摂食障害の経験談を聴いて

「ファッションモデルの痩せすぎ問題」でしか知らなかった摂食障害について、経験者の方の話を聴く機会がありました。

それほど身近ではなかったですし、この「ファッションモデルの痩せすぎ問題」で引っ掛かっていたのは「痩せている=美しい」という価値観からの影響と思い込みから「真の美しさ=健康美」から離れていってしまう不思議さでした。

経験談を聴くと美しさへの価値観よりも、話を真面目に捉えすぎるということが火種になったのかなという印象を受けました。

太ったねの一言で、痩せなくてはいけないと変換されてしまうこと、だから、食べてはいけないということ、最終的には栄養不足だから食べなくてはいけないということ。。

~しなければならないに支配されてしまう状況。

辛い、辛すぎます!克服されたお二人の経験者の方へは本当によかったねと言いたいです。


でもやっぱり、「痩身」がビジネスになった時にメディアによって痩せなさいと不安をあおったということが大きな意味での原因としてあるのではないかと考え始めてしまいました。

そこで思い出したのが、自分にも「なりたい自分になれないループ」の経験があったことです。そのループから救ったのがたまたまモードという夢の世界でした。ああ、だからわたしは「ファッションモデルの痩せすぎ問題」に対して何とも腑に落ちていなかったのだなと腑に落とすことが出来ました。

以下はその経緯について書いています。



私にとって「なりたい自分になれないループ」、それが二人とは真逆で、病みたいのに病めないというようなこれまた不思議な状況でした。

中学生の頃の話です。時は、00年代。

浜崎あゆみの全盛期かと思います。御多分にもれず、好きでした。SURREALのミュージックビデオはメンヘラの象徴的なイメージだと今なら思いますが、当時はそれが「かわいい」という感覚でした。

裸足系といわれた鬼束ちひろや中島美嘉、自称う●こだった頃のCoccoも好きでした。今なら思うことは、ただただ、冷えるから靴下はこう!ということに尽きるのですが、当時は裸足が儚げでよかったのかもしれません。歌詞も「傷ついてます」「辛いです」「行かないでください」「出してください(閉じ込められている?)」と、ツラくてイタくて救いがなかったです。

中~高校生のころにかけてはゴスロリも流行っていました。嶽本野ばらの小説を読んで、耽美な世界を味わう...のですが、きっと誤解してました。社会から離れて自分の世界に浸ることを描いていたでしょうが、受け入れてくれない社会を悪者にする癖がつきました。そのあとはアナーキー思考まっしぐらでした。

辛い状況で苦しむことに憧れていたという何ともおかしな状況ですが、さらに言うと辛くなるトピックスがなかったことが何より辛かったのです。早く恵まれた環境に気づけよ、と周りは思っていたでしょうし、時が戻せるならそうしたいですと思います。あーーーもったいない!

そんな謎な価値観を持っていた中~高校生のころの食生活はというと、めちゃくちゃ食べていました。育ち盛りですから。素直に欲求に従って食べていました。儚さとは程遠い容姿でした。

環境も自分自身の生活もなりたい自分になれない葛藤に満ちていましたが、これは、幸いなことだったのだと思います。素直な欲求に従う、本能の声がちゃんと届いていたのでしょう。

なりたい自分像の方が間違っていたのです。


さて、この「なりたい」という気持ち、憧れともいうかもしれません。この気持ちも本来は本能的な感覚が働いていると思います。その対象となる美しさやかっこよさは生命力を表し、遺伝子を残すパートナー探しをする際の基準にもなります。

いきなり、メンタリストdaigoみたいなことを言いましたが、論文を読まなくたって、自分の本能で知っているという思いの方も多いのではないでしょうか。私はそうです。私は、幸か不幸か儚げに病んでますという美しさを手に入れられないほど、本能的でエネルギッシュなタイプの人間でした。

そうであるのに、流行っているという理由でメンヘラな女の子や病んでいる女の子になりたいと思ってしまった、いや、ならなければならないとう思い込みに近かったと思います。他に選択肢がなかったとも言えます。

それをどうやって脱ぎ捨てたのか、第一段階はファッションとの出会いでした。私にとってファッションは健康美に近づくヒントをくれた存在なのです。

高校生の頃からひょんなきっかけで、コレクション誌を見ていました。モードの世界に夢中になっていたのです。情熱と夢の世界です。

その頃はDiorをJohn Galliano手がけていて、芸術性あふれるショーが夢の世界へ連れて行ってくれました。

Alexander McQUEENも生きていました。McQUEENのコレクションは、退廃的なムードがありますが、強烈な死のイメージとのコントラストで儚い生の鮮烈さが感じられるものでした。

そして、Jean-Paul GAULTIER。フェティシズムとエレガンスの融合のマジカルな世界です。エロスは生命力の根源ですが、私の感性のフェティシズムと共鳴していました。変態高校生だったかもしれません。

この3人が特に好きでした。あっと、、ラクロワも!

Christian Lacroixはいつも華やかな世界、豪華絢爛なコレクションでとってもうっとりしていましたが、毎回赤字を出していると聞いて、さらに好きになりました!なんか最高!って思ってしまったのです。

常にファッションに興奮していました。ファッションの専門学校に入ったころには「美しさ=生命力」という言葉を見つけていたと思います。

ちょうどそのころに、摂食障害のファッションモデルがいるとか、モードが「痩身=美しい」の価値観を後押ししているという情報が出てきていましたが、本当にピンと来ていなかったです。逆に、ファッションは多様性を表現しているとさえ思っていました。ガリアーノやゴルチエはふくよかなモデルや小人症のモデル等を起用するショーをしていたし、黒人モデルの起用も多かった気がします。


同じ情報を見ても、受け取り方次第で違う世界が訪れるというのは本当だなと思います。私はもうずぅっと多様な美しさで溢れる世界を生きています。

ファッションと出会った後すぐに叶ったわけではありません。紆余曲折しながら、現在もうようよしながらも、その世界で生きることを確信しているんです。


摂食障害という知らなかった世界に触れられたから自分の世界がより鮮明になりました。生き残ってくれてありがとう。

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