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涙と共に祈った朝の話

今年は、有名な大きな神社さんと、毎朝通う地元の浅間神社さんへ初詣した。
どちらも、ものすごい数の人で、たくさんの「願い事」という玉が置かれていってるなぁ…と思った。
(玉が見えるわけではなく、私のイメージね。)


このたくさんの人が全員で、
願いではなく、祈りを捧げたら…
地震なんてあっという間に落ち着いたりしちゃうんじゃないかと思ったりもした。

こんなにたくさんの願い事玉。
叶える、叶えないは別として、
処理するって、神様のお仕事は大変だなーとも思った。

とはいえ、神社の活気はお祭りみたいで、ワクワク感がある。
お札を買って、普段なら絶対に食べない屋台の広島焼きを食べ、
正月らしい神社さんを楽しんだ。

そして1月5日。
今日も、毎朝通う浅間神社さんへ。昨日は仕事始めの人が多かったけど、さすがに今日は誰もいない。

連日の人で、神様もお疲れだろう、
神様もやっとお休み出来るのかなぁ〜なんて思っていたら…

あれ?違う。凛としてる。

あんなにたくさんあった人の気配、人の願い事玉が一つもない!


めちゃくちゃ神聖。
綺麗で、凛とした、神様の気配。

むしろ、前より強い…

たった一晩で、こんなにも違うなんて!

これぞ清浄だ。
神様、すごすぎる…

あまりのパワーに圧倒され
感動し、涙がポロポロと出た。

あー、私ごとき人間が神様の領域を推し量るなんて、狭い、狭い。
と、自分の了見の狭さを痛感する。

と、同時に、めちゃくちゃ嬉しくなった。

この神社さんは、ちゃんと火を焚いてお焚き上げしているから、
火の力が良いのかもしれない。

地元に愛されている神社だし、
人がたくさん来て、さらにパワーアップしてるのかもしれない。

もちろん、宮司様や巫女さんたちのお掃除のおかげもあるだろう。

だけどね、とにかく、
神社って、すごいと思ったんだ。

神様はいる。
カタチはなくても、そのエネルギー体はある。

毎日の参拝で、あんなに泣いたのは、初めてだった。

どうか、早く地震がおさまりますように。
大難が小難に、小難が無難になりますようにと
涙ながらに祈った朝だった。

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