頂いた。
#100日自撮りするハヤシ で、創平君と一緒に自撮りツイートをしている。

正直、自撮りした顔は、
顔の形も目も髪型も、口の曲がり具合も、
超絶気になる。恥ずかしい。
てか鏡で見る自分と全然違うじゃん。最悪。

でもそれはある意味自分が嫌いな状態。
100日もやれば慣れる。
「嫌いな自分に慣れる」

しかも、自分からじゃ絶対自撮りなんてしない
だからこそ余計に、変われるかもしれないという希望を持てた。

だからこそ、前田さんに100日自撮りツイートする宣言もした。
自分の意思を強く持つために。

自分嫌いから抜け出す

でも自分を好きになろうとはしない
自分に慣れる

まずは顔から始めて、
声も、身体も、能力も。

全部100日やったら慣れるんじゃね?

1年後、自分に慣れた自分でいれるように。
自分らしさを受け入れたハヤシでいられるように。

自分が嫌い!
そんな自分から、ぬけだ荘。 


P.S.
#100日自撮りするハヤシ継続中です !ぜひ応援してください!

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