02:八壁の場合 つづき
どうも、八壁ゆかりです。「ハハヌケ」その2でございます。
今回も私自身の体験や思いをベースに書いていきたいと思います。
物理的距離:地球の裏側まで及ぶ我が母の愛
私は十八歳で単身NYに飛びました。彼女と物理的な距離ができたわけです。別にホームシックにはなりませんでした。NYは刺激的な街でしたし、勉学や日々の生活に追われ、彼女のことをあまり考えなくなりました。
しかしその後にメンタル面に支障を来し、セラピストに「全部母親のせい」と言われるまでは、彼女の存在をそこまで危険視していませんでした。渡米前も、カウンセリングなどでは彼女の話をしましたが、そこまで治療の根幹という扱いではありませんでした。
NYCに、当時交際していた男性が来てくれた時のこと。強烈に覚えていることがあります。
今思えば、私は別に彼が来ることを彼女と「情報共有」しなくてよかったとも思うのですが、とにかく彼女は恋人の滞在を知っていました。
私と彼はソファでくつろいでおりまして、まあ恋人らしいことをいたしておったわけです。
その時です。電話が鳴りました。もちろん私は出ません。すると留守電に切り替わりました。
「母だけど、彼氏は無事に着いたの? 元気なの? ちゃんと連絡しなさい」
私は凍り付きました。
NYに、地球の裏側に、いるのに。
彼女はそんな物理的な距離なんか、易々と飛び越えて私に作用しました。
その時、初めてかは分かりませんが、私は強烈な「被・支配感」を覚えました。
物理的距離その2:距離感を計測中
帰国して入院して退院して自宅療養をして、単発のアルバイト程度ならできるようになった頃、家庭の事情でひとり暮らしをすることになりました。
私は親友が住んでいた街に部屋を決めました。もちろん経済的には丸々親持ちでしたが、この頃我が家はすさんでおりまして、彼女も私も、物理的距離を置く必要があると帰結したのです。
生活を共にしないということは、不便な点もありましたが、とても気楽でもありました。私は料理がまったくできませんでしたから、食生活は控えめに表現してもメチャクチャ、彼女が朝起こしてくれるわけではありませんでしたから睡眠周期もメチャクチャ、夕方六時からのアルバイトに寝坊していって店長に怒られる、といった自堕落な日々でした。
彼女とは、三日に一度ほど電話をする程度になりました。
その時思ったんですね、「嗚呼これは楽だ」と。相変わらず彼女は過保護でしたが、実際にやってきて何かしたり言ったりするわけではありませんでしたから、
「あー、きっとこれが正しい距離感なんだなぁ」
と思っておりました。
しかしその後またメンタルが危機的状況を迎え、開放病棟に入院、退院と同時に実家に戻りました。
物理的距離その3:結婚&上京、計測器ぶっ壊れる
正確には同棲が先だったのですが、まあ事実婚だったので結婚と書きます。
夫と出会い、一年間付き合ってから結婚を前提に上京して共に暮らし始めました。
最初の一年は、私も意地になっていたというか、強がっていたと思います。
「自分で選んで家を出たんだから、彼女に頼ってはいけない」
ろくに料理もできないまま、引っ越し翌日から夫の弁当作りという任務を開始し、エンドレスな家事にふぎゃああと悲鳴を上げる中で、それでも私は彼女に甘えてはならないと思っていました。
もちろん電話などで話はしていましたし、メンタルの問題もありましたから、疎遠というわけでは全くなく、そこそこの距離感を保てていた、かな?(今となっては自信がない)
約一年後の夏、私は薬の影響で大パニックに陥りました。
平日でしたから、夫は仕事中、信頼の置ける友人たちに連絡しようにも、皆自分の生活が忙しい状況。
結局私は彼女に泣きつきました。これがあかんかったのでしょうか。
「あんた、意地になってるでしょ。いくら結婚して戸籍上は抜けても、私たちは親子なんだから、辛い時は頼ってきてもいいんだよ?」
私は泣きながら夫に許可を取って、彼女が東京にヘルプに来てくれるのを待ちました。彼女は無事にやってきて、私が四苦八苦しても片付けられなかった家事を瞬殺してくれました。
それから何度か、私は彼女にヘルプを求め、彼女や父が大丈夫な時だけ、主に家事を手伝ってもらいました。
現在の主治医・鼻毛先生に出会って、私は快方に向かいかけ、家事にも慣れてきて、よほどのことでないと彼女を呼びつけなくなりました。
じゃあ心理的距離はどうなん?
うーん、これは難しい問題ですね。
例えば、これ、私にはよくあるパターンなのですが、
「彼女のせいで辛くなったのに彼女に泣きつくしかない」
あるいは、
「泣きついても怒られることは分かっているのに電話してしまい案の定ダメージ倍」
もちろん、私が家を出てから二年半ほど経過し、その間色々なことが怒りました。
私はひとりで実家に滞在することがもう「無理」だと思い、それを正直に両親に告げたら大騒ぎになったり。あるいは、これはつい最近ですが、彼女が「三十過ぎた娘の面倒をいまだに見ないといけないのはよくない、もう放置する!」と宣言したり。
実は「戸村サキ」というライター名義で、彼女にインタビューしたことがあります。こちらで全文が読めますが、彼女曰く、
「自分が産んだから、あんたのことも自分だと思ってた。別の人間だって気づくのに二十年かかった」
今後の課題:貫け、無反応!
私の主治医、精神科医の鼻毛先生(仮名)は、すぐに私と彼女の問題、正確には私が一方的かつ勝手に彼女からダメージを食らうことを見抜きました。
その後実際に家族診察をしたりした後、つい先日、こう言われました。
「頼むから、無反応を貫いてくれ」
これは何も彼女に関することのみではありませんが、要するに私はちょっとの刺激でも大げさに反応してひとりでパニクったり落ちたりする、ということらしいです。
ですから、刺激に対して瞬時に反応するのではなく、ワンクッション置いて、考えて、その上でリアクションを起こす、と。
この言葉を、最近呪詛のように唱えております。彼女がLINEを使うようになって、距離感が変化している最中なう、といった感じなので、例えば彼女が妙なスタンプを送ってきて、っていうかそれぶっちゃけ今なんですが、それすら「え、不機嫌?」とか不安になりかけました。しかし、貫け我が道・無反応! きっと彼女はなんも意図していない!! レッツ既読スルー!
「無反応」は強すぎる言葉かもしれませんが、上に書いた、
「ワンクッション置いてから反応する」
というのは、心がけていけば、楽になるかもしれませんね。
怒られたり、苦言を呈されても、それはあくまで彼女の、「他者の意見」です。
三十路のわたくし八壁としては、自分のことは自分で判断し実行したい所存、彼女は血のつながった家族であり、非常に影響の大きな存在ですが、それでも、
「あなたはあなたであって、母親ではない」
ということだけは、忘れないようにしようと思います。
長々と書きましたが、ご拝読ありがとうございました。レッツシェア、みんなで「ハハヌケ」しようぜ。
励みになります! 否、率直に言うと米になります! 何卒!!