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「帝王切開も立派なお産です」に思う、妊娠に至るあれこれ

出産を控えた妊婦です。マタニティ教室などでお産の流れや分娩の種類について話を聞くことも多くなりました。そこでよく聞くのがこの言葉。

「帝王切開も立派なお産です」

考えが古いというと語弊があるかもしれませんが、もう「下から産まないと母性はうまれない」、「帝王切開は痛みからの逃げである」的な発言は肩身が狭いというか、「何言ってんの?」の目に晒される社会だと思っていました。(SNSで知人男性が「難産だったけど帝王切開に逃げなかった嫁を誇りに思う」と発言をしていて、本当に奥さまがかわいそうだと思ったのは最近の話です)
しかしいまだに「帝王切開も立派なお産です」と聞かないといけないということは、そのような言葉に苦しむ人も多いからなんだろうなと想像します。もしくは自分でそのように思ってしまう人も多いのかもしれません。

そしてこの言葉を聞くたび、私の脳裏によみがえる言葉があります。

「流産はお母さんのせいじゃない」

私は2度流産を経験しましたが、友人知人家族病院関係者あらゆる人から言われ続けました。精神的にはどうであれ頭では十分わかっていることですが、どうしても自分を責めてしまう人や、心ない人に「~~したのが悪かったのでは?」と言われる人が多いのだろうなと思っていました。

そしてさらに、私の脳裏に強く浮かび上がる言葉があります。これは誰にも言われていません。

「不妊治療による妊娠も立派な妊娠です」

私は自然に妊娠できず、いろんなチャレンジを経て顕微授精で現在妊娠に至っています。そのことに対して、別に誰に何を言われたでもないのに、こんな言葉がバーンと浮かんできます。私は顕微授精による妊娠を、心のどこかで「立派な妊娠(なんだそれ)ではない」と思っているのでしょうか。それとも、「自然妊娠した人は私の妊娠を人工的なエセ妊娠だと思ってるんだろうな」とひねくれているのでしょうか。

私は流産してしまったことは「もう仕方ない」と表面上は納得しているし(今でも思い出すと悲しいし、なんとかならんかったんかと思うこともあります)、帝王切開になるかもしれないと言われていますが、「安全のためならドンとこい」と思っています。一方で不妊治療を経て妊娠に至ったことは、上記2件に比べれば何となく委縮してしまいます。その理由はどこにあるのだろうかと、ずっと自問自答しています。

「帝王切開も立派なお産です」を繰り返し聞いているうちに、一つの可能性に思い当たりました。「帝王切開」、「流産」、「不妊治療による妊娠」の中で、一番自分の意思が反映されているということです。
帝王切開は、母子いずれか、あるいは両方に何らかの事情があって、選択せざるを得ないことが多いでしょう。流産も原因は不明だったり染色体の異常だったりと、こちらも自分の手の届かない範囲の問題です。一方、妊娠は、多くの背景に「子どもがほしい」という夫婦の意思が反映されています。あくまで私の中では、特に不妊治療による妊娠は『ひとつの命をうむ』ことを、自分で望み自分で掴みに行っているイメージがあります。

私はこの期に及んで、将来、今お腹にいる子が「生まれてこなければ良かった」というほど悩むことになったら、どうしようもない後悔に襲われるのだろうと思うことがあります。神様が私に自然妊娠を許さなかったのに、それを覆して妊娠・出産する権利なんて私にあるのだろうかと思うこともあります。(無宗教です)
特に日本の現代社会においては、ほとんどすべての妊娠は望まれたもので、そこには父母の「子どもがほしい」という意思がある、にも関わらず、です。

出産してオギャーと声を聞けば、子どもの笑った顔を見れば、子どもから「産んでくれてありがとう」と言葉をもらえれば、この謎の後ろめたさや自責の念から解放されるのでしょうか。それとも自分の命が尽きるまでこの気持ちと付き合うのでしょうか。

現状、この気持ちを感じながらも、妊娠を喜び、お腹の子の成長を喜び、生まれてきて来ることを楽しみにしています。同じような経緯で妊娠された方がどのように感じていらっしゃるかも分かりません。友人にも聞いたことはありません。そして、私が長期間不妊治療に取り組んでいたのに体外受精には踏み切れなかった理由は、きっとここにあったんだろうと思います。

とにかく、私はまだ「不妊治療による妊娠も立派な妊娠です」という言葉を耳にしていないので、「不妊治療しないと妊娠できなかったの?」なんて心ない言葉は一般的に存在しないのでしょう。それが何よりだと思います。ですが、他人に言われなくても自分で思っている人も多いかもしれません。そういう人が実は多く、メンタルケアが社会的に追いついていないとすれば、それは放置しておけない問題だと思います。

今回出産を目前に控え、自分のメンタルにガツガツと踏み込んでいくのは決して気持ちの軽いものではなく、明らかにしんどいものでした。一方で、自分の中のはっきりしないモヤモヤを言葉にできたことは良かったと思っています。これによって、どなたかをいやな気分にさせてしまうかもしれません。そして私は「そんなこと思う必要ないよ」と慰めてもらいたいわけでもありません。答えがあることでもないので、議論したくはありません。しかし、「私はこう思う」ような、いろんな意見は聞いてみたいとは思います。

何の結論もない、怠惰な文章になってしまいました。読んでいただいた方、ありがとうございました。

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