下世話な話に対するリアクションペーパー

私の古くからの友人たちは全くと言っていいほど浮かれた話が出てこない。
年末に一緒にご飯に行ったがその時も何もでてこなかった。言わないだけかもしれないが。

今思うと学生時代に、彼女が出来たとか、好きな人がいるとか、そういう話で彼らと盛り上がったことがない。あまり恋愛話を好まないといったほうが正確だろうか。

僕自身も全く彼らと同様で、まあ強いて話す必要もなければ普通にしょうもない話をしていることのほうが楽しかったし、それに対してどうこう思ったりしたことはなかった。

だから高校生という多感な時期ですら、そういう話を彼らと共有した覚えがない。下ネタすらなかった。(う〇こレベルはあった)
今思えば小学生がDSを持ち寄って遊ぶように純粋に彼らと会話を楽しんでいたように思う。そういう意味では男の子らしいというか、そんな関係性であったと思う。



高校までそんな風に恋バナの一つすらしてこなかった僕は大学生になって衝撃を受けた。誰と誰がヤってだとか、より”実践的”で生々しい話題としての”恋バナ”が展開され、不思議な感覚に陥った。正直に言うと実際そういう話に乗ったりすることもあった。

ここでの”恋バナ”というのは所謂「男らしい会話」を意味している。女性間でも「女らしい会話」があるかは知らない。あるだろうとは思う。

その「男らしい会話」の中では、例えば(女性)グループの中の誰が性的に魅力的かとか、そういう同性間だけしかできない下世話な話が出てくる。もっと言えば異性の品評会のような会合が開かれるのである。

何故この話を書くかというと、いつから人間は純粋に友達や恋人ではなく生殖対象者として互いに異性を意識し始めるようになるのだろうかと思ったからである。個人によりけりだろとは思うが。

大学に入学し、身体的・経済的にも制限された身分から(一部)解き放たれると、誰に言われずとも成人男性・成人女性としての動物的な機能を実践として活用し始めることの尊さと何とも言えぬ惨さよ。まさしく本能。

そしてセックスという行為が身近に起こることに対する違和感。子供の頃は禁じられた行為の様であったのに。知り合いのアイツとアイツがヤったという噂を耳にするたび、こんなにもカジュアルな行為であったのだなあとしみじみする。

子供の頃抱いていた幻想が崩壊していくような感じが、ある。
でも今や”知ってしまった”以上、もう戻れないし現実ってそんなものだろうと開き直る。










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